九章 王女様(しあわせ)の物語
『私は昔、本当の王女様とお友達だったの。これはそんな幸せな物語(おはなし)』
最初にその一言を書いて私の祖母の物語が始まる。
あれから私は司書院で時間がある時は祖母の語ってくれた王女様の物語を執筆する様になった。それは私以外には誰も知らない、昔この国で本当にあったお話だ。
今日はどの話を書こうか。マギーが私に話してくれた物語は山の様にある。その言葉を思い出しながら、今度は私を通じて幸せな物語として書き綴っていくのだ。
教授が淹れてくれたお茶に口を付ける。普段淹れない癖に相変わらず教授が淹れるお茶はとても美味しい。最近は私が物語を書き始めると淹れて来てくれる。上機嫌なのか気を遣ってくれているのか、今回はどちらなのだろう……そんな事を毎回考えてしまう。
思い出とは本当に不思議だ。どんなに辛く悲しい事があってもいつかは懐かしく感じられる様になる。楽しく嬉しい事は幸せだった思い出に、辛く悲しい事は優しい思い出に。
きっと私の大好きなお婆ちゃん、マギーはそうやって立ち直っていったのだ。
悲劇は確かにあったのだろう。悲しくて辛い記憶に苦しむ事だってある。それでもこうやって人生が続いていく限り、いつか優しい思い出に変わる。その時は苦しくて堪らないとしても時間と誰かの存在が癒してくれる。そして得られた事があった事に気付くのだ。
だって人は悲しみを土台にして、より良く生きる事を願う生き物なのだから。
*
祖父母の家から帰って、私は
あの家を最初に訪れてからろくすっぽ食事を摂っていなかったのも悪かったのだろうが、私は手記を見つけてから相当に無理をした結果、疲労の末に倒れてしまったのだった。
何とか山道を歩いて戻ってきたけれど途中からは殆ど何も憶えていない。ただ、広い背中の温かい感触に揺られていた事だけは薄っすらと憶えている。
そして施術院で目覚めた私は薬師の先生に散々お小言を喰らう事になってしまった。
兎に角何か温かい物を食べないと不味いと言う事で、温かいスープにパンを浸した物を食べた。三日間の間殆ど何も食べていなかった所為で身体が相当参ってしまった様だ。
スープに浸したパンはとても柔らかくて美味しかった。それに温かいスープはまるで私の中の固まった何かをほぐしてくれる様だった。余り量は食べられなかったが落ち着いた。
そして何故か毎日の様に教授が様子を見にやってくる。相変わらずの口調だが何処か柔らかくなったと感じる。そんなに生優しい性格では無かった筈なのだけれど不思議だ。
そうして瞬く間に数日が過ぎて退院した私は真っ先に司書院へと向かった。本当ならもっと前に就労していなければならない筈だったからだ。だけど問題は何も無かった。
と言うのも祖母の手記の件で予定より早期就労していた扱いになっていた為だった。
しかしまさか、教授が本当にこの司書院の最高責任者だとは思っていなかった。そしてその下に付いて補佐をする私は想像以上に大層な立場だった。他の職員達からはやっぱり教授と同類だと思われているらしい。何せ予定より早く仕事を始めて研究に没頭する余り倒れた事になっていて、少し複雑な心境になったが特に訂正する事はしなかった。
あの時、王女の丘で眠る祖父母を前にしたマルコルフ教授を見て、この人と同類に思われるのなら悪くはない――そう思ったからだ。
「――しかしまさか、こんな方法で立ち向かう事を考えるとはな。お前もここの活用方法が分かってきたと言う事か。中々そんな大胆な事は考えつける物ではないだろうに」
そう言いながら教授はご機嫌でお茶を淹れたカップを携えてくる。他の人には一切出すそぶりも見せない癖に何故か最近、私に対しては頻繁に淹れてくれる。
そう言えば最近になって少し気付いた事があった。
教授は機嫌が良い時と相手に気遣う時は必ずお茶を淹れるらしい、と言う事だ。それ以外ではほぼ絶対にお茶なんて出そうとはしない。司書院の職員でも教授が手ずから淹れたお茶を口にした者はいないらしい。まあ、ルーシア姫については教授も一緒に研究調査をしていたから、その一件が今回の事で一気に進んだと言うのもあるんだと思う。きっと少し落ち着けば出してくれなくなると思うが、果たして今回のお茶はどちらなのだろう。
そんな事を考えながら、お礼を言って私はカップを受け取った。
*
あれから私が最初に考えたのは古い物語を新しい物語へと編纂する事だった。
教授も言った通り、『悪姫童話』は浸透し過ぎて既に手の打ちようがない。そこで司書院お墨付きの正統版として『本来の悪姫童話はこうだった』と啓蒙する事を考えたのだ。
元々人々の信じていた『悪姫』は実は良い姫君だったと言うのではなく、ルーシア姫と言う『美しく善良な姫君』に成り済ました偽物だった――という事に置き換える。浸透している『悪姫童話』にぶつけるのではなく、伝わっている話は実は善良なお姫様の部分が省略されてお姫様自身が邪悪な存在と言う事になってしまった、としてしまうのだ。
長く信じられてきた物語は否定しても受け入れられない。特におとぎ話として小さい頃から聞かされてきた物を否定すれば反発する人もいる。例えば昔の私の様に。それならば元の流れをそのままに修正した方が誰も傷付かないし王女様の汚名も返上出来る。
幼い頃の経験を踏まえた上で、そんな風に私は考えたのだった。
それにルーシア姫の名前は古い言葉で『輝き』や『光』を意味するらしい。なら都合も良いし、邪悪なお姫様はさしずめ『闇姫』みたいな空想の存在で良い。実際に生きた人を邪悪な存在にする位なら、荒唐無稽でも誰も悪者にされない方が遥かにマシだ。
まあ、その辺りの詳細については教授と相談しながら決めていく事になると思う。
兎も角、この方法なら従来ある物に手を加えるだけで違う意味に出来る。元々あった物を否定せず登場人物の王女様を悪役にせずに済むのだ。そしてその裏付けの為に司書院の記録として公式な物にする。その為には当然、王女の身元について明確にする必要がある。
現在、ルーシア・フィオメナ・グリゼルマ王女殿下と言う存在について、かつての様に『謎だらけで得体の知れない王族らしき人物』と言う記録は既に抹消されている。正式にグリゼルマ王国十七代国王エリオット王の娘であったと修正変更が為された。これはリーゼン王国にある司書院本局を通じて各地にある支局へ伝達されていく。
こうやって司書院で正式に記録された王女の素性と童話、つまり伝承は正式な物として扱われる。例え元々の話を知っていたとしても違和感なく『実はあの童話は本当はこう言うお話だったんだよ』と補完するだけで受け入れられ易くなるに違いない。このやり方が通用するのも全ては司書院と言う組織、つまり元はリーゼン王国の公的機関だったと言う信用を活用出来なければ到底実現は出来なかっただろう。
しかし今回の研究調査で祖母の手記だけでなく、王女殿下の遊技盤も保管申請される事となり、事実であった証明としても大きな説得力となった。一般には公開される事は無いが実際に王女の遺髪まで残されているのだから信じない者もいない。
そしてその為にも新しく語られる『悪姫童話』と並行してルーシア姫の逸話も語られる必要がある。善人の姫君の逸話も普及しなければ悪姫と再び同一視されるかも知れない。
祖母の昔語りを聞いてルーシア姫の本当の姿を知るのはもう私しかいない。だから後は私が頑張って、私にしか出来ない事をやる。その為ならどんなに大変でもやり遂げる。
そんな計画を相談すると、マルコルフ教授はニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。
「――流石はロジャー氏の孫だ。しかし確かに私も『伝承とは揺るがない物』とは言ったが……それでも逆にそれ自体を利用するだなんて考えもしなかったのだよ。揺るがないならば同じく揺るがない物をぶつける、と言うのは最良の発想だ。その上司書院のお墨付きともなれば正式な伝承として語り継がれる可能性も高い。まして処刑されて笑う首の王女が実は偽物だったと言うのは皮肉が効いていて実に私好みなやり方だ。しかしならば、本物の王女はどうなった事にするのかが問題だが、お前は一体どうするつもりなのだ?」
教授のそんな感想と質問を聞きながら、私は収束の付け方を考えた。
私が知る王女様の最期はとても辛くて悲しい結末だ。だけどこれは歴史書ではないから真実かどうかは問題ではない。かと言って現実に起きた出来事を否定するつもりもない。
しかしこれから生きる子供達――昔語りを聞いて育つ子供達には何も背負わせたくない。
特に女の子にとって『お姫様』は憧れであって、恐れたり悔やむ対象ではないのだから。
ならば祖母から受け継いだ私が残すのは幸せな、王女様の物語だけで良い。
結局私は物語の結末を決めない事にした。元々あれだけ嘘まみれでも『悪姫童話』は信じられ続けていたし誰も疑う事もしなかった。なら結末がなくても良いじゃないか。
ルーシア姫は歴史の上で正当なグリゼルマ王国の王女殿下として扱われる。そして童話の中ではこれからずっと幸せの中で『憧れる対象』のままであり続けて欲しい。
それに遊戯盤と違って、童話には『収束』させる必要なんてないのだから。
私の出した結論に教授は特に文句も何も述べる事は無かった。
ただ一言『そうか』とだけ言って、私が決めた事に反対はしなかった。
「まあ、その為にも現在流れている『悪姫』の全ての物語を掌握する必要がある。でないと半端に残った逸話からどう発展するか分からん。それを全て抑えるだけ書かねばならんと言う事だが……小さなアニーよ、お前はまだそれだけ頑張れるか?」
そんな風に、むしろ愉しそうに私がどうするのかと尋ねてくる。
まあ、何とでもなるだろう。それにこれは私が決めた『覚悟』だ。調べても何も分からなかったあの頃に比べれば遥かにマシだ。だって私には幼い頃から祖母が語ってくれた数多くの物語がある。それを思い出しながら書き綴る事に一体どんな苦労があるのだろう。
こうして私は司書院で働きながら、子供達に向けた童話を綴る事となったのだった。
*
そうやって忙しく毎日を送っている内に以前、教授が問い合わせたリーゼン王国軍の軍事行動についての詳細報告書が届いた。なんと驚いた事にリーゼン王家の直々のサインまで付いている。内容は教授が予想していた通りで、これがルーシア・フィオメナ・グリゼルマ王女の存在が歴史的表舞台で公式に取り扱われる決め手へと繋がった。
当時、リーゼン王国の王家宛にグリゼルマ王家の紋章付きで書状が届いたらしい。これが届いたのはグリゼルマ革命が起きる少し前の頃だ。その中にはルーシア姫のサインとロジャー・ハワードのサインが記載されていた。
内容はシンプルで、王国が革命により滅亡する事、その際はリーゼン王国が主体となって統治を行って欲しいという希望が書かれてあった。末尾には小さく、可能であれば国民が自分達だけで生きていける様に助けてやって欲しい、とも書かれてあったそうだ。
そんな協定も何もかも無視した内容で、当然リーゼン王国は対処方法で揉めた。
記された王女の名は全く知られていなかったが、ハワード将軍の息子はリーゼン王国であっても遊技盤の件で相当な有名人であったらしく無視する事も出来ない。そこで半信半疑ではある物の仕方無く国境付近で軍を一応待機させていると、なんと、本当に騒ぎが起こった。慌ててリーゼン王国軍が駆けつけてみると、既に王族は全て殺された後だ。
結局その後片付けをする羽目になったが、一応対処は準備していたしグリゼルマ王国の持つ資源を得る機会を得て、リーゼン王国としてはマイナスは無かった。
特に当時のリーゼン国王は既に政にはほぼ関わっておらず、書状にあった通り国民の希望に沿う形で共和国としての独立は認めて支援する事が決まったらしい。それらは全てリーゼン国王が『助けてやった方が良いのではないか』と言う一言で決まったそうだ。
結果としてそれが周辺諸国に高く評価されたから充分過ぎる結果だろう。ただ、革命が起きた理由はリーゼン王国が間接的に関与していたのかも知れないと推測が記されていた。
リーゼン王国は王制でありながら遥かに革新的な国で、国民に課せられる税金が非常に安く設定されていた。教授の話によると王家自体が流通網を管理していて物資輸送の際の関税だけで充分な利益を出していたらしい。報告書にはその税率の差がグリゼルマ王国の国民達にとって垂涎の的だった可能性が非常に高い、と締めくくられていた。
流石にその理由には私も怒りを禁じ得ないが、考えてみれば私が司書管理官になる為にリーゼン王国に滞在していた時も国の空気は非常に緩かった。王制国家なのに妙に楽観的な空気が漂っていて共和国からやってきた私でもかなり過ごし易い国だった。
それに対してグリゼルマ王国は普通の王制国家で王家は原則税収で賄っていた。もしかしたら革命が起きた理由が隣国と自国を比較した結果だとすれば色々とやりきれない。
しかしそれでも王女様はロジャーと共に、思った通りに事を進めた訳だ。教授の脚色が入っている気もするが、おそらくそれが全てなのだろう。
ルーシア王女殿下の思惑通り『遊戯盤』の上で駒は進み、全ての目的を達成したのだ。
そしてリーゼン王国王家からの書状は二通あって、その内の一つはなんと私個人に宛てられた物だった。更に現国王の印が封蝋の上に押されていて何事かと驚く事となった。
三代前のリーゼン王はフィオメナと言う銀髪の少女を知っていたそうだ。その少女が後に産んだ娘の名がルーシア。書かれた内容を見る限りフィオメナと言う女性は王族や貴族とはまた違った立場だが平民でも無かった。その辺りの詳細については書かれていないが少なくともルーシア姫の母親はリーゼン所縁の人物だったらしい。そう言えばリーゼン王国では王族に生まれた銀髪の娘は神殿で巫女になる習慣がある。これはあくまで私個人の推測だが、もしかしたらフィオメナと言う女性は神殿の関係者だったのかも知れない。
兎も角、流石に予想していなかった情報に私は大いに戸惑う事となった。
そして書状の最後には祖母マギーと私に対する感謝の言葉で締め括られていた。書き方を見る限りリーゼン王家はルーシア姫の悪評に心を痛めていた、と言う風にも見える。
王家の手紙に私が頬を引きつらせていると、内容を知らない教授が満足げに口を開く。
「――普通の王族ならば、こんな依頼なぞ考えもしないだろうな。滅亡する前提で他国を利用するとは。リーゼンが仲裁に入ったのが革命直後で、民衆も貴族をそれ以上追い立てられなくなった。王家自体は滅亡したから納得せざるを得ん。結果、ロジャー氏と祖母君が狙われる事自体が無くなってしまった。まさか王族が友を守る為だけにそんな決断を下すとは誰も考えん。結果として王女はグリゼルマ自体を守ってしまった、と言う事だな」
そう言うと教授は『そんな姫君ならば是非お会いしたかった』と愉しそうに笑った。
*
さて、これで全てが終わったと言う訳ではない。逆に新しい疑問が生まれてしまった。
これは教授の話を聞いてからずっと気になっている事で、祖父ロジャーに関してだ。
ロジャーは王女の下命を受け、マギーを守る為だけに人生を掛けたと教授は言った。
それはつまり『命令を受けた為、遂行した』と言う事でしか無い。
ならば『マギーを愛して居なかった』のでは無いか、と言う疑問だ。
もしかしたらロジャーがマギーと添い遂げたのはあくまで義務や使命感であって、マギーを愛していたから一緒になったと言う訳では無いのではないか――そんな疑問が私の中で新しく芽生えてしまったのだ。私は女だから、マギーや王女様についてはとても共感を憶える。だがロジャー――男性の考え方について、特にこの件では共感出来ないのだ。
確かに祖父ロジャーが成し遂げた事は素晴らしい事なのかも知れない。しかしそれは人間としてみると、特に男女の関係としてみると納得がいかない。
私もまさか、そんな祖父の事で悩む事になるだなんて思いもしなかった。
「あのな……ロジャー氏は曲がりなりにも騎士だぞ。そんな理由だけで女性と通じたりはせんよ……というかな、そんな任務や命令に忠実な人間が守るべき対象に手を出すと考えられるか? 大体な、お前……もうちょっと自分の祖父の事を信用してはやれんのか?」
流石に呆れた様に教授はそう言うが、それでも一度芽生えてしまったそう言う疑問というのは中々頭から離れてくれないものだ。
そもそも『騎士とはそう言う者』と言われても私に分かる筈が無い。何故なら私は騎士ではないし、美談として受け入れる事が出来ないのだ。今となってはマギーだけでなく、ロジャーの事も好きだ。私としては二人はお互いに好いた者同士であって欲しいと思う。
しかしあんな話を聞いた上ではそれを素直に信じる事が出来ない。
教授は王女がロジャーに守れと言ったのだと推測したが、もし王女がロジャーに対して『マギーと添い遂げろ』と言えば、素直な騎士はやはり素直に守ってしまう気がする。
残念ながら私は男女交際をしたことがないから、どうにも納得出来ないのだ。
「お前は……何と言うか、実は相当に疑い深い女だったのだな。普段はもっとサバサバしている様に見えるのに案外恋愛については用心深い性分なのかもしれんな。こうなるとお前の連れ添いになる奴が憐れでならんよ……」
教授が言い難そうに、苦笑する様に言うが、そんな風に言われても私も困る。
既に二人共亡くなっているから尋ねる事も出来ないし、こんな相談を一体誰にすれば良いのか分からず苦悩する事となったのだが、案外早くに結論が出る事となった。
母に出した手紙の返事が届いたのだ。いや、届いたと言うのは正確ではない。
教授が送った使者が、母親に問い詰めた結果を書き留めて帰ってきたのだ。
後日、母親からの苦情が大量に書かれた手紙が私の手元に届く事となった。
どうやら使者は相当しつこく、脅す様に事細かに尋ね、付き纏ったらしかった。
母親からの手紙には『司書院の人間は怖い』だとか『お前の上司は恐ろしい』だとか、『もう例え金銭を貰っても関わりたく無い』と言った苦情が満載だった。
それでもしっかりと同封した高額紙幣は貰った様で、母親という者は実に逞しい。
そう言う意味では教授の言った通りだったと言うのがかなり悔しくはあった。
話を戻そう。母を問い詰めて戻ってきた職員からの調書にはこう書かれていた。
*
●ロジャー・エヴァンスが死の間際、マーガレット・エヴァンスに告げた内容について。
アネット・エヴァンス補佐官に対し、母親であるエヴァンス夫人が述べた件について。
祖父ロジャー・エヴァンスの
と言う内容であるが、その言葉の前に述べた言葉がある事を確認した。
その内容とは以下の通りである。
『マーガレット、あの時、初めて会った時から愛している』
これらの点について隠蔽した理由についてエヴァンス夫人に対し尋問を実施した。
その際、エヴァンス夫人が述べた陳述内容は以下の通りである。
『そんな、夫婦の普通の会話をなんで子供にいちいち言わなきゃならないのよ』
その他、秘匿事項は無い物と確認した。以上である。
*
……流石に尋問までされて母親もいい気分はしなかったと私も思う――が、それよりも私は届けてくれた職員の前で盛大に笑ってしまう事になった。余りにも激しく笑い過ぎて咳込んだが、そんな背中を教授が擦ってくれる。
調書を届けてくれた職員が突然の私の反応に身を固まらせてしまう。私のすぐ隣にいた教授がげんなりと疲れた顔をして、職員を労った。そんな私達を見て職員は更に戸惑うが、教授が手を振ると首を捻りながら立ち去る。
私は笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら、やっと納得がいった。
手記にも書かれてあったが、ロジャーとマギーが初めて出会ったのは王女の前だ。
ロジャーはルーシア姫に遊技盤を教えていて、そこにマギーはお茶を出した。
恐らくロジャーは相当に驚いた事だろう。王女と同じ年頃の少女が一人、増えていたのだから当然だ。
流石に王女に対して恋心を抱く、という事は無かったのだろう。しかし、快活で親しみやすいマギーには素直に好意を抱いたのだ。
その時の光景が、まるで目の前に浮かぶ様に鮮明に想像出来る。それを目の前で見たから、王女様は二人を茶化したのだ。その時のマギーは気付かず、王女と一緒に笑い話になったのだろう。そしてその時もロジャーはマギーに『ありがとう』と礼を述べたのだ。
祖父のロジャーはきっと、王女の友達だと言うマギーを見て一目惚れしたのだ。
だから王女が『守れ』と言わなくてもきっと、己の意思で守り続けたに違いない。
王女の事は己が仕える主君として、本当に大切に思っていたのだろう。けれど、それ以上にロジャーはマギーの事を大切に想っていたのだ。愛する一人の娘として。
手記をマギーに書かせたのも、純粋に心配で何とかしようと思ったからだろう。
愛する少女が壊れていくのを見続ける事はきっと相当に辛かった事だろう。
遊技盤を入手する為に危険を顧みずに実行したのも、純粋にマギーの為だ。
それがなければマギーの心は癒やされないと判断したのだろう。
王女の、マギーの親友の遺品をその為だけに命懸けで入手したのだ。
そしてその時、偶然にも遊技盤に書かれた文字を見つけてしまった。
王女が残した『マギーの為に』とは、ロジャーも全く同じ想いだったに違いない。
だからこそ、ロジャーはいつも笑って愉しそうに遊技盤に向かっていたのだ。
私が幼い頃、死ぬ間際になるまで。
教授が言う様な、王女の下命を自分に言い聞かせる為などでは無い。きっと文字を見るたびにロジャーは懐かしさに顔を綻ばせていたのだ。自分は愛する娘を生涯守り続けているから安心して欲しい、と。
私はもっと、ちゃんと祖父、ロジャーとも話をすれば良かった。
きっと優しく、本当に好いお爺ちゃんだったに違いない。
どうして幼い頃の私は、もっとちゃんと出来なかったのだろう。
――良かったね、マギー。
――マギーが皆を好きだった様に、マギーも皆から本当に愛されていたんだよ。
そうやって私は笑ったまま、いつの間にか泣いてしまっていた。
俯いて唇を噛み締めるそんな私の横で教授が何度目かの溜息をついた。
*
毎日が忙しく続いていく。
そんな中でも私は司書院の仕事をこなしながら、童話の執筆を続ける。
書き上がればそのまま教授に見せる。すぐ傍で働いているから、大した手間も掛からない。そうやって問題がなければ、そのまま登録処理を進めていく。
元々記録として存在しない物なので、私の思い出を文字にするしか無い。こう言った記録がない物語、語り継がれる物語を『口頭伝承』と言う。それを正式に登録する事で『伝わっている童話』として刻み込むのだ。それらは元々説話に近い形で聞いてきた内容だ。
マギーが私に伝えた物がそのまま、今度は私を通じて記録や童話になって行く。他の誰も知らない、マギーと私しか知らなかった、本当にあった昔語りだ。その物語の中で、王女様だけで無くマギーもずっと生き続ける。例え本人達が、こうして書いている私が死んだとしても残り続ける。
親から子へ、子から孫へ。恐怖ではなく幸せを伝える為に。
人から人へ、そんな想いを乗せて王女様の物語は受け継がれていくだろう。
私が選んだ仕事はきっと、そう言う想いを伝える為の仕事なのだ。
*
私は幼い頃から、祖母のマギーによく預けられていた。
私は身体が弱い事もあったから、自然に囲まれたあの家はとても良かったのだろう。
あの家にはいつも祖母がいて、母親よりも祖母と一緒にいた思い出の方が多い。
最初は見知らぬ土地、見知らぬ祖父母しかいなくてとても怖かった。
そんな私に祖母は優しく王女様の思い出の物語を語ってくれた。
手記の中で、マギーが言っていた。
一人位は本当の王女を知っている人がいないと寂しい、と。
きっとその『一人』が私なのだろう。
……でもね、マギー。
私も、『
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