第4ステージ コイは見間違い!?④
大宮の帰りに早速指南されるのかと思ったがそうとはならなかった。俺の全身の写真を撮り、身長やサイズを伝えるだけでその日は解散となった。
「いったい何をされるのだろうか」と心配していたので、少し安心した。
だが、事が起きたのは当日だった。
リリイベの日は事前に東京駅で集合と言われ、時間通りに着いた。合流するや否や、駅から少し歩いたところに連れていかれた。
「ここ、何!?」
「パウダールームです」
「ぱうだーるーむ?」
「何で初めて聞くような顔をしているんですか? 要はメイクと着替えができる場所です。ここは鍵付き個室なので安心、安全なところで便利なんです」
「へー」
レンタル化粧スペースとでも言えばいいだろうか。東京駅近くにそんな場所があるんだな。当然聞いたことがない。お手洗いや移動しながらするのとは違って、きちっと準備したい時には便利な場所だろう。東京生まれながら、まだまだ知らない世界があるものだ。
「感心している場合じゃないですよ」
「うん?」
「だって、ハレさんのために来たんですから」
何も考えずに入ってしまったが、そう、彼女は言っていたじゃないか。
――私があなたの師匠になります、と。
にやにやと笑うあずみちゃんに抵抗することはできない。気づけばもう個室の中で逃げ場を失った。やけに大荷物だなと思ったら、それは全部俺がこれから『何か』されるための道具だったというわけだ。
「お、落ち着こう、あずみちゃん」
「落ち着くのはハレさんです。覚悟を決めてください、ぐへへ」
「口からよだれ垂れているから! 近い、上着をとらないで、たすけてーーーーー」
個室に閉じ込められた俺の悲鳴は、何処にも聞こえない。
「うう、ひどい目にあった……」
「人聞きの悪いことを!」
着替えたあとは鏡の前に座らされ、自分の変身中の姿と直面する。
「おでこをこんなに出すなんて、恥ずかしいんだけど!」
「手で隠さないー。アイロンで髪を巻くんでじっとしてください」
「無理だよ、俺には無理だよ」
「今日は俺禁止ですー。ちゃんと『私』と言わないと、聞きません」
「いや、それも俺には無理だから」
「はい、アウトー。無理無理言わないー。ほら、明るい感じになりましたよ」
「自分の姿を直視できない」
「メイクするんでちゃんと前見て鏡を見てください」
「拷問だ、非人道的だ……」
「唯奈さまのためですよ。少し黙っていようか」
「うう……、あずみちゃんが怖い……」
そして、俺……違う、唯奈さまに見せる最高の『私』とやらが出来上がったのであった。
× × ×
秋葉原のイベント会場に着くまでで、エネルギーが尽きそうだった。
「……足がスースーする」
普段とは違ったスカート姿で、防御力が格段に低い。思えば、大学生になって初めてスカートを履いた気がする。その違和感についつい内股になってしまう。おかしい! なんだこれ。自分が自分じゃない気がする。
「そんな初めて女装した主人公みたいな台詞言わないでください! ハレさんだって、高校生の頃はスカートだったでしょ」
「スカートの下にジャージを履いていた」
「……もう本当に期待を裏切らないですね。褒めてないですよ」
先に言葉で止められた。
規則も緩く、周りもそんな感じだったし、スラックスも制服として選べる学校だったのでそんなに違和感はなかった。
「スカート履きなれてないハレさんのためを思って、膝まで隠れるサロペットスカートにしたんですよ?」
お店のガラスにちらりと写る自分の姿を見る。
ギンガムチェックのサロペットスカート。チェックは薄めの黒と白で、上も繋がっている白色のワンピース型……らしい。服を着るときに説明されたが、聞きなれない魔法の言葉ばかりで混乱した。
そしてそんな自分の姿をみて、さらに困惑する。
「うぅ……歩きづらい」
「今日のハレさん可愛すぎます。……持って帰っていいですか」
「駄目です」
こんな格好をしているので、いつもの男口調も引っ込んでしまった。あずみちゃんのコーディネートおそるべし……。
「それに歩きづらくはないですよね。ヒールは無理だと思ったんで歩きやすいスニーカーにしたんですよ?」
「それはありがたいけど……。おでこに風があたる」
足の露出、あずみちゃん的には少しだけらしいけど、それ以外に髪を内巻にカールされ、左耳は出し、さらにおでこもけっこう出ている。
上に下に今日のわたっ、俺は防御力が低い。低すぎる。
「やっぱり、素材がいいですよねハレさん。今日はスタイルの良さを出さないように緩めの格好にしましたが、もっと体のラインが出る格好にしてもいいかもしれません」
コーディネートした師匠がご満悦だ。
次があるのは困るので、口答えする。
「スタイルがいいって、胸がぺったんこってことでしょ」
「ハレさん、台詞がアニメキャラっぽい感じになってきましたよ。口調ももう女の子です」
「元から女です!」
女装しているわけでないし、個室で着替えさせられた際に下着姿もばっちり見られている。「今日はいいですけど、もっと可愛いの身につけましょうね……」とちょっと呆れられはしたけど。ちょっと?
「そうやって気にして、赤面するのも可愛いですね。今日は最高です。ありがとう、ハレさん」
「……まだ唯奈さまに会えてないので、最高じゃない」
「お、やる気満々ですね」
「……そういうわけじゃないし」
見上げると青い建物が目に入る。
普段の何倍もかけて歩いたが、目的の場所に辿り着いてしまった。
「さぁ行きますよ。唯奈さまに会いましょう」
「……逃げ出したい」
言い切る前に、腕をがっちりと掴まれた。
覚悟を決めるしかないらしい。
自分が自分じゃない感じで、不安になる。
それでも唯奈さまに会いたい気持ちが勝ったのは、さすがオタクだなと思った。
× × ×
整理番号に従い、イベントスペースに入る。パイプ椅子が所狭しと並べられ、前には長机が配置されていた。そこに唯奈さまが座り、少しの時間トークをして、その後サイン会を行うのだ。
先にパイプ椅子に座り、隣に彼女が座る。整理番号は自分が先で、その後にあずみちゃんだ。
椅子に座るのも、スカートだと落ち着かない。
今までどうやって生きてきたんだろう、という気になってくる。
「たくさんってわけじゃないですけど、大宮より入りますね」
彼女の言葉に反応して、辺りを見渡す。ざっと50人以上はすでにいるだろうか。
その中で女性ファンは少ない。予想通りほとんどが男性だ。
普段の自分ならその中に溶け込むことができるが、今日はそうはいかない。ここにいるだけで浮いてしまう。
「……格好、変じゃない?」
「変じゃないですよ。メイド服やチャイナ服といった奇抜さではなく、大学にいそうなお洒落さんって感じで、大それた冒険はしていないので違和感ありません。……この会場では多少浮きますけど、街に出れば注目されることはありませんね。あ、でも今日のハレさんの可愛さなら、10人中10人は振り向きます」
そんな誉め言葉が欲しかったんじゃない。
顔が熱くなるのを感じる。
そんな顔を見られたくないと思い、あずみちゃんから視線を逸らすと、ちょうど左斜め前の席に男性が座ったのが見えた。
そのシルエットには見覚えがあった。
「げ」
それはつい先日の大宮のリリイベでも会ったオタク仲間、灰騎士だった。
来ていることは知っていたが、待機場所がこんなに近いとは不運だ。
顔を下に向け、こっちを見るなーと心の中で祈る。
だが、
「あ」
灰騎士が声をあげる。
気づかれた。灰騎士が話しかけてくる。
「えーっと、ハレさんの彼女の」
「あずみです」
俺ではなく、あずみちゃんに向かって。
「彼女じゃっ」
「じゃない」と言おうとしたら腕をつねられた。
「彼女のあずみです」
違うし! でも、バレたらいけないと思うと何も言えない私、いや俺がいた。もう調子狂う!
そう、灰騎士は俺でなく、あずみちゃんに気づき、話しかけたのだ。
つまり……バレてない。
「今日はハレ氏とじゃなく、お友達と一緒なんですね」
「ええ、そうなんです」
お友達と言われ、目を合わせず、少しだけ会釈する。
……本当に気づかれていない。
「ハレ氏も秋葉原に来ると言ってましたが、まだ来てないようでござるな」
「ハレさん緊張しすぎて、昨日なかなか寝れなかったそうですよ」
「ははは、前回の大宮も緊張していましたからな」
俺がここにいないと思い、話が進む。居心地が悪い。ちゃんと今回は寝れたし! こんな格好をすると思っていなかったら、すっかり安心して8時間も熟睡したし!
と、心の中で叫ぶしかできない。
「あずみ氏も、お友達さんも今日は楽しみましょう」
「全力で楽しみましょう!」
周りに他のお客さんもいるので、話は早々に終了した。
そもそもあずみちゃんと灰騎士は面識があるようで、ない。2回も遭遇したが、まともに会話したのは初めてだろう。それも俺という共通項があったからだ。
その共通項はすぐ近くにいたんだけどな……。
「ばっちしですね、ハレさん」
あずみちゃんが小声で話しかけてくる。
「灰騎士さんも全く気づきませんでした。さすが私です!」
別に変装しているわけじゃないが、会ったことのある灰騎士が気づかないのだから、相当普段の自分と違うのだろう。
嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだ。
しかし、そんな気持ちは天使の登場によって吹き飛んでしまう。
リリイベが始まり、天使である唯奈さまが再びこの世界に舞い降りたのだった。
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