五章 遊技盤と祖父(ロジャー)
私が知っている祖父ロジャーは優しい目をしながら無言で遊技盤を弄っていた姿くらいしか記憶に残っていない。他には私に遊技盤を教えようとしてくれた事だろうか。
私には祖母と王女様に関しては話せる位にたくさんの思い出があるがロジャーとは殆ど接点が無かった。なにせ幼い頃に数回会ったきりですぐに亡くなってしまったのだから。
彼の名はロジャー・エヴァンス。マギーと結婚する前の名をロジャー・ハワードと言う。
祖母マギーの亭主であり、私にとって祖父に当たる人物だ。
「――ううむ……あのハワード将軍の次男、『若獅子ロジャー』がルーシア姫に師としてまさか遊技盤を教えていたとはな。お前がそんな血統だったとは思いもしなかったぞ」
ハワード将軍に関してはグリゼルマ王国史を調べれば嫌でも目に留まる。けれど祖父のロジャーにそんな呼び名があった事を私は知らなかった。マルコルフ教授曰く、遊技盤競技の世界ではハワード将軍は今でも語り継がれている伝説の様な人物となっているらしい。
「女性は遊技盤なぞせんからな。それも仕方ないんだろうがロジャー・ハワードと言えば無敗の父アレックスを唯一倒したとされる天才だ。リーゼンでも相当な有名人だぞ?」
教授は本当に残念そうな顔になってブツブツと文句を言い始めた。
ハワード将軍が有名だった事は知っているけれどまさかロジャーがそれ以上の有名人だとは知らなかった。教授の言う通り、女が遊戯盤に関心を持つ事自体がはしたない事だとされているのに私が知っている筈もない。まあ私の場合は別に関心事があった訳だけど。
それにしても、どうやら教授は個人的に祖父ロジャーに対して強い思い入れを持っている様に見受けられる。こんな風に素直で楽しそうな教授を見るのは初めてだ。
元々遊技盤は貴族の間では相当人気の戦略ゲームだったそうだからリーゼン騎士の家系であるマルコルフ教授が嗜んでいてもおかしくない。それに教授は男だし女の私とは違ってそういった遊び――競技に興じる事だって今までもあったのだろう。
リーゼン王国はグリゼルマ共和国と違って現在も一応国王が国を治めている。貴族もいるし軍隊だって当時のまま残っている。だから遊技盤は人気があるのかも知れない。
そんなロジャーが使っていた遊技盤。それがマギーの寝室に今もまだ置いてある事に私は全く疑問を持っていなかった。苦楽を共にして生きてきた夫の形見を手放さずにいつも傍に置いておくのはごく普通の事で当然だからだ。マギーも遊技盤については分からないと言っていたけれど先に亡くなったロジャーが使っていた物を大切にしようとするのはそれだけ夫の事を愛していた証拠だし使い方が分からなくても愛着はあったのだと思う。
けれど次の手記を目にした私はある可能性に思い至る事になった。
○マギーの手記・その八
私はあの子に何をしてあげられたんだろうか。
これから何をしてあげればいいんだろうか。
あの子がどうすれば喜ぶのか分からない。
ロジャー先生があの子の遊技盤を手に入れてきた。
もう少しで燃されてしまう処だったらしい。
あの子が持っていた物はもう、これしか残っていない。
それ以外はもう、何一つ残っていない。
やっぱりあの時、私もあの子と一緒にいくべきだった。
だって私はあの子の親友なのだから。
一人より二人の方が寂しくなかったよね?
*
もしかしたらロジャーの遊戯盤は王女の物だったのかも知れない――この八つ目の手記を読んで初めて思い至った。ロジャーは確か一つ前の手記によればマギーの自殺を恐れて傍から離れなかった筈だ。なのに何故遊戯盤を回収したのだろうか。
教授の話ではハワード家の次男、ロジャーは相当有名だった。当時平民は遊戯盤なんて知らなかっただろうが有名な将軍の息子が知られていないとは考え難い。
下手をすれば捕らえられて殺されたかも知れないのに何故処刑された王女の所持品を危険を冒してまで回収したのか。『回収してきた』と言う事は僅かな間でもマギーから離れて行動した筈だ。勿論それ程遠くは離れていないだろうし僅かな時間だろう。当時十三歳だった少女のマギーは精神的にも相当不味い状態だったと分かる。
それにきっとロジャーが捕まればマギーだって生き延びる事は出来なかっただろうし、そこまでの危険を冒してまで入手する価値があったのかと言うと疑問だ。
けれど私が口にした疑問に教授は少し考えると言った。
「……手段とは目的の為の選択肢に過ぎん。目的は一つでありその為に選択出来る手段が数有るだけだ。この場合『何故危険を冒したのか』ではなく『必要だった』から行動を起こしたと考える方が自然だ。その為にロジャー氏は最善と判断したと言う事だろうな」
マギーの為にマギー本人を危険に曝す事が果たして最善か――私は何も言えなかった。
○マギーの手記・その九
あの時、どうしてあの子は逃げようとしなかったの。
私にはずっと分からない。
あの子は陛下の庶子で、王族の中でも疎まれてきた。
利用されない様に閉じ込められてきた。
なのにどうして今度は民草に狙われなきゃいけないの。
ロジャー先生と一緒にあの子を逃がそうとした。
けどあの子は笑って首を横に振った。
国と人を守らなくちゃ、と言って。
あの子は助けようとしているのに、民衆はあの子を殺した。
十三の娘の命を奪って守られる国や人なんて。
そんなもの、皆滅びてしまえばいい。
*
庶子とは私生児、本妻以外の女性との間に生まれた『認知された子供』の事だ。
これは十七代グリゼルマ国王陛下が正式に婚姻していない女性と関係して生まれた子、と言う意味でルーシア姫の母親に該当する『フィオメナ』と言う女性は王族に受け入れられなかった人間だという意味になる。そもそもマギーと出会った時点でフィオメナと言う女性は既に亡くなっている事が先に見た手記で判明している。
王女の名前、『ルーシア・フィオメナ・グリゼルマ』とは『グリゼルマ王の子、フィオメナの娘、ルーシア』という意味だ。この国では平民であっても出自がはっきりと分かる命名法が使われている。だから私の父の様に親を知らない場合は姓を持っていない。
そして王族の場合、少し特別な命名規則が適用される。王が王位を退くと王自身の名前が刻まれて三節から四節の名に変化するのだ。十七代国王の名前はエリオット。だから王女の本当の名前は『ルーシア・フィオメナ・エリオット・グリゼルマ』。グリゼルマ血族、エリオットの子、フィオメナの娘、ルーシア。男児は母親の姓を受け継ぐ事がない。
更に王族の場合は王族名として母親の姓ではなく名を受け継ぐ。これは王族とは頂点に立つ存在だから例え娘でも母親の姓は受け継がない、ロイヤルネーム独自の作法で他国に嫁げば王族女性の姓は残らない。王族の姓が複数残る事を避ける為だと言われている。
そしてルーシア姫の名前に刻まれた『フィオメナ』という名はグリゼルマ王家の中には一切見当たらなかった。その名を受け継ぐのはルーシア姫ただ一人。これはフィオメナという女性が王族の序列に数えられていない事を意味する。普通王族は平民との間に子供が出来てもほぼ認知する事がない。なのに何故かルーシア姫は認知されて名が残っている。
つまりフィオメナという女性は王族ではないが平民でもない。王女に関わる話の中でも最大の謎で、その名前自体が何処にも見当たらないという特異過ぎる存在だ。
そして王女の母親については兎も角、手記にはルーシア姫に関する新しい情報もあった。
ルーシア姫が幽閉されていた姫君だった、という事実だ。
ルーシア姫はグリゼルマ王家の中でも一番最後に発見されて断頭台に上がった。だから余計に民衆の記憶に強く鮮明に残る事となった。何しろまだ十三歳程度の少女が断頭台に上がって処刑された。革命と言う熱に浮かされた民衆も後で冷静になって自分達のした事を後悔した筈だ。というのもルーシア姫は一般に全く知られていない王族だったからだ。
処刑した後で『それで結局、あれは誰だったのか』と尋ねられても誰も答えられない。
そう考えると『悪姫童話』が出来た理由も推測出来る。
王族に間違いないがそれが誰なのか分からない。ルーシア姫は美しい白銀の髪の少女で一見するとどう見ても平民には見えなかっただろう。しかし王族なのに民衆はその存在を知らない。特にグリゼルマでは白銀の髪は珍しい髪色だからもし王族なら誰かが知っている筈なのに誰も知らない。そして首を落としたまでは良いがその首が見つからない。後になって確認しようにもどんな顔だったかすら分からない。何も分からない事が恐怖を煽る。
十三歳の少女を処刑するのは普通の人間に激しい罪悪感を抱かせるだろうし処刑されて笑った少女の首が見つからなければ恐ろしくて堪らないだろう。その恐怖から逃れる為にあの『悪姫童話』が作られた可能性が非常に高い。
ルーシア姫がグリゼルマ王家で最後に断頭台で処刑された王族だという事は学者の研究である程度知られている。だが当の王女に関しては一切語られていない。革命自体は正しかった事とされている割に当時の事は殆ど語られない。その代わりに『悪姫童話』がさも正しい様に語られている。恐らく王女の処刑は民衆にとっても後味が悪かったのだろう。
だから魔女や化け物の様な倒されて当然の存在、『悪姫』にされた。処刑されて当然の存在として邪悪の烙印を押された。恐怖から逃れる為とはいえ残酷な話だ。
この世界はかつて、たった十三歳の少女が生きる事も許さなかった。王族も、その王族を処刑した民衆も、世界の全てがそんな少女の存在を許さなかった。そして処刑された後になっても悪しき存在として忌み嫌われ続けている。王女の親友で唯一の友達だったマギーにとってそれはどう映っただろう。きっと狂おしい程に辛かったに違いない。
恐らく祖父母、ロジャーとマギーは幽閉された王女の慰めに選ばれた。仮にも王族の姫君を相手にするのに普通の貴族に任せられない。だから後腐れの無い没落貴族の娘マギーと王の信頼も厚かったハワード将軍の息子ロジャーに白羽の矢が立った。王女は遊技盤を欲しがったそうだからその教師としてもロジャーは都合が良かったのだろう。グリゼルマ王家に忠誠を誓うハワード家なら王女の存在を口外する事は絶対に無いだろうから。
余りにも残酷で苛烈な運命だ。思わず顔を歪めて吐露する私に教授は静かに口を開いた。
「――伝承の裏に残酷な真実が隠されている事は珍しくない。都合の悪い虐殺を『邪悪な存在の討伐』とすれば幾らでも正当化出来るからな。伝承とは大抵がそんな物なのだよ」
でも、それでも私は納得出来なかった。ほんの六〇年前――人一人の人生の長さ程度の昔にそんな事が起きたのが何より許せなかった。そんな私に教授はやれやれと首を竦める。
「……だからな、感想なぞどうでも良いのだよ。今更感想を述べた処で過ぎた物事は何も変わらん。過去に対して今を生きる者が出来るのは評価だけだ。それに祖母君の件が無ければお前も責められる側に回ったやも知れん。ならば得難い機会を与えてくれた祖母君に感謝して納得しろ。当時生きた者の判断に今を生きるお前がとやかく言う筋合いは無い」
教授はそれ以上何も言わなかった。私も言い返す事が出来ない。マギーがいてくれなかったら初等学舎の頃に知り合った子供達と同じく『悪姫童話』を信じてこの道へ進む事も無かったと思うからだ。
私は祖母マギーから世間とは違う話をこれまでずっと聞いていたし今回だってマギーが残した手記を読む事でルーシア姫の事を他の誰よりも詳しく知っている。だからこそ感じる事もあるし当時の人々が何と愚かしいのかと考えてしまう。
けれど私はそう考えるまでに一度、祖母の手記から逃げそうになったのだ。そんな私が誰かを責める事なんて出来ない。そう考えると先程まであった怒りの感情がみるみる小さく萎んでしまう。何よりも王女やマギー達を不幸な運命にした人達は既に亡くなっている。
それでしょげてしまう私に教授は苦笑した。
「……まあ、お前の義憤も分からなくはない。だが知らないからこそ人は恐れる。分からないからこそ自分の落ち度に気付かない。それを読み取り知る事が我々司書院と司書管理官に課せられた職務だ。知ろうとし、分かろうとする。そうやって向き合うのが重要だ」
けれどそう云うと教授は神妙な顔になって読んでいた手記をテーブルの上へと置いた。
ペンと何やら書いていた紙からも手を離してじっと私を見つめる。その表情は莫迦にしてもいないしふざけてもいない。とても真面目な顔だ。
「――そうだな。お前も無関係ではないし話しておくべきか。お前が知りたい事と何か関係があるやも知れんしな……実は、グリゼルマ王国の革命に我がリーゼン王国が関与した可能性があるのだよ。間接的かも知れんが私はそうではないかと見ている」
独白に私は驚いて顔を上げると教授の顔を見た。それでも構わずに教授は話を続ける。
元々グリゼルマ王家は圧政を強いていた訳じゃない。そんな王国でどうして民衆が革命を起こそうと動いたのか。その動機について教授は疑問に考えた。
本来革命とは既に後の無い状況であり最終手段と言っても良い。普通であればその予兆として不穏な空気が国内に流れるがそんな気配は無かった。なにせ王家は国民を弾圧した訳でも無いし過酷な重税を求めた訳でもない。本当に不意打ちの様な革命だったそうだ。
それにグリゼルマ王国には内外に無敗と知られるハワード家の将軍もいた。例えどんなに酷い治世だったとしても民衆はその存在に萎縮して立ち上がれない。
第一軍隊を出されれば民衆に勝ち目は無い。だからこそ極秘裏に行ったのかも知れない。
そしてあの革命で一番得をしたのはグリゼルマ王家と最も親密な関係にあったリーゼン王国で、現在も鉱物資源や海洋資源の交易に於いて最も便宜が図られている。
そうする事によってグリゼルマ共和国はリーゼン王国軍の後ろ盾を手にいれた。
つまり教授はリーゼン王国が招いた革命ではないかと可能性を推測していたのだった。
もしかすると教授はだからこそ私の手助けをしてくれるのかも知れない。この人はかつて自分の母国を糾弾し王家と揉めた事もある人物だ。学生時代に私の様な小娘の戯言を本気で聞き入れようとしてくれたのだってそれがあったからなのかも知れない。
けれどそれを言うと教授は首を横に振って苦笑する。
「――単にな。教え子が困難に立ち向かおうと言うのなら手助けするのが師の役目だ」
そして雑談はお終いだと言う様に再びテーブルの上に置いた手記に手を伸ばした。
それ以上は私も尋ねる事が出来ず、手の中にある手記に黙って視線を落とした。
けれどこの祖母の手記は直前の物と随分違う。マギーの思考がかなり戻ってきている。
過去の話とは言えマギーが何かを憎んでいるのを知るのは辛い。それでも疑問を抱いたり思考しながら答えを見つけ出そうとするのは正気を取り戻しつつあったと言う事だ。
これがどんな結論へと至るのかは現時点では何とも言えないが私は安堵していた。
人が絶望して思考を放棄すればそこで初めてその人間は本当に死んでしまう。何があっても心が動かないと言うのは魂が死んでいる。それは人として生きているとは言えない。
幼い頃の私はマギーを苦しめたのかも知れない。だけど苦痛を感じていたのならば祖母はちゃんと最後まで生きた事になる。マギーが私に遺言を残してくれなかったのも本当は嫌われていたからかも知れない。それでもマギーが人らしく眠りにつけたのなら本望だ。
本当のマギーは既にこの世界にはいないけれど心まで死んでいたとは思いたくない。
それにこの小さな紙片の中で私が読み進める間マギーは生きている。出来ればその中で私が知るあの優しい祖母に辿り着いて欲しい。それなら例え結末が私の事を否定する物だったとしても耐えられるし受け入れる覚悟だって持てる。
そうして私が自虐的に苦笑した時だった。
「――エヴァンス? これらの手記は元々からこの順番だったのか?」
突然マルコルフ教授がそんな風に私に尋ねて来た。それで戸棚から落ちた物を私なりに復元した事を伝えると教授は眉をひそめて考え込んでしまう。
こうして読み解く限り時系列はおかしく無い筈だ。けれど教授は『全てに目を通した後だな』と呟くと再び新しい紙を取り出してペンを走らせ始めた。
○マギーの手記・その一〇
あの子が好きだった事を先生に聞かれた。
あの子は遊技盤で遊ぶ事が好きだった。いつも一人で駒を触っていた。
私と話す事。あの子は私を友と、私と話すのが好きだと言ってくれた。
ロジャー先生と勝負する事。いつも勝てないと言いながら楽しそうだった。
咲いている花を眺める事。一緒に木春菊の花を見に行って好きだと言った。
フルーツの砂糖漬けのパイ。何度も食べたいとせがまれたっけ。
そして、国と、人。生きようとする人が好きだと言ってた。
でも、私は嫌いだ。それがあの子から命を奪ったのだから。
……私が好きだった事?
あの子と一緒にくだらない事を話して、あの子が笑うのを傍で見ている事。
でも寂しそうに笑うのは嫌いだった。だからいつも一緒にいようと思ったのに。
寂しいよ、ルウ。
*
私が知る『ルーシア姫』と言う少女は今の少女達と余り違わない様に思える。勿論それは『普通の少女』と言う意味ではない。当時の少女にしては随分と尖った性格なのだ。
マギーが私に語ってくれた昔語りの中でも王女は随分先進的な思考の持ち主だとう印象がかなり強い。それにマギーがロジャーに尋ねられて書いた王女の好きな物を見ると王族と言うよりも随分と素朴で平民の少女に近い感覚を持っている様に感じるのだ。
まあ流石に『国と人が好き』と言うのは王族らしいと言えばらしいのだが。
だけどそんな彼女、ルーシア姫は死を覚悟して逃げずに処刑された。それが私にとってまるで『処刑される為に残った』様に感じて不思議で仕方が無い。
きっとルーシア姫も自分が処刑されればマギーがどれだけ傷付くかも分かっていた筈だ。
大切な友人が命を落とすと分かっていて平気でいられる十三歳の少女はいない。そしてその結果、落とされた首を抱えて逃げたのだ。下手をすれば気が触れても当然だろう。
マギーの昔語りによれば王女はそう言った事に気付ける人だ。そんな彼女が選んだ末路だと言うのなら必ず理由がある筈だ。その理由が一体何なのかが私には分からない。
例えば『国や人が好き』と言うのは綺麗事としては理解出来る。けれど命の危機が迫る場面でそんな理屈は通用しない。当時たった十三歳の少女の動機としては不充分過ぎる。
逃げようと思えば逃げられたのに彼女が逃げなかった理由――そこに全ての答えがある気がしてならない。マギーと同じで私もその理由が分からなくて苦悩する事となった。
例えばもし、ルーシア姫が革命を生き延びたとしたら――王族が生き延びれば民衆は当然、安心して生活出来なくなった筈だ。対外的な交渉も全て王族に依存しているのが王政という仕組みだから、もし生き延びた王族が援護要請をすればリーゼン王国は民衆の味方ではなく逆の立場になった筈だ。そうなれば革命は失敗に終わっていただろう。
基本的に王族は富や名声を持つと同時に責任も集中する。対する平民はそう言った責任を一切背負わない。その為に学も不要だから当然裕福になれない。それに徴収される税の大半は国家維持の為の軍事防衛費だ。王政の特徴は権力が集中するほど背負う責任も重くのしかかる。グリゼルマ王国も小国だが十七代続いた王家だし、例え王族であろうと無駄な贅沢はしていない。私腹を肥やす成金な統治者ではなかったのだ。
それに革命を起こすにしても資金面や知識、経験の差は埋められない。だから不意打ちで革命を起こすのだろうが仕損じれば地獄を味わうのは民衆自身だ。王家が生き延びれば必ず貴族も結集する。恐らくロジャー以外にも生き延びた貴族は大勢いる筈だからだ。
そうなれば当然、民衆は報復に怯えて生きる事になる。諸外国との交流や外交は王家が全てやっているから他国に支援を要請出来る。失敗した革命ほど悲惨な事は無いのだ。
一度裏切った平民を王侯貴族は二度と信用しない。これまで以上に激しく過酷な搾取が行われ、再び反旗を翻そうにも警戒されているから二度と立ち向かえない。
「――まあ、王族と言っても神ではなく生きた人間だからな。王族が抜けるにしても民衆が自立出来なければ周辺国家に対して対処が全く出来ん。結局の処は頭の挿げ替えにしかならんからな。ならばその緩衝役として王族の立場を活用しようとしたのかも知れんな」
私が尋ねると教授はそう答えた。要するに残された国民が困らない為に王女は残ったのかも知れない、という事だろう。確かにそれなら理解は出来る――が、納得は出来ない。
人間には汚い部分もあると知っている。でも幼い頃から聞かせて貰ったマギーの昔語りを思い出すと違和感があるのだ。そんな理由の為にルーシア姫は命を賭けたと言われても何処か変だ。そんな人じゃないと思う。私がそう言うと教授は少し考え込んだ。
「……ふむ……だがルーシア姫を王族として見れば彼女が『国と人の為』と言ったのならそれは玉座に座す立場で民衆に対して、と言う事だ。リーゼンの様な変わり者の王族もいるから断言は出来んが、責任感の強い王族であれば考えてもおかしく無いとは思うぞ?」
それでも私にはどうしても納得出来なかった。王女様は名誉や肩書きの為に自分の命を使わないし優しさや使命感で動く人でもない。父王を慕っていたのなら残された国を何とかしたいと考えたかも知れないがルーシア姫は幽閉されていた寂しい少女だった筈だ。
何処かで似た話を聞いた気もする。でも権力や権威の為には絶対命を賭けないと思う。
確かに教授の言う通り王族の覚悟があったと言われればそうかも知れない。だけど彼女はいわゆる普通の王族じゃない。父王が持っていた遊戯盤の駒を見て求めたのは親の愛情に飢えていたからじゃないだろうか。何よりも幽閉されて、存在を隠蔽されていた王女が生き延びる為に交渉役を買って出るというのも不自然な気がする。
それに民衆にも存在を知られていなかったのにそんな事を言って信じて貰えるとは到底思えない。そんな事をするならまだマギーやロジャーと一緒に逃げる方が筋が通る。
私にはそう思えて仕方が無かった。
いずれにせよ十三歳の少女は逃げる事より処刑される道を選んだ。だけど幾ら考えてもマギーと同じで何故王女がその道を選んだのかが分からない。恐らくマギーだって激しい悲しみを抱きながらずっとその答えを探し続けていたに違いないのだ。
断頭台で処刑される直前に親友のマギーに微笑み掛けた王女――だけど絶対に助からない状況で笑ったのは何故か。死を覚悟していたから笑ったのか。たった十三歳の少女が殺される瞬間に微笑む事が出来る物なのか。恐怖に震える余り、気がおかしくなってしまったから――きっとそれも違う。ルーシア姫はそれも覚悟の上で逃げなかったのだから
私は高い天井を見上げて強く目を瞑った。
――ルーシア姫。私の王女様……貴女はどうして最後に笑ったの?
私は自分の中にある思い出に向かって問い掛けるが当然答えなんて返って来ない。でもその最後に見せた笑顔の理由に全ての答えが隠されている気がした。
○マギーの手記・その十一
ロジャーはよく一人で遊技盤を出して弄っている。
まるであの頃の様に、優しい目をして。
これでルウさえ居れば、あの頃に戻れるのに。
私はもう、あの頃の様には笑う事が出来ない気がする。
なんて薄情な、冷酷な人だと思っていたけど違った。
先生も、私を支える事で自分を保っていたのね。
その日から私はロジャーと床を共にする様になった。
これからもずっと二人で、あの子の傍を離れない為に。
私はきっと、彼と一生共に生きていくのだと思う。
*
手記に書かれているマギーの文字が穏やかで落ち着いた物に変わっている。恐らく前に書かれた物よりも随分時間が開いているのだろう。それで私も一旦深呼吸するとそれまで抱いていた感情を振り払って冷静になる様に自分に言い聞かせた。
一つの事に注視してしまうと本質を見失う――それは司書院で働く上でも重要とされる事だ。教授にも言われたが私はこの手記を書いたマギーではない。私にとって大切な人が書き残したからと言って一部分に拘ってしまうと大事な事を見失う気がする。今は出来るだけ広い視点で祖母の手記を読み進めなければならない。自分にそう何度も言い聞かせた。
さて……この手記が書かれたのは恐らくマギーとロジャーが結婚した頃だろう。それもきっとあの家で暮らし始めた頃だと思う。母達、娘が生まれるより前。そしてその頃からロジャーはあの遊戯盤で一人で遊ぶ様になった。やはりあれは王女様の遺品だったのだ。
王女が処刑されたのは二人が同じく十三歳の頃。そして二人より五歳年上のロジャーはまだ十八歳。例え戦場に赴いた事があるとは言っても妹の様な少女達が処刑されたり気が触れそうになるのを見ているのはさぞかし辛かっただろう。特にそれが自分の教え子で守るべき対象だった少女ならば尚更過酷な話だ。
そして目の前で生きていても苦しむマギーがいる。友人が処刑されて耐えきれず心が壊れていくマギーの姿を見続けた。唯一の年長者だったロジャーは泣き言すら許されない。
天才と言われた若者もどうにも出来ず自分の無力さを思い知らされただろう。祖父は母達姉妹が生まれた後も穏やかで余り口を開かない物静かな人だったそうだから。そうやってロジャー自身もマギーを慰めながら違う形で苦しみ続けたに違いない。
きっとマギーは自分を懸命に支えてくれたロジャーに惚れたんだと思う。二人がまだ生きていた頃、ずっと見てきたからそう思う。二人は軽い言い争いすらしなかったし何かあればきちんと話し合っていた。世間でよく言われている『女の癖に生意気だ』みたいな事もロジャーは言わなかった。きっと遊戯盤を王女に教えていた事も関係あるんだろう。
マギーにとってロジャーは常に共にいて自分を守り続ける騎士だったのだ。
幼い頃に私が言った通りだ――だがそう考えた時、ふと私の中で疑問が湧き上がった。
いや、実際ロジャーはハワード将軍の子で騎士だ。私も話を聞いていてロジャーが王子様みたいだと言った事はあったが、どうして王女様の教師を騎士だと言ったのだろう?
手記を読んで判明した事実だが昔、教師の若者を王子ではなく騎士と言った憶えがある。
女の子から見ればロジャーの様な若者を王子様と感じてもおかしくない。だから若者を王子様みたいだと言った事があるが『騎士』と言った記憶もある。幼い頃の思い出は軽薄で残酷だ。確かに言った憶えはあるのに何の時にそう言ったのかを思い出せない。
まあ、それは兎も角……祖父ロジャーは祖母マギーを支え続けた。ロジャーがいなければきっとマギーも生きていなかったに違いない。それだけは確かな事だった。
幼い頃は怖かったが流石にこの歳になるとロジャーを怖いと思わない。無口なだけで幼い私に対して祖父は怖がらせようとしていない。どちらかと言えばむしろ、ロジャーは私に対して配慮してくれたり良くして貰っていたのだと思う。
例えば幼い頃の私は身体が弱くて春や秋にも風邪をひいて熱を出す事も多かった。大人には寒さを感じなくても暖炉に火を焚べていたのはきっとロジャーだ。私が元気で過ごせる様に薪を準備して部屋の中を温めてくれていた。マギーは暖炉の火には一切関わろうとしなかったから毎回訪れた時に準備してくれていたのは祖父のロジャーの筈だ。
そんな優しいロジャーはきっとマギーを深く愛していた。なにせ王女が処刑されてからずっと寄り添って生きてきた二人だ。深い絆が芽生えても当然の話だ。
そして読み終えた手記に目を通すと教授はやはり何やら細かく別紙に書き付けている。
既に私が読み終えた物に追いついていて別紙の上に注釈を書いている。よく見ると新しい紙の上には手記の内容を複写した上でロジャーの名前や先生と言った呼称に印が付けられていてその紙の上にも数字が幾つも書き添えられている。
一体何をしているのかと言う疑問に教授は煩わしそうに、しかしきちんと答えてくれた。
「――お前の祖母君の主観でどう捉えていたのかを調べている。人とは年齢や時期で呼び方や書き方を変える。言葉に限らずその時々の精神状態によっても主観は変わるしそれによってこういう物には必ず反映されるのだ。必要な事だからお前も良く覚えておけ」
それだけ言うと教授は『次を早く読め』と言って私に催促してきた。
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