第48話 「お父さんに会いたいか?」

 舞音は花栗の顔を胸で押さえながら必死に抱きつき、上下に揺れている。

 遠くから見ると、対面のアレにしか見えないが……。


 美葉と心愛を流し目で見ると、僅かに頬を赤く染めて俯いている。

 恐らく2人も、そういう行為を思い浮かべているのかもしれない……と、想像するだけでちょっと身体が熱くなる。



「あ、なめしゃ~~ん! みんな! 早く!」

「え、ええ?」



 状況を良く呑み込めないまま、とりあえずベンチに近づいた。


 すると舞音のショーパンからむっちりとした太ももが露になり、花栗の巨乳が舞音を圧迫している。余計にエロい構図にしか見えなくなった。


 耐え切れず、視線を逸らす。だが、花栗の「んんん……ん!」という声がやたら色っぽくて、もう反応するなと言う方が難しい状況だった。


 一体何を……。



「ゆるるんママが逃げよるけん、なめしゃんも助けて」

「あ、あ……ああ」



 なるほど、そういうことか。まあ、そうだよな……。


 俺は先程の想像を脳内から振り払い、舞音に加勢した。


 ……とは言っても、花栗の押しつぶされた巨乳を間近で見るのは刺激が強すぎるため、目線を逸らしながら腕を抑えた。


 すると、美葉と心愛も花栗の反対側の腕を押さえつけた。



「ふぅ~、間一髪だったばい」



 舞音はそういうと、花栗の顔からゆっくりと胸を離した。



「……ぷはっ。はぁ、はぁ……殺す気か!」

「ゆるるんママが逃げよるんやもん」

「ここまで来るなんてストーカーかよ! ……ああ、腕も痛いって! もう降参するからどかしてくれ」



 俺たちはゆっくりと花栗の腕から手を離した。花栗は腕をぐるぐる回して体勢を整えた。



「……それで、要件はなんだ。退去の意向は手紙で伝えたが、不備でもあったか?」

「いえ、不備はありませんでした」

「じゃあなんで」

「連れ戻しに来たんだ、よるるとゆるるのこと」



 俺は、花栗をまっすぐに見つめた。

 しかし彼女は俺から目を逸らした。



「……それは無理だ。あたしたちは事情があって――」

「ゆるるの父親なんだろ? レオンが」

「な、なんでそれを!」



 花栗は面食らった顔をしながら勢いよく立ち上がった。



「レオンが言ってたよ。会いに行ったら、全力で拒否されたって」

「あいつ、意識あったのかよ……まぁ、そういうことだ。レオンに家バレしたから引っ越す。それだけだ」

「それは、俺たちとの生活よりも大切なことなのか?」



 その時、強い潮風が吹いた。

 花栗の長い赤髪がなびき、顔を隠してしまった。


 やがて風がやんで髪が戻ると、彼女の目が赤くなっていた。



「……嫌だよ、あたしもさ。でも、ゆるるのためだ。レオンはあたしたちに何も告げずに捨てたんだ。ゆるるの顔さえ見ずに……会わせられないよ」



 俺はその言葉を聞いて、レオンの言葉を思い出した。



「よるる、レオンがこう言ってたんだ。『子どもが出来た時は結婚するつもりだったんだけどね。父がそれはもう激怒して、よるるから強制的に引き離されてしまったんだ。彼女には事情も告げられないままね』って。俺は奴の肩を持つつもりはさらさらないけど、これだけは伝えるべきだと思って」



 花栗はハトが豆鉄砲を食らったような表情を見せたあと、珍しく狼狽した。



「そ、そ、そんなの奴の常套句かなにかだろ。女たらしだし。い、言い訳がましい。というかどのみちそんな奴が父親だと知ったら、ゆるるの教育に悪いだろ?」



 教育……。



「……俺さ、よるるがゆるるに強姦魔や恐喝みたいな物騒な言葉を教えていること、教育に悪いって思ってたんだ。でも、そういう知識があったから知らない人への警戒心が根付いたんだと思う」



 俺の言葉を聞いた花栗は、目を丸くした。



「それに、アッパーカット。暴力行為を教えるのは普通はありえないけど、ゆるるは俺を守るために戦ってくれた。だから……教育に何が良くて何が悪いかなんて、根本的にはわからないよ」



 俺は花栗の子育てへの向き合い方を、かっこいいと思っていた。


 法に触れることは論外だけど、それ以外のことなら、もっと固定観念を排除して、子どもの可能性を伸ばす教育があるんだって。


 だからゆるるは、天才的なカードゲームをたくさん作る発想力を得たし、俺たち大人にも臆せず、そして誰にでも優しく向き合えるいい子に育ったのだから。



「部外者の俺が言うべきじゃないのかもしれないけど、俺はゆるるの選択肢を狭めて欲しくないと思う。ゆるるに父親に会いたいか、聞いたことある?」



 花栗は泡を食ったような顔をした。

 そして俯いた。



「……ない。なめろうの言う通り、あたしはゆるるの可能性を狭めていたかもしれない。レオンを徹底的に排除することは、あたしのエゴであって、ゆるるのためじゃないかもしれないよな……」


 

 その時、遠くから声が聞こえた。


 その声音は徐々に大きくなり、「ママ~!」というはっきりとした言葉が聞こえた時、ゆるるだと気づいた。


 舞音は「ゆるるんばい!」と嬉しそうに叫ぶと、こちらに向かってくるゆるるに駆け寄った。そして、思いきり抱きしめた。



「ゆるるん~! 会いたかったばい!」

「舞ねぇ! 遊びに来てくれたの?」

「うん! みんなもいるよ~。こっちばい!」



 舞音はゆるるの手を引き、こちらへ駆け寄ってきた。



「なめろうにぃ、美ねぇ、ママ~!」



 ゆるるのあたたかな笑顔をみると、心がすっと晴れやかになった。



「ゆるる……どこ行ってたんだ?」

「ママ、見て! 2つ葉のクローバー、ミナミボーショーにもあったよ!」



 『南房総』を上手く言えない様子が可愛らしくて、俺と美葉と舞音は顔を見合わせて笑った。



「一体どこに生えて……でも、誰とケンカしたんだ?」

「ケンカじゃないよ。ゆるる、なめろうにぃを守ることに必死で悪い人さんを倒しちゃったでしょ? 謝らなきゃって思って、頑張って探したの」



 健気なゆるるの言葉に、思わず涙腺が疼く。


 後ろ姿の花栗の肩が小刻みに揺れているのがわかった。

 そして、花栗はしゃがみこんでゆるるを強く抱きしめた。



「ママ? 泣いてるの?」

「な、泣いてない……なぁ、ゆるる」



 花栗は涙声でゆるるに囁いた。



「お父さんに会いたいか?」



 ゆるるは、はっとしたような表情を見せたあと、口を噤んだ。

 どうやら回答に逡巡しているようだ。


 この場の緊張感が伝わり、俺は唾を飲みこんだ。

 心臓がやけに騒がしい。


 そして――



「ゆるるは、お父さんに会ってみたい。でも、お母さんが悲しむなら、ずっとお母さんといるだけで幸せだよ」



 夕焼けが、ゆるるの微笑を淡く照らした。


 この場にいるゆるる以外の全員が、涙を流した。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る