第88話
「ゴーズ家が我が家のお抱えに手を出しただと?」
カストル公爵は家宰の報告を確認しながらも、楽し気に笑みを浮かべた。
彼は娘婿の家が以前に紹介した自家のお抱え服飾店に、”ゴーズ領特産の糸で独自の布を作らせた”という情報は聞いていた。が、彼の家が”それができるようになった職人を抱え込みたい”と欲するのは、彼の想定外であった。
そして、この想定外の事態は、公爵にとっては都合が良い状況を作り出せそうなのだった。故に彼は気分が良く、笑みもこぼれる。
厳密には、ゴーズ家はカストル家お抱えの店に直接手を出したのではなく、そこが専属契約をしている職人の一部を引き抜いた形だ。
カストル家が直接職人と契約をしていたわけではない。
つまり、”お抱えの店”と”契約関係にある職人”との間で解決する問題のため、本来カストル家には関係がない。
実際、過去の事例をなぞれば、お抱えの店の主人の判断のみで契約を打ち切った職人も存在している。
そして、その判断や結果に、カストル家は口を出したりはしていない。
カストル公爵としては、立場的にはお抱えの判断に口を出すことは不可能ではないが、そんなことをする意味がないからだ。
そもそも、そういった事柄を、お抱えの店の主人から事前に相談されたり、事後に結果報告をされたりもしないのである。
公爵は、お抱えの店から、自家の注文通りの品質の衣服がきっちりと納品されればそれだけで満足なのであって、元々、個々の職人などには微塵も興味がないのだった。
「はい。若干無理筋の気はありますが。カストル家お抱えの店の職人の一部を引き抜くのは、『店の質が下がる可能性がある』と言えなくもないですから。事前にこの家の内諾を得る一言がゴーズ家からあれば話は別ですが、今回はそれはありませんでした。つまり、この家の影響下にある部分に手を突っ込んだことになります。ゴーズ家の当主からすれば、おそらく、”
「そうだな。これはゴーズ家の大きな瑕疵であって、当家からすれば大きな貸しになる。そして、貸しである以上は、それを何らかの形で返して貰わねばならんな!」
家宰は、主人の上機嫌な駄洒落発言を聞いて、その部分はスルーしつつも、”これまでの経緯を考えれば、カストル公爵家はゴーズ家に色々な意味で多大な負債があるのだが”とは思った。
だがしかし。3大公爵家の1つであるこの家の主の感覚が、世間一般のそれとは乖離しているのを彼は承知もしていた。
彼の主人である公爵が、確実に相手の立場を慮って考える対象は格上か同格までで、下の者への借りは”無きが如し”と都合よく無視する傾向がある。
家のアレコレを差配する家宰から見れば、ゴーズ家は爵位こそ公爵に劣るが実力はカストル家の同格以上だ。ただ、”成り上がりで家に歴史がない”のと、”当主の魔力量が0であること”、更には”ラックが娘婿であること”の3つの点から、カストル家の当主は彼の家を”己の自由になる駒だ”と勝手に考えているだけである。
そうした主人の心の内側を、補佐する立場の家宰は理解できている。それ故に、彼は自己の考えを表情に出したり、言ってもしょうがないことは口に出したりはしないのだった。
「飛行機の引き渡しの最終的な詰めの話し合いを、王都で行いたいって話なんだけどね」
ラックは届けられた書簡の内容を読みながらミシュラに話しかけた。
「ええ。それの概要は使者として赴いた方から情報を貰いましたから、わたくしも理解していますよ」
「クーガを王都に同行させるのは、やっぱり危険かな?」
「またそれですか。率直に言えば危険ですわね。超をいくつ付ければ見合う表現になるのか悩むくらいには危険ですよ。貴方が言うそれは、クーガを父の前に餌として放り投げるのと変わりませんよ? 先日の服飾店の交渉時にも同じ内容で話し合ったじゃありませんか」
ラックは引き抜きたい職人との下交渉や、服飾店への打診も含めての交渉をクーガに補佐としてダームを付けた状態でやらせてみたかった。それ故に当時もミシュラとその件を話し合っていた。結果はご存じの通り、超能力者が自身で交渉を行ったのだが。
ゴーズ領に使者が出向いて来ての交渉事は、そこに参加させたり代理で行わせても、ホームになるため難易度が低く余り良い経験にはならない。
と言うか、その程度の難易度の話であれば、現在彼が任せているサイコフレー村の代官の執務で経験が積めるのだ。
嫡男の将来的なことを考えるのであれば、アウェイの状態で少々タフな交渉も経験しておくのが望ましい。先日のそれは、ぶっちゃけると仮に交渉に失敗をしても、時間とお金を掛ければ取り返しがつく案件だったため、経験を積ませるには持って来いの条件が揃っていた。
しかしながら、ラックが目論んだその計画は、ミシュラの強硬な反対意見でとん挫する。彼女が反対した理由は、カストル家の存在であった。
カストル家は次期当主の筆頭候補に実子のメインハルトを得たとはいえ、彼に今直ぐ当主を任せられるわけではない。
カストル家現当主が嫡男にある程度の引継ぎが開始できるのは、最短でも10年は先の話となる。
そして、”そこまで生きて無事に成長できるのか?”や、”そもそも当主を継げるだけの資質があるのか?”という問題だってある。もっと言えば、赤ん坊が成長して引き継げるまで現当主が確実に生きている保証もない。
魔力量の面だけは全く問題ないことが既に判明はしているものの、知性、人格、性癖などの面ではなにも保証されてはいない。つまるところ、当主に相応しい人物なのかは現段階ではわからないのだ。
これが、現当主がまだ年若いなら、別の子を作ったり、さっさと孫と作らせて保険をかけ、そちらに期待するという手もある。だが、残念ながら今回のケースだとその手段は難しい。
ラックの超能力を制限なしに使うのならば、それは不可能ではないのだけれども。
ミシュラには今の実父の考えそうなことや、行いそうなことの想像がつく。
彼女の父は、”クーガをひっ捕らえて、繋ぎの当主に仕立て上げるか、メインハルトの成長を待つ間のスペアとして確保したい”と、頭の中のどこかでは考えているはずなのだ。
現状では、ゴーズ家の嫡男はサイコフレー村に詰めており、父が手を出せる状況下にはないため、そうした考えが実行に移される可能性はない。
だが、彼がのこのこと王都に出向けば話が変わる。そんなことは火を見るよりも明らかなのである。
夫のラックが言う「息子に経験を積ませたい」という話も理解はできる。だが、彼女からすると、「わかりきっている超危険地帯に息子を飛び込ませてまでの、喫緊の必要性、重要性がありますか?」と問われれば「否!」としか言いようがないのだった。
「えーっと。そのですね。何と言うかこう。カストル家の目的が目的なだけに、クーガの生命の危険はないのが確定していてですね。最悪連れ去られても、僕が救出にテレポートとかの力を行使すれば良いんじゃないかな? なんて思ったりなんかしちゃってですね」
ミシュラはラックの言葉を受けて、ギロリと視線を向けた。
「このケースだと、『助けられるから良いでしょう?』という話には乗れませんわよ? それと、クーガが捕まった場合の状況を考えてみて下さいな。確実に24時間体制の監視が付きますよ? 誰にも知られずに、身柄を奪い返すのは不可能となるはずですわね。つまり、強引に奪い返せば、貴方の力がカストル家に知られるわけですね」
ミシュラはそこまでで言葉を切り、視線で「それでも良いのですか?」と問い掛けてきた。
そこまでのことを考えていたわけではなかったラックは、妻の冷え切った声音でいかにもありそうな推測を述べられてタジタジとなった。
そして、そこへ冷めた表情のままの正妻の追加攻撃が加わる。
「クーガの話はわたくしと貴方だけで話し合って決めても良い案件ですけれど、ゴーズ家のことでもありますから今晩の夕食の席で、皆の意見も聞いてみますか?」
他の4人の妻に話をしたとしても、ここまでの話でどう転んでもラックの主張に賛同が得られそうもないことは、さすがに理解できた。
だが、それはそれ。これはこれ。「漢には負けるとわかっていても戦わねばならない時がある!」と、絶対にそんな考えが必要な場面ではないことを承知の上で、ゴーズ家の当主は心の中で一度は言ってみたかった台詞を呟いてみた。
勿論、心の中で終わらせ、それを実際に口に出したりはしないが。
この時の超能力者が発言したのは、全く別のことだ。
「うん。反対されるしかないのは承知の上で、違う視点の意見も聞いてみたいね。特にアスラは、ミシュラと同じで、今のカストル公爵のことを良く知っているだろうしね」
そんなこんなのなんやかんやで、なんとなく夕食の時間に突入し、5人の妻にさらりと話題をふってみるラックは、漢を魅せたつもりになっていた。お馬鹿である。
「ミシュラさん。この人は正気なのかしら?」
アスラは夜のローテーションに入ったことで、多少なりとも妻たちの輪の中に入り込んでいた。ミシュラからは”様”付けを止め、”さん”で良いとまでは許されている。
「『常時、正常で正気なのか?』と言われると返答に困りますが、今のこの人の発言は本気の考えで間違いないですわよ」
「そ、そうなのね。嫡男を生贄に差し出す行為にしか聞こえなかったものだから」
「まぁクーガが殺されることはないでしょうから、若干表現が適当ではないように思いますけれど、気持ち的にはアスラの言いたいことにわたくしも賛成です」
ミシュラは珍しくアスラの発言を支持する。普段は内心で同意していても、あえて反対する見解をぶつけることが多いのだけれど。
「いえ。殺されますよ。父はやらないでしょうけど、ミゲラか母か、どちらかが殺しにかかります」
「え? そんな状況に何故なる? 動機となる理由がないだろう?」
アスラの発言にフランが疑問を口にする。
「あり得るのではないか? ゴーズ家はロディアとメインハルトを匿っている家だ。ミゲラの方は何を考えるかはわからんが、母親の方はもう正妻の立場を追われて家からも追い出されるのが確定しているだろう? ゴーズ家に復讐したいと考えても不思議じゃない。ついでに言うと、戦争の面でもラックを個人的に恨んでいると思うぞ」
エレーヌが意見を述べた。彼女の見解の最後の部分は、他の誰も想定していない話であったため、全員が驚きの表情へと変化していた。
「えっ? 僕何かやったっけ? ロディアたちを匿っているのは事実だから、それが理由で恨まれるのなら仕方がない。でもさ、スティキー皇国との戦争関連で、恨まれるようなことはやってないと思うんだけど」
「そう。何もしていないから恨まれるんだ。思いっきり逆恨みの話になるがな。ミシュラの母の出身の家を思い出してみると良い。理由が思い当たるはずだ」
そう言われてもラックにはピンと来る物はなかった。ミシュラの母が南部辺境伯の家の出であることは知っているけれど。
「ラックはわかっていないようだから、私の推測が合っているのか確認しよう。戦争で戦果と言えるものを挙げたのはゴーズ家だけだが、敵国の人間を殺した数の報告がない。要は、『ゴーズ上級侯爵が率いる戦力は敵の兵器を奪うことができるのに、南部辺境伯領の仇は取ってくれないのか?』なのだろう? エレーヌ」
「ああ。それもある。もう1つ。きっと彼女はこう思っているさ。『それほどのことができるなら、何故南部辺境伯の領都に被害が出ないように守れなかったのか?』とな」
ラックはリティシアとエレーヌの発言を聞いて思った。
ストレートに、「理不尽過ぎるだろう!」と。
「『敵国の民を殺す面で、戦果報告がないのがけしからん』ってのはまぁ事実を含んでいるから、理不尽な怒りの向けられ方だとは思うけど、『ごめんね』って言ってあげたくなりはする。でもさ、領都の話は限度を超えてない? 僕らは参戦義務の免除中で、参戦要請を受ける前の話だよ? 距離だってべらぼうに離れてるし」
スティキー皇国の人間を”殺しまくろう”と思えば、それができたことは事実だ。
そして、作戦上の効率から”できてもやらない”を、ラックは選んでいるのだから、そこだけを切り取って文句を言われるのなら、納得はできないがその見解を受け入れる余地はある。
しかしながら、参戦義務の免除中に、”実力があるのなら未然に防げ”と強要されるのはさすがに違う。しかも襲われたのは、自身の庇護下の領地ではなく他人の領地なのだからお話にならない。
ここでは誰も気づくことはないが、南部辺境伯の関係者ならラックを恨む理由はまだある。これは辺境伯側の自業自得の話になってしまうが、彼の家の配下の暗部の実働部隊を、超能力者が”皆殺しにした”という立派な実績もあるのだから。
そして、ミシュラの母はその件のガッツリ直接関係者なのである。
こうして、ラックはカストル公爵家から、様々な理不尽な思惑を向けられて行ったのだった。
「そんな理由なのかよ?」としか思えない事柄ばかりに、辟易してしまうゴーズ領の領主様。息子に難しい実務経験を積ませようとしたのは、「女性方面だけ突出してたらアカンのや」と、直接は言い難いためだった。「お前が言うな!」と言われかねない状況に、薄々気づいていながら平気でそれを棚上げしてしまうラックなのであった。
◇◇◇お知らせ◇◇◇
資料集を1話~26話の部分対応で更新しました。
残りはまだ先になります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます