小さきもの

ヒコバエ

プロローグ

 蹴られた。突然に、何の前触れもなく、私は飛ばされた。

正午過ぎ、都会の大通り沿いの歩道。人通りもそれなりに多い。そんな中、二〇代前半と思しき男は一切の躊躇なしに私を傷つけた。

 だが男はどうにも悪びれる様子がない。そもそも私を蹴るその瞬間まで私を認識すらしていなかったようにも思える。もっと言えば、男のつま先が私に触れたその瞬間でさえ、男は私に特別に意識を向けなかった。

 一瞬目線はこちらに向けたが、私を見つけるなりまた前を向きなおしてそのまま行ってしまった。足が止まることは一度もない。男の近くには数人が行きかっていたが、彼らもまた蹴られた私に関心はなかった。

 こんな風にわざわざ相手を観察はしているが、正直なところこれは日常茶飯事であり、いい加減無になって、周りのことなど考えない方がいいようにも思う。彼らをいくら見つめたって現状は何も変わらない。彼らからすれば、私は見えていないも同然である。価値も見出してはいないし、私が何かしでかすとかそんな脅威としても捉えてはいない。ともかく彼らにとって私は無害であり、あってないようなものなのである。


 しばらくすると、今度は三〇代辺りの女が私を蹴った。私はそばの街路樹の辺りまで転がる。この女もどうやら悪気はないらしい。私は飛ばされ痛みに悶えているのに、彼女には私が見えてもいないらしい。女は左手に抱えたスマホとか言う小さな物体に夢中のようだ。今の彼女にとってはそのスマホの中の世界こそが全てなのだろうか。私にとってここから見える景色が世界の全てであるのと同じように。

 ついには一度も私に視線を落とすことなく、女はそそくさとこの場を去っていった。ただ黙って地に伏している自分が情けなく思えた。誰も私には興味がないのであろうか。…まだ体がズキズキと痛む。

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