〝代替〟桃太郎

菜種油

英雄譚の続き

 昔々あるところに、桃太郎という英雄がおりました。




 桃太郎は桃から産まれるという突飛な出生のせいで異端児扱いを受け、子供の頃はそれはそれは大変な生活を送っていました。




 しかし彼はそんな境遇でありながら、誰よりも優しく、心根が綺麗な子に育ちました。


 それは一重に親の愛情のお陰だったのかもしれません。




 すくすくと育った彼はなんと、村人を困らせていた鬼をたった三匹のお供と共に退治してのけました。


 それによって、彼の人生は一変しました。


 村人は彼を英雄と称え、生活は鬼から徴収した財宝で潤い、毎日家族と幸せに暮らしましたとさ。




 めでたし、めでたし。






 後世に語られたのはここまで。


 しかし彼の物語はそこで終わりではありません。


 彼のその後の生活の一部を、覗いて見るとしましょう。








 鬼退治を終えてから月日が過ぎ、一度目の冬を迎えました。


 北風がヒューヒューと吹く夜、誰もが寝静まった時間帯。


 桃太郎達は人気のない村を巡回していました。




 彼らは村に一度泥棒が出てから、こうして毎晩欠かさず見廻りをしているのです。


 今夜の空模様は曇天で、灰を混ぜたような雲が空に浮かび、その隙間から僅かな月明かりが差し桃太郎の行く道を照らしてくれます。




 桃太郎は月明かりを頼りに、お供と一緒に不届き者がいないか目を光らせます。




「モモさん、いい加減止めませんか? この寒さじゃ泥棒も流石に出ませんよ」




 お供の内の一匹、猿さんが先頭を歩く桃太郎にそう訊ねました。


 猿さんの言葉は彼の身を案じてのものでした。 




 雉さんがそれを聞くと、便乗するように桃太郎に言います。




「そうよ、こんな夜更けに出歩くのは体に悪いわ。もう帰って温かいモノを食べましょうよ。どうせ泥棒なんていないんだから」




 彼らが見廻りをし始めたのは凡そ三ヶ月前から。


 その間は一人も捕まえられておらず、全て無駄足となっており、雉さんは既に見廻りに嫌気が差していました。 


 それを聞き、桃太郎はこう答えます。




「昨日はいなかったからと言って、今日もいないとは限りません。もう少ししたら帰るので、我慢してください」




 桃太郎の言葉に、雉さんは渋々と頷き、猿さんはやれやれといったように首を振りました。


 「自分のご主人はお人好しすぎるな」と猿さんは思いながらも、そんな彼だからこそ着いていきたいと思ったのでした。


 猿さんは寒さのせいで頬が赤くなってしまっている桃太郎を見ると、人懐っこそうな笑顔を浮かべました。 




 一方雉さんは、早く終わらないものかと曇天に向けて白い息を吹き掛けました。




 犬さんもその場に居ましたが、いつの間にか降りだした雪に夢中で話に入ることはありませんでした。


 今も舞い散る雪に飛びかかっています。






 ややあって、落ちてくる雪を舐めていた犬が、怪しげな男を見つけました。


 それを知った桃太郎達は悟られぬよう注意しながら、その男を観察します。




 見たことがない赤と白の生地で仕立てられた服に、服と同じ色合いの三角の形の帽子。


 口の回りにはふわふわな白い髭を蓄え、目元には丸いガラスを両目にかかるようにした何かを着けた老翁。


 腰回りは相撲取りのように横這いで、全体的にふっくらとしています。




 老翁は月明かりをスポットライトのように浴びながら、家の前をうろうろと忙しくしています。


 桃太郎達の目には当然、男がとても怪しく映りました。




 桃太郎は直ぐに男を捕らえることにし、捕り物劇はあっという間に終わりました。


 肩に老翁を担いだ桃太郎は、彼をこれからどうするか考えていると。




「まっ、まっとくれー! わしは別に怪しい者じゃないんじゃ! 見ての通りサンタクロースないんじゃ!」




 老翁は捕まっているにも関わらず、変な言葉を口走りました。


 その発言に桃太郎達は首を傾げます。


 サンタクロースとはなんなのか、と。




「無知で申し訳ないのですが、サンタクロースとはなんですか?」


「聞いたことないな……」


「職業かしら?」


「それっておいしいのー?」


 口々に老翁に訊ねます。




 犬さんの口から雫が滴り、積もり始めていた雪を滲ませました。


 サンタクロースを食べ物だと勘違いしているようです。




「あ、やっぱり知らんのかね? わしの国ではポピュラーなんじゃが……」


「じーさんの国では泥棒をサンタクロースって言うのか?」




 猿さんはじとっとした視線をサンタクロースを名乗る泥棒に浴びせました。


 すると老翁は心外だというように説明を始めました。




「泥棒とは失礼じゃ! サンタクロースはな、世界中のいい子達にプレゼントを配るハートフルなジェントルマンのことじゃ!」


「なにを言ってるのかしらこの人」




 しかし疑惑は晴れず、むしろ深まってしまいました。


 雉さんはその発言に老翁を虚言癖を持った耄碌爺なのではないかと思いました。


 桃太郎もよくわかっていないようです。




「仕方ありませんね、立ち話はなんなので、我が家までお連れしましょう」


「へぇ!? まっ、まっとくれ! そ、そうじゃ、これを、これを見れば分かるはずじゃ!」




 ここで騒ぐのは近所迷惑だと判断し連れ帰ろうとする桃太郎に、老翁は何処からか紙切れを取り出しました。




「んー? なんだこれ?」


「これはお前さんらの町の偉い人から預かった書状じゃ! これがわしの身の潔白を証明してくれるはずじゃ!」


「どれどれ……」




 びらびらと風に靡くそれを、猿さんは奪い取るようにして受け取ります。


 老翁が渡したのは書状だったようで、猿さんはそれを目を通すと、次第に眉間の皺を解き、目を見開きました。


 その顔は信じられないものを見たようです。




「……モモさん、どうやらこのじーさんの言うことは、本当みたいっす」


「どう言うことですか?」 




 老翁ははらはらとしながら眺めていましたが、猿さんの発言で理解してもらえたかと安堵の息を漏らしました。




「このじーさんが出した書状は大名が出したものっす。判と紋章から本物かと……」


「見せてください」




 桃太郎は老翁を肩から下ろし、猿さんから書状を受け取ります。


 一通り目を通すと、老翁が不審者ではなく、国の許可を得てやってきた人物であることを理解しました。


 桃太郎は自身が早とちりで捕まえてしまったことに気付き、お供と一緒に頭を下げて謝罪しました。




「この度は私達の勘違いで大変ご迷惑をおかけしました。この謝罪は後日必ずさせていただきます」


「さーせん」


「ごめんなさいね?」


「え、あれ? ……えっと、ごめんなさい?」




 犬は状況がよく分かっていなかったようですが、周りに合わせて頭を下げました。


 それを見た老翁はうんうんと何度か頷き、桃太郎達に頭を上げるように言います。




「分かってもらえたならいいんじゃよ。ほら、もう十分じゃからお顔をあげなされ」


「それじゃ失礼して。それで、じーさんはここで何してたんだ?」




 許しを得て早々に顔を上げた猿さんが老翁に訊ねました。 




「そうだのー、何から話すべきか」


「手短でお願いね?」




「ふむ……実はわし、とある国でサンタクロースをしててな? 今年は海外派遣として日の国に来たんじゃ。それで来てみれば、この国の家には煙突がないではないか、と困っておった次第じゃ」


「んー?」




 説明を受けてもよくわからないという仕草を見せる桃太郎達に、老翁はもう一度噛み砕いた説明をします。




「つまり、こっそりと家に入る方法を探しとったんじゃ」




「泥棒じゃん」


「泥棒ね」


「それは泥棒なのでは?」




「泥棒? 泥棒!」


「へ? あこ、こりゃ、やめるんじゃ!」




 改めて説明を聞き、全員老翁が泥棒だと感じました。


 犬さんは桃太郎から泥棒という言葉を聞くや否や、老翁に飛び付きました。


 老翁はそれに耐えきれず、その場で尻餅をつき、その上に犬さんは馬乗りとなって、普段隠している牙を剥き出しました。




「観念しろ、この泥棒め!」


「ご、誤解じゃ! わしは泥棒などではないと言っとろーに!」




「じゃー聞くが、家に勝手に入ってなにしよーってんだ? 金目のものを取る気なんだろ?」


「ち、違うぞ! サンタクロースはそんな俗物なものではない! 盗むのではなく、与える為に入ろうとしたんじゃ!」




 老翁の言葉に桃太郎達は困惑します。


 何故そんな犯罪まがいなことをしてから与えるのかと。




「一度話し合う必要がありますね。あなたの身元は保証されましたが、それを理由に盗みを許すわけにはいきません。それでは少し、失礼します」


「な、のわー!?」




 桃太郎は有無を言わさずに老翁を再び担ぐと、そのまま駆け出しました。


 お供は突然走り出した主人に遅れながらも追いかけます。








「……つまり、サンタクロースとは子供にプレゼントを無償であげる親切な老夫、ということでしょうか?」


「ずずず……ふぅ、その認識であっとるわい」




 桃太郎の家に連れてこられた老翁は、お茶を啜るとそう答えました。




「変なじーさんだと思ってたが、職業も変だなー」


「それってあなた達に利益はあるのかしら?」




「損得でするものではないのじゃよ、これは。わしらはただ、子供の笑顔が見たいだけなんじゃ。今までは一つの国でしかやってこなかったが、これからは世界中に夢と希望をお届けする、そしてわしはこの国にやってきたのじゃ」


「そうだったのですか……立派なお仕事なのですね」




 世界にはこんな集団がいることを知り、桃太郎の胸はポカポカするように感じられました。




「それでは、ここらで失礼す、る!?」




 ドスン、と重たいものが落ちた音が響く。


 それは立ち上がろうとした老翁が、崩れるようにして倒れてしまった音でした。




「え、じ、じーさんどーした!?」


「だ、大丈夫ですか?」


「きゃー大変、お茶が!」




 桃太郎と猿さんは焦って駆け寄りますが、雉さんは老翁が崩れた拍子に倒れてしまった湯飲みから溢れたお茶を布巾で拭き取ります。


 犬さんは暖かい部屋のせいでゆったりと船を漕いでいます。


 シビアな雉さんと暢気な犬さん。


 そんな二匹の様子に猿さんは溜め息を溢しました。




「サンタさん、どうなさったんですか?」


「こ……」


「こ?」




 駆け寄った桃太郎は老翁を抱き抱えます。


 すると、苦悶の表情を浮かべる老翁は、絞り出すようにして言いました。




「腰を、痛めてもうた……」


「腰を? それはつまり、ギックリ腰というやつでしょうか? でも急にどうして……?」


「もしかして……」




 猿さんはギックリ腰と聞いて、先程犬さんが飛びかかったことを思い出しました。


 あのときのあれで痛めたのかもしれない、と。




「これでは、プレゼントの配達は無理じゃ……くぅ、どうすれば」


「今日でなくては駄目なのですか?」


「そうじゃ、暦で十二月の二十五日の前夜でなくては……」




 苦し気な老翁、それでも尚立ち上がり、プレゼントを届けようとします。


 そんな光景を目にして、桃太郎はあることを決心しました。




「──サンタさん、よければ私達が代わりを務めましょうか?」










「……それで、どうしてこうなったのかしら?」




 雉さんは再び寒空の下に出たことを責めるように、猿さんを睨みます。




「じーさんが腰痛めたから、代わりにオレ達で配達をするんだってさ」


「桃太郎様、安請合いし過ぎじゃないかしら?」


「そこがあの人の良いところだろ? それに、これはオレ達の責任でもあるんだぜ?」




 老翁から預かった荷物の一部を背負う猿さんが、積もった雪にはしゃぐ犬さんを苛立ちを宿した瞳で眺めました。




「……もしかして、あれ?」


「ああ、多分あれだ」




 猿さんのアイコンタクトで察した雉さんは、雪にダイブした犬さんを責めるように睨みます。


 しかし犬さんはそれらに気付いていません。


 言葉にしないとわからないと言っているような彼の態度に、猿さん達は益々苛立ちを覚えました。




「ここが一件目ですか」




 そうしている内に、目的地に到着しました。




「それで、どうやって入るんすか?」


「昔知り合いの忍者から貰い受けた巻物を使います」


「あー、あれっすか」




 桃太郎が取り出した巻物は、忍法影渡りが入った物です。


 これは鬼ヶ島の潜入の際にも使用したもので、猿さんはその時の光景を思い起こしました。


 影に潜み、鬼が隙を見せた直後に斬りかかる桃太郎の勇姿を。




「……っ」




 猿さんは少し身震いを起こしました。


 それは寒さのせいなのか、違うもののせいなのかは猿さんにもわかりませんでした。




「でもいいんですかい? 回数制限があるって言ってたような……」


「構いません。道具は使うためにあるのですから。また今度彼に頼んで新しいのを貰いましょう」




 そう言うと、桃太郎は影に溶けるようにして潜りました。


 どうやら影渡りを発動させたようです。




 影渡りは影を経由して移動する忍術です。


 巻物でやるには回数制限があり、渡らせた人の数だけ回数は減っていきます。


 なので猿さん達は外で待機することになりました。




「ねぇ、ワタシ達来なくて良かったんじゃないかしら?」


「そうかもだが、主人だけ働かせる部下が何処にいるんだよ」




「それはそうだけど、やっぱり寒いからお部屋に居たいじゃない」


「オマエは本当に野生味を失ったな。忠義不足で捨てられても直ぐ死んじまいそうだ」




 猿さんはやれやれというように首を振りました。




「別にいいでしょ、昔から人間はいいなーって思ってたんだから」


「だから、モモさんに着いてきたのか?」


「それもあるけど……一度、猟師に撃たれて死にかけていたときに助けてもらって……」




「あぁ? なんだって?」


「うっさい! なんでもない!」




 後半をゴニョゴニョと呟くせいで聞き取れなかった猿さんは聞き返しますが、雉さんはそれを突っぱねてそっぽを向きました。


 その反応に猿さんはえぇー? と眉を潜めました。




「戻りました」




 そうしていると、桃太郎が影から姿を現しました。


 どうやら終えたようです。




「次に向かいましょう」


「うっす。ところであと何件回るんすか?」




「そうですね、残り二十四件です」 


「多いわね……」




 それを聞いて、雉さんは暖かい囲炉裏が恋しくなってしまいました。


 雪で喜ぶのは犬さんくらいなものです。




 桃太郎一行はそれからも、しんしんと雪が降り積もる道を歩くのでした。




 そして、残り三件となった頃、桃太郎はもうすぐ終わることを老翁に伝えるように雉さんに頼みました。


 雉さんはそれを聞くと、嬉しそうに飛んでいってしまいました。


 よほど寒いのが嫌だったのでしょう。




「ももたろーさんももたろーさん、どうしてももたろーさんはそんなに優しいの?」




 全て届け終えた帰り道で。


 今まではしゃいでいるだけだった犬さんが、唐突にそんなことを訊ねました。


 真意はわかりませんでしたが、桃太郎はそれに真摯に答えます。




「私は別に優しくありませんよ。常に当たり前をしているだけです」




 キッパリとそう告げましたが、二匹のお供は納得していないようです。




「モモさん、当たり前をするっていうが、その当たり前をするのが難しいのをオレは知ってるぞ。オレもモモさんがどうしてそんな風なのか気になるっす」 


「ももたろーさんは、〝当たり前〟だから、親切をするの?」




 二匹のお供の質問に、桃太郎はこう答えます。




「そうですね、私にとって人の為に何かをするのは当たり前だと考えています。それに対しこれといった理由はありません」


「ももたろーさんは、理由もないのに優しいの?」




「私が優しいかは兎も角、親切にするのに理由はありません。ただ……」


「ただ?」




 言葉を途切らせ、一瞬の空白が生まれましたが、桃太郎は続けました。




「誰かの悲しむ顔が、堪らなく苦手なのです」










 その後、桃太郎達は直ぐに家に到着しました。


 桃太郎の言葉が猿さんの頭の中で反芻します。


 あのときの会話は飽きた犬さんが邪魔したせいで有耶無耶になってしまい、聞きそびれたのです。




 また聞こうにも、猿さんは聞き方が分からずもんもんとします。


 どうしたものかと頭を捻っていると。




「……おや? サンタさんと雉さんが居ませんね」




 玄関から入った桃太郎は居る筈の二人が見当たらないことを不思議に思いました。


 当たりをキョロキョロと見回すと、囲炉裏の側に見覚えのない紙切れを見つけました。


 読んでみると、




 『お礼をしたいからここまで来とくれ。キジ君にはその手伝いをしてもらっておる』




 と、雑な地図と一緒にそんなことが書いてありました。


 お礼など不要なのにと思いながらも、桃太郎達は指定された場所に向かいました。




 そこは森の中で、普段人が寄り付かない場所でした。


 猿さんはその事を不審に思いましたが、あの好々爺が変なことするとは思えず、その考えを直ぐに捨てさりました。




「おーい、じーさん来たぞー。雉もどこ行ったー?」 




 到着すると、猿さんが呼び掛けました。


 するとそれに反応して、近くにあった草むら雉さんが出てきました。




「いらっしゃい、待ってたわよ」


「おー雉、さっきぶりだな。それで、じーさんは?」


「あっちで来るのを待ってるわ」




 雉さんはそう言って、森の奥を指し示しました。


 ここじゃないのか? と猿さんは不思議に思いましたが、考えを纏める前に犬さんが駆け出しました。




「わっふーん!」


「あ、おいまて、勝手に行くな!」




 猿さんは犬さんに釣られて森の奥に入ってしまいました。


 そして、二匹が草むらに足を踏み入れた直後、がちんと何かが二匹の足を噛みつきました。


 猿さんが足を見ると、そこにはトラバサミが自身の足に噛みついている光景が目に映りました。




「きゃいん! ぇ、なにこれ!?」


「こ、これはどういうことだ、雉!」




 猿さんはトラバサミを外そうとしますが、びくともしません。


 桃太郎も何が起きたのか分からず、動くことが出来ません。


 そんな彼らに、雉さんはこう告げます。




「……こうするしか、この国は救えないのよ」


「な、なにを言ってんだ、説明しろ!」




「その説明は、わしがしよう」


「「!?」」




 森の奥から、腰を痛めた筈の老翁がすたすたと歩いて出てきました。


 その落ち着いた様子から、猿さんはこの状況を作り出した張本人が老翁であることを悟りました。


 身動きの取れない猿さんは老翁に敵意をもって睨み付けますが、老翁は意に返さずに出会った時のように説明を始めました。




「騙すような真似をして悪いと思っておる。しかし、わしがやったことは正しいことであったとも考えておる」


「……何が言いたいんだ、じーさん」




「お前さんらはこの国に仇なす鬼を退治して、英雄となった。村中の人間はお前さんらを英雄と持て囃した」


「だから、何が言いたい……!」




 猿さんは訳のわからないことを並べる老翁に苛立ちを覚えますが、老翁は言葉を止めずに告げました。




「しかし──お前さんらそれと同時に、鬼の国から仇敵と見なされたのじゃ。桃太郎、お前さんを討つために、鬼の国が動こうとしておる」


「……私を、ですか?」




「そうじゃ、お前さんらが討ち取った鬼達は、鬼の国の私掠船だったのじゃ。鬼の王が国の面子を守るために、勢力を上げてこの国に攻めようとしておる」


「なら、またオレ達で倒せば……」




「鬼の勢力、その数、凡そ一万ほど」


「!?」




 膨大な敵の数を耳にして、猿さんは出しかけの言葉を飲み込みました。


 桃太郎も動揺しています。




「そんなの、勝てるわけが……このままじゃ、国が……」


「だから、なのよ」




 敵の強大さを思いしり、呆然とする猿さんに、居るのを忘れていた雉さんが申し訳なさそうに言いました。




「……雉?」


「だから……桃太郎様を……受け渡すしか、ないのよ……」




「「!?」」




 雉さんの言葉に度胆を抜かれましたが、猿さんは同時にそうなのかもしれないと、考えてしまいました。


 確かに、只でさえ強い鬼を、そんな数を相手取るのは不可能であり、勝てる筈ありません。


 もし負けてしまえば、この国は滅亡を迎えることとなります。




 一体どうするべきなのか迷う猿さんですが、事態は待ってくれません。




「……わかりました。私が行けば、戦争を避けられるのですね?」


「な、モモさん、なに言ってんだ!」




 桃太郎は猿さんを無視して、老翁に歩み寄り始めました。




「モモさん、考え直してくれ! 確かに敵は多いかもしれないが、国が纏まればなんとかなる筈だ!」


「それは無理じゃよ。桃太郎が鬼の国に受け渡すことを、国も認めて……いや、むしろ乗り気でやっておる」




「な、嘘だろ、そんなわけ……っ!」




 猿さんは老翁の出した書状を思い出し、あれは老翁が桃太郎を受け渡すことを許す書状であったことに思い至りました。




「雉、オマエはどうなんだ! 主人を売るような真似して、それでも天下の桃太郎様の部下なのか!」 


「勿論、桃太郎様だけ死なせる気はないわ、私も一緒に死ぬつもりよ」




「お、オマエ、なんで戦おうとしないんだ! やってみなくちゃ──」


「やらなくてもわかるわよ! きっと、いえ、絶対負けるわ! そうなれば、この国は鬼達に蹂躙されて、森も、町も、何もかもがめちゃくちゃにされる! それを見たら、桃太郎様は、絶対に悲しむ……!」




「それが、それでもオレは、オレは──!」




 足を止めない桃太郎を引き留める為にトラバサミから抜け出そうと藻掻きますが、歯をしっかり立てたそれからは決して逃れることは出来ません。


 猿さんにはそれが、逃れられない運命を諭しているように感じさせられ、暴れる力を強めます。




「──あなたは、鬼なのですか?」




 老翁に歩み寄る桃太郎がそう訊ねました。


 それに対し、老翁は小さく首を振り、切なげに答えます。




「わしは外国人じゃよ。今回のこれに鬼は関与しとらんわい」


「貴方は誰かに頼まれて、私を受け渡すのですか?」




「いーや、わしの独断……いや、サンタクロースの総意じゃ。戦争が起きれば、その分不幸が生まれる。戦勝国は潤い、敗戦国は枯れ、その国民は死に絶える。


 それを見過ごすことが、出来ようか? サンタとは子供に夢と希望を与える者、だからこそ、わしは戦争を止めるために来たんじゃ」


「……そうですか、私の命でよければ、どうぞお使いください」




 老翁の元まで辿り着いた桃太郎が、首を差し出すように頭を下げた。




「……すまんな」


「いえ、戦争を止められるなら本望です」


「桃太郎様、ワタシも行くからね?」




 雉さんがそう言うと、老翁は顔を顰めました。




「……桃太郎の首だけあれば、事足りるのじゃが、それでも来るのか?」


「当然よ。主人だけ死地に向かわせる部下が何処にいるって言うの?」


「……そうか、お前さんには悪いことをしたな。大好きな主人を裏切るような真似をさせて……」


「気にすることないわ、それがワタシの覚悟だったから」




「ま、まってくれ、モモさん、モモさん!」




 老翁と立ち去ろうとする桃太郎に止まるよう訴えかけますが、桃太郎は止まりません。


 その後ろ姿はどんどん離れていき、自分では止められないと知り、猿さんの目の奥が熱くなりました。




 すがり付くように伸ばす手は段々と落ちていき、猿さんは光を見失ったかのように俯いてしまいました。




 心が黒いもので埋め尽くされ、もう駄目だと諦めてしまいかけた、その時。


 白い一匹の犬が、桃太郎達の前に立ちはだかりました。




 その後ろ右足からは赤い血が滴っており、無理やりトラバサミから抜け出してきたことが窺えました。




「……犬君、そこを退くんじゃ。それともお前さんも一緒に来るのか?」




「……ももたろーさんももたろーさん、どうしてももたろーさんは、そんなに優しいの?」




 老翁の言葉を無視して、犬さんは桃太郎に問いかけました。


 その問いは先程と同じもので、桃太郎は不審に思いましたが律儀にそれに答えます。




「私は別に優しくありませんよ。常に当たり前をしているだけです」


「ももたろーさんは、〝当たり前〟だから、親切をするの?」




「……そうですね、私にとって人の為に何かをするのは当たり前だと考えています。それに対してこれといった理由はありません」


「ももたろーさんは、理由もないのに優しいの?」




「私が優しいかは兎も角、親切にするのに理由はありません」




 その会話は先程の再現のようでしたが、次の犬さんの言葉は新しいものでした。




「ただ、誰かの悲しむ顔が、堪らなく苦手。それってやっぱり、優しいんだよ、ももたろーさんは。ボク達は知ってるよ? ももたろーさんが世界で一番優しいって。だから今も、自分を平気で死なせようとしてる」


「……犬、邪魔よ。そこを退きなさい」




「ボク達は知ってるよ? ももたろーさんが、すっごく頭がいいことを……いつもその頭で、皆のこと考えてることも」




 普段の能天気さは鳴りを潜め、犬さんは桃太郎に語りかけます。




「戦って駄目なら、話し合いで解決しよーよ。ももたろーさんなら出来るでしょう?」


「……犬君、それは不可能じゃ。お前さんらには干渉権も交渉権もない、お前さんらの話は聞く耳を持たれんじゃろう」




「じゃー、サンタさんなら鬼さん達と話せるの? ボク達が駄目なら、サンタさんならどうなの?」


「それは……」




「ねー、どうなの?」




 犬さんはキラキラとしたつぶらな瞳で老翁を見つめます。




「それに、どうせ死ぬならその前に話し合おうよ。ももたろーさんなら、きっと上手くやれるよ」


「犬……」




「だってももたろーさんは、日の本一の、桃太郎なんだから」




「……」




 説得力はあまりありませんが、犬さんの言葉には桃太郎に対する全般の信頼が寄せられたものでした。


 この人なら出来ると信じきったからこそ出せた言葉でした。




「そ、そうっすよモモさん! 戦いが無理でも、まだ手はあるんす! だから、諦めたりなんてしねーでくだせぇ!」




 犬さんの言葉に目を覚ました猿さんが、再び桃太郎に呼び掛けました。


 桃太郎は瞑目し、考えを纏めると、隣に立っていた老翁と向き合いました。




「サンタさん、お願いがあります」


「……何を頼むかはだいたい予想がついとる。で、なんじゃ?」




「私を鬼の国に、交渉をするために連れていってください」




 老翁は桃太郎の言葉を聞き、やれやれと頭を振るう。




「犬君に言った通り、お前さんらは交渉も干渉も出来ん……しかし、会うことなら可能じゃ。失敗すれば即刻死刑となることじゃろう。それでも構わんのか?」


「……構いません。元々死ぬつもりでしたので」


「ならば連れていってやる。そこでどうするかはお前さん次第じゃ」




 交渉成立、というように二人は握手を交わしました。


 猿さんと犬さんはそれを見て、弾けるように喜びました。




「犬、ありがとう、ありがとう! オマエが居なければ、モモさんを止められなかった。いつもバカ犬だなんて思ってて悪かった! オマエは日の本一の賢い犬だ!」


「わっふふーん、当然だよサル君。なんてったって、ボクはももたろーさんの部下なんだから!」




 しきりに喜びあった猿さんは、気持ちが落ち着くと雉さんを睨みました。




「それで、酌量は? 裏切り者」


「別にないわ。私は最善を尽くしただけよ」




「……。そうかよ。今回はなかったことにしてやる。オマエなりに悩んだ末に、一緒に死ぬことを選んだんだろ?」




 猿さんはあのとき雉さんが見せた苦しげな表情を思い出しました。


 許したのは、彼女も悩んだ末に、断腸の思いで切り出した答えだったことを理解していたからです。




「……別に、恨んでくれて構わないわ。あと、足は平気?」


「ん? ああ、少し痛むが、犬の傷に比べたらな」


「そうね……」




 犬さんはガッチリと噛みついたトラバサミを強引に抜け出したせいで、足がズタズタに怪我をしてしまったのです。


 雉さんはその痛々しい足を見て、自分の心がざわめくのを感じました。




「ももたろーさんももたろーさん、これからどーするの?」




 大怪我を負った筈の犬さんはそれをおくびにも出さずに訊ねました。




「これから私はサンタさんと一緒に鬼の国を目指します……着いてきてくれますか?」




「愚問っすよ」


「死ぬまで一緒よ」


「ずっと着いていくよ!」




 三匹は桃太郎の問いに、はちきれんばかりの笑顔で答えました。


 桃太郎は部下に恵まれたことを感謝し、老翁に向き合います。




「……それでは、行きましょう。案内お願いします」


「うむ。ところで交渉材料はあるのかのう?」




「財宝の返却、それと、一つ考えがあります」


「……そうかね、なら、行くとしよう」




 桃太郎一行は、今度は戦うためではなく、話し合う為に、鬼が待つ都に向けて出発しました。




 出発と同時に明けた朝日が、彼らの旅路を祝福しているかのように老翁は感じられました。






 


 ここで一幕を閉じるとしましょう。


 続きは、また出会った時にでもしましょう。




 めでたし、めでたし。






  ‐fin‐


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