葉桜の候~秘すれば花なり

fujimiya(藤宮彩貴)

第1話 脱走

「水原が逃げた」


 苦みきった顔で、歳三は言い捨てた。珍しく、舌打ちさえした。


「なんだって」

「ほんとうですか」


 ひそかにこの日、副長の歳三に呼び出されたのは、さくらと総司。ありそうでなかった、意外な組み合わせ。


 話の内容とはうらはらに、春の昼下がりは思わず午睡したくなるほど、やさしくおだやかだった。密談中とはいえ、中庭に面した障子は開いたまま。若緑が、目にもまぶしく揃いはじめている。


 水原、という隊士は入隊して半年ぐらいだろうか。水原三郎。さくらはその隊士について、できる限り思い出してみた。年齢は二十歳ぐらいで、確か、播磨のほうから出てきたと聞いた覚えがある。隊の中では、目立たないほうだった。


「おい。入隊試験で、お前が認めたやつだったんじゃないか」


 さくらは、総司の脇腹を人差し指で、つついた。


「筋はわりとよかったんですよ。島崎先生だって、そう言ってましたよ?」

「……だが、お前の部下だろうに」


 脱走。隊規に照らし合わせれば、その行為が背負うものは、切腹。


「西……とある温泉へ逃げた、という知らせが入った。今から、お前らふたりで水原を追え。あっちで、山崎が待っている。こいつは密命だ」



 指示通り、ふたりは西へ向かう準備をはじめた。


 行き先は、京から半日ほどで到着する、とある温泉町。

 さくらと総司は、さんざん口論した挙句、総司は商家の旦那風、さくらはその姉。もとは江戸出身の姉弟だが京で商いをしており、法事で西国へ向かう途中、という設定にした。ふたりの演技力では、妥当なところだ。

 着替え、化粧をしてかつらをかぶる。


「じょそう……!」

「失礼なやつだな、腹をかかえて笑うなんて」

「でも、島崎先生の女姿なんて、久しぶり……息ができない。笑いすぎて苦しいや、あははっ」


 ぶん殴る、こいつ、ぶん殴る。密命が終わったら、承知しない。さくらは心の中で呪いを唱えた。本人も気にしていることを、ずけずけと指摘された。


 女の着物に袖を通すたび、着付け方を忘れていないか、間違っていないかと緊張する。紅だって、めったに使わないので、表面が乾いてひからびているのを見てぞっとした。いつか、自分もこうなってしまうのではないかと震えた。


「温泉へ調査に行くんだ、武家姿だったら目立つだろうが。なんなら、お前が女役をしてもいいんだぞ、総司」

「御免ですねそいつは」


 こっちだって。女装するには、総司は長身すぎる。密命の相棒が、山南さんだったらうれしかったのに。そうしたら、たぶん夫婦設定だったのに。さくらは気がつかれないようにため息をついた。


「くっそ、行くぞ総司。遅れを取るな」


 絶対絶対手柄を立ててやる。さくらは誓った。

 屯所の裏口から、ふたりは出発した。

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