第90話

「国の追加負担なしが通っただと?」


 国王は宰相の交渉結果の報告を受けて驚いていた。彼は事前に極力国の持ち出しにならないように交渉を進める話を聞いてはいたが、内容からしてゴーズ家がそれで納得するとは思っていなかったからだ。


「妹様の評価が高いお陰ですな。”ゴーズ家はあの方を手放したくはないだろう”という読みは当たりました。後は交渉の場のセッティングと先に大げさに吹っ掛ける小手先の技で凌ぎました。まぁ、先に吹っ掛けるやり方は、彼の家の爵位の話で向こうもやっていますから文句も言えないでしょうな」


 宰相は淡々と語っていた。報告内容は、彼が思い通りに交渉を進めて、ゴーズ家に国の要求を呑ませたことになっている。だが、その割には、彼が喜んでいる雰囲気は欠片もなかった。

 眼前で報告を行っているのは、国王が最も接する時間が多い臣。それなりに長い付き合いの臣でもある。

 それ故にわかってしまうことがある。今のその彼は、少なくとも、ファーミルス王国の最高権力者の目には、成功者や勝者の姿とは映っていなかった。


「要求を通せたのなら喜ばしいことではないのか?」


「短期的にはそうです。ですが、この国の現状は『ゴーズ家の働きに報いている』とは言い難い。相手が納得するレベルで出せる物がない以上は、仕方がないのも事実です。が、彼の家には国に対する失望を。そして、国内の辺境伯以上の爵位以外の貴族家が詳細を知れば、今後の王国への忠誠心が低下するでしょうな。勿論、全部が全部とはならないでしょうが」


「そうかもしれんな。だが、下位の貴族家のそれはあり得ぬ仮定だ。そのような家は折を見て潰すか、国外へ追放して行けば良い。そんなできもしない功績を上げた時のことを先に考え、『自家に同じように適用されたら困る。悪い前例だ』と、騒ぎ立てて言い出すような無能は、この国には必要ない」


 国王は自身が魔力量が豊富であること以外は、凡庸な人間であることをちゃんと自覚している。

 彼個人は聖人君子とはほど遠く、色々な俗物的な欲もある。

 彼はファーミルス王国の最高権力を持っている自覚もあるため、「少々の無茶な要求は通るし、通せるのが当然だ」とも考えている。だが、それはあくまで少々であって、限度なしの無制限ではない。

 彼より下の立場の貴族が、できもしないことを考え、それがさも正論であるかのように振舞って自身や国の足を引っ張るのであれば、それは最早国にとっての害虫と同義である。


 これまで王国として、ゴーズ家には”少々”無理を言って我慢を強いた部分はある。

 そこはこの国の王として、事後となってしまった場合も含めて、一応は理解している。だが、彼が学んだ歴史や、自身の体験を鑑みても、この国の建国に助力した賢者様を除けば、今回の戦争の戦果と同レベルの功の話など他には1つとしてない。

 元テニューズ公爵家の長男で魔力0の甥が、成し得て国に差し出した成果はそれほどに巨大だ。

 それに匹敵するような功績を挙げた貴族家など、過去にも現在にも、おそらくは未来にすらも存在していない。それは確定の未来ではないかもしれないが、将来的にも同じであろう。

 国王には、少なくとも自身の在位中に、他の貴族家が台頭してくる可能性はないように思えたのだった。


「陛下がそこまでの覚悟をお持ちとは考えておりませんでした。臣として察することができず、申し訳ありませんでした。下の方はそれで済みますが、ゴーズ家の失望と言うか、忠誠心の低下は避けられません。ただ、元が夫婦揃って公爵家の出なのが幸いしておるのでしょうな。ゴーズ卿は直接的に言葉にはしませんでしたが、王国に離反して独立した場合の不利益を良く理解しておりました。それが雑談の中でやんわりと伝えられた理由は、裏を返せば、『物には限度があるぞ』という意思表示でもあるのでしょう」


 宰相は交渉の席で、「『余りにも功績に対しての褒賞が見合わないこと』が続いてしまうと、他の貴族家から、『ゴーズ家がそれを許して受け入れてしまうと、こちらが正当な対価を請求できなくなることがあり得る』と責められる可能性」について、ラックから言及されている。

 また、派生した雑談の中で、「『過去に独立したり、周辺国へ亡命したり』という貴族の例について」の話が出たりもした。

 両者の共通認識として、「彼らの末路がどうであったのか?」は興味深い話題となったのだった。


 まず、離反して他国に亡命した場合はどうなるのか?


 過去にはファーミルス王国から離反して、貴族に魔道具の兵器を外国に持ち出された例はある。が、王国はそのような事例に関しては必ず、「過敏で過剰」と言って良い対応をしている。

 端的言えば、「手段を問わずで、確実に回収もしくは破壊している」のだ。

 そこには、”手加減”や”容赦”、或いは”慈悲”などの言葉は微塵もないのである。

 そして兵器を持ち出さないで王国から離脱した貴族は、王国から持ち出した資産を食い潰せばそれで終わりを迎える。

 彼らは、動かすために魔力が必要な道具がない場所に放り出されれば、魔力を持っていることが理由で受けられた優遇が必然的に消え去ってしまう。

 亡命を受け入れた国は、何の利用価値もない元王国貴族を、自国の支配階級に組み入れて飼う必要性など皆無だからだ。

 寧ろ、対応としては、”裏でこっそりと王国に通じて確認と許可を取り、亡命者の全ての資産を毟り取って破滅を幇助する”まであるくらいである。

 逆に言えば、「それがあるから亡命の受け入れ自体は行われる」という事情もあるわけだが。


 では、独立して建国した場合はどうであろうか?


 結論を先に述べると、ファーミルス王国があるこの大陸の事情に限定すれば、例外なく亡命より更に悲惨な結末を迎える。それは、確実な死だ。

 時期はともかくとはなるが、100%魔獣被害で滅ぶ。小規模勢力が独力で中型以上の魔獣の脅威を、魔道具の兵器なしにずっと排除し続けるのは不可能だからだ。

 現実問題として、王国は周辺国からの要請で魔獣退治に戦力を出すケースもあるのである。

 これは、周辺国視点だと、自国戦力で対処不能か、対処すると甚大な被害が出るから王国へ魔獣討伐要請を出すのだ。

 要は問題となるのは、「離反した勢力が、王国と普通に付き合いがある周辺国と同様に魔獣討伐要請したとして、それに応じるだろうか?」という点。

 それへの答えは、当然の如く「否」となる。


 仮に運良く魔獣被害が長期間発生しなかったとしても、生活環境に密着する問題が別で発生してしまう。

 ファーミルス王国が作り出す、生活家電的な魔道具や鉄製品の日用品の供給に問題が出るからだ。

 そうなってしまえば直接輸入が不可能になり、他国経由で買うしかそれらの品々を入手する手段がなくなる。

 よって、調達価格が高騰し、お金を払っても必要量が手に入るとは限らなくなってしまう。


 つまりは、ファーミルス王国からの独立とは、過去の事例をなぞれば、経済面や生活環境面において真綿で首を締めるが如くジワジワと苦しめられ続ける。

 その上、何処かの段階で”魔獣の攻撃”という避けられない事象に屈して終わる未来しかない。


 こうした部分は、貴族籍に名を連ねる人間なら魔道大学校で学ぶ。

 それに加えて、上級貴族の家であれば、自家での教育でも教え込まれる。

 もっとも、ラックは公爵家の出ではあるが、実はその部分の知識は学校教育のみで学んでおり、実家の公爵家での教育を受けてはいない。

 その点に置いては宰相の勘違いもあるのだが、交渉の場では結果に影響があったわけではなかった。

 

 ゴーズ家は色々な事象の損得勘定を、冷徹に計算できる判断力の持ち主に困ってはいない。

 当主の頭脳は正直なところ、微妙な評価が妥当であるかもしれない。が、それでも家として様々な判断に困らないのは、5人の妻の中の3人の存在が大きい。

 元カストル家の公爵令嬢2人に加えて、北部辺境伯の秘蔵っ子という優秀な存在が居る家だからだ。

 特にフランは、シス家の当主が嫁ぎ先を慎重に選ぶために、年かさとなってもあえて嫁がせずに、手元に長く残していた鬼札だったりするのを宰相は知っていた。

 更に言えば、彼の家は換金可能な資産を大量に保有している。

 おそらくは現金もそれなりに潤沢な量を持っているであろう。

 故に、究極的には、妻子や厳選した家臣のみを連れて国外へ逃亡しても、金銭面に限れば100年や200年は生活に困ることなどないかもしれない。


 ファーミルス王国の命令が、或いは今回のような対価となる報酬の支払いが、ゴーズ家の許容限度を踏み越えれば、あの家の人間は所有資産を全て抱えて逃亡する。

 また、可能性は高くはないが、過激な報復として、現在スティキー皇国に向けられている謎の攻撃手段や、魔獣の領域の間引きで蓄積された戦闘ノウハウが王国へ向けられることも考えられる。


 今回はなんとか凌いだ。

 偶然の結果だったが、ゴーズ家へ勝手に押し掛けた、元魔道大学校の機動騎士の責任者を務めていた王妹の価値が、対価に換算するとどのような評価の価値にもなり得る点が幸いした。

 彼女は色々と事情があり過ぎて、莫大な金額を積んででも身柄を欲しがる人間が居る可能性を秘めた存在だからだ。

 だが、宰相は「ゴーズ家に出す褒賞を、ゴリ押しで誤魔化して無茶を通すのがずっと可能だ」とは考えていない。

 但し、「では別の良い方法は?」となると、自身では何も思いつかないし、配下の文官たちからの良案の献策もないのが、厳しい現実であった。


 そんなこんなのなんやかんやで、宰相と国王の話は終わった。飛行機の対価に対しての交渉のアレコレの事後報告は終了したのである。

 ゴーズ家が、何時暴発してもおかしくない危険な状態に限りなく近づいてしまった可能性を、国王は雰囲気で、宰相は実感として感じていた。が、彼らは対処不可能な案件として、”時が事態を風化させてくれる”というあり得ない期待も込みで、先送りしてしまう選択をしたのだった。


 スティキー皇国との戦争が何らかの形で終結すれば、ファーミルス王国は今回の飛行機の引き渡しとは別件として、ゴーズ家に報いなければならない。

 国王と宰相の視点では将来確実に起こる時限爆弾的案件も、「まだ先の話で考えたくない」と、無為無策のまま逃避を考えつつあるのだから「既に終わっている」とも言える。

 現実にはゴーズ家の面々の誰かがラックに入れ知恵し、当主権限の発動で終戦か停戦を皇国の皇帝に指示しない限り、それは起こり得ない未来ではある。

 しかしながら、それを王都で知る者は誰一人として存在しないのであった。

 



「宰相の忘備録をちょっと覗いた結果、陛下への報告内容の部分があってね。引き渡し交渉の裏側は『実質お手上げでゴリ押しするしかない』が本音だったみたい」


 ラックは呆れの感情が混じった表情と声音で、横で書類の決裁をし続けているミシュラへと声を掛けた。


「そんなところでしょうね。でもわたくしたちがそれを斟酌しんしゃくする必要なんてありませんわよ?」


「ま、そうだね。この国は皇国との戦争で被害はあっても、領土も賠償金も得たわけじゃない。つまり、払うべき物は王国の財布の中から出すしかない。けど、『出す物がないなら物を求めるな』って話だしね」


 夫の言葉にミシュラは頷く。

 ファーミルス王国は飛行機の対価に、何らかの物を追加すべきであった。

 しかし、現実は真逆で、ゴーズ家の所有物を、それも他からでは絶対に入手不可能な未知の技術の塊を得るのに、王都の連中は対価を渋った。

 彼らは、暴論を振りかざして少ない対価のみで済ませ、実質的には限りなく強奪に近い形でことを終わらせてしまった。

 少なくとも彼女の視点では、結果からそうとしか見えない。

 彼女の考えでは、交渉に出向いたラックが、その場で了承するかどうかは別問題なので無視して、実現の可能性が薄いと受け取られかねなくても、とりあえず何かを捻り出して足すべきであった。

 そのような姿勢だけでも、王国側はゴーズ上級侯爵に見せつける必要があったはずなのだ。


 だがしかし。

 それらは結局、もう済んだ話なのである。

 過去の検証をして反省することには意味があるが、愚痴ってみても決まったことを覆すことはできない。

 いや、やろうと思えば、夫である超能力者は今からでも全てをひっくり返す力を持っているのかもしれない。

 それの可否を確認してしまうと、危険な方向に話が転がりかねないため、それをしない分別をゴーズ家の正妻は持っているが。

 そして、これはミシュラの推測に過ぎないが、おそらくラックは”かもしれない”ではなく”持っている”だろう。だが、頻繫に領主代行を務めることのある彼女の判断では、それを使う時は”今”ではないのだ。


「わたくしたちは運用や製造に難がある飛行機には見切りをつけ、飛行船を手中に収めています。異文化知識の源泉となる本も、宝飾品も現金も皇国から得ています。出所の問題で理屈としておかしいのは重々承知ですけれど、貴方の戦争に対する行動結果で利益を生んでいるのは間違いありません。今回はそれで怒りや不満といった不快な感情は鎮めるしかありませんよ」


 ミシュラは自身も怒りはあるが、それを押さえつけて、更に夫を宥めにかかった。

 事前の斟酌は必要なければしない。が、結果に対しては妥協が必要な事柄はある。

 曲がりなりにも済んだ話なのであれば、なおさらだ。


 ゴーズ家の正妻が口に出した言動の意図するところは、今の段階で決定的にファーミルス王国と対立しても、利益より損失のほうが遥かに上回る点なのだった。


 こうして、ラックは千里眼で偶々視ていた王都の情報から、ことの成り行きの裏側を少しばかり知る。彼の不満は増幅されたが、ミシュラが言葉と物理でそれを受け止めることで、事態は収拾されたのであった。


 執務の途中だったにも拘らず、絶対的な急ぎの案件がなかったのを良いことに、美しい妻から物理でわからされるゴーズ領の領主様。久々に真っ昼間からことをイタシテ、事後。ライガの世話を任されていたネリアから苦情が一言飛んで来る。「私は相手が居ないんですけど?」と、打って変わって不満をぶつけられる側になってしまったラックなのであった。

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