第40話 「かっこよかったぞ」

 嵐は去った。


 あの後、七香は許嫁に電話をした。ぎりぎり昼休みの時間帯だったこともあり、連絡はすぐに取れた。


 なにやら揉めている雰囲気はあったが、七香が泣いていたこともあってか話はまとまり、俺と許嫁の会合の日程は明後日の夜8時に決まった。


 その後七香が帰宅したので、疲れ果てている様子の美葉を自室に返して休ませ、花栗の家に設置したモニターなどの機材を空室の104号室へ撤収する作業を始めた。



「なめ公、落とすなよ」

「わ、わかった」



 想像以上に大きいモニターを2人がかりで持ち上げ、慎重に階段を下りる。



「このモニター、50万だってよ」

「嘘だろ……」



 俺と七香の様子を確認するためだけに小桜家の執事が用意したモニター。

 それが50万って……実家は一体どんな大豪邸なのだろう。



「ほら、よそ見すんな」

「ご、ごめん」



 花栗に注意され、慌てて足元を確認した。


 俺は何事もすぐによそ見をして、足を踏み外しそうになる。

 今日だって、危うく七香に同情して涙を拭いてしまうところだった。

 

 俺は美葉が好きなのに……好きだから、もう絶対に、よそ見はしない。



「ふぅ。終わったな」



 50万円のモニターを無事に1階に下ろした俺たちは、そもまま104号室へ移動した。


 そして床にモニターを下ろした途端にどっと疲れが押し寄せてきたので、美葉の大量の本の隙間にへたり込んだ。



「よるる、今日はありがとう。そして醜態を見せて悪かった」

「あたしなんてもっと壮絶な修羅場をくぐってんだ。大したことないさ。ははは」



 俺の言葉を笑い飛ばす花栗に、救われる思いがした。

 彼女の懐の深さは本当に尊敬する。

 


「なぁ、なめ公」

「うん?」

「かっこよかったぞ」

「え……」



 『かっこよかった』……まさか、花栗からこんなことを言われるなんて思いもしなかった。

 思わず狼狽えてしまう。



「『もう、君の涙を拭ってあげることはできない』だったな。かっこいいわ。ははは」



 花栗は俺の口調をマネて茶化すように笑った。

 俺はそんなキザな言い方をしてたのか……羞恥が溢れ、身体が熱くなる。



「や、やめてくれ……恥ずかしい」

「冗談だって。なめ公は最終的に元カノじゃなくて美葉についただろ? それに自分で決着をつけると言い切った。ある意味八方美人な究極の優男だと思ってたけど、男気もあるんだな」



 俺以上に男気のある花栗に褒められると、なんだか照れてしまう。思わず指で頬を掻いた。



「あ、いや……なんていうか、『コーポ夜桜』の住人のお陰だ。ここに来る前は自分の意思を見失ってたし、今も優柔不断になる時がある。でもその度に皆が気づかせてくれるんだ、大切なことを」

「あれま、またくさいことを」



 花栗が俺の脇腹を肘で小突いた。



「や、やめろって」

「ははは。まぁ、無理すんなよ。明後日は仕事だけど、シフト調整して途中から合流するから」

「え、それは悪いだろ」

「今度来んのは男だろ? なんかあったらあたしがぶっ飛ばしてやるからよ」



 花栗はそういうと、虚空にパンチを繰り出した。

 あまりのスピードと威力に、思わず身震いしてしまう。


 これをまともに食らったら、男でもひとたまりもないだろう。



「んじゃあ、あたしは買い出し行ってくるわ」

「わかった。今日は本当にありがとう」

「困った時はお互い様よ」



 花栗はそういうと、玄関へ向かった。そしてドアノブに手をかけると、一瞬動きを止め、俺の方を振り返った。



「だからさ、あたしが困った時は、助けてくれよな」

「ああ。勿論だ。絶対に、よるるを助けるよ」

「……やっぱりなめ公はイイ男だな」



 花栗はいつもとは違う柔らかい笑顔ではにかむと、104号室を後にした。


 不意に見せる花栗の女性らしい仕草は、やっぱり魅力的だ。


 だが、どこか儚いとも思った。



***



 本の隙間を縫って横になると、ふっと意識を手放してしまった。

 そして起きたらいつの間にか窓の外が暗くなっていた。


 ……俺は一体どれほど長く寝たんだ。


 慌てて身体を起すと、変な体勢で寝ていたせいで身体の痛かった。早く風呂に入って温まりたい。


 それに、早く美葉に会いたい。


 俺は痛みをこらえて立ち上がると、一旦家に戻って着替えを取り、101号室へ向かった。しかし、インターフォンを押そうと指を突き出すも、中々踏み切れなかった。


 もしかしたら、七香の涙を拭おうとした俺を、美葉は許してくれていないかもしれない。それどことか、泣き落されそうになった俺に幻滅してる可能性も否めない。


 そんな不安と、会いたい衝動が綯い交ぜになり、俺は101号室の前で立ちすくんでしまった。



「……あ、なめろう」

「……え?」



 背後から声がしたので慌てて振り向くと、そこには部屋着姿の美葉が力なく立っていた。


 心臓が、壊れそうになった。



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