第38話 七香の告白
――私、まだ雪郎のこと、好きなの……。
ちょっと待てよ。ずっと許嫁がいて、俺が浮気相手で、バレたら音信不通になって、不倫の噂を流して会社を追い出して……そんな仕打ちをしておいて、『好き』ってなんだよ。
今の七香の言葉で感情がぐちゃぐちゃにかき乱され、吐き気すら覚える。
今更、許せるわけないだろう?
「真相を話したら私、人生を壊すことになるかもしれないの。私の人生だけでなく、周囲の人生も……だから言えなかったことがあります」
泣きながら話す七香。
俺の人生を壊しておいて、どの口が言うんだよ。
反論したい気持ちはやまやまだし、もう少しで感情が決壊しそうだが、美葉の作戦は七香の証言を取ること。だから口を挟まないよう、ぐっと堪えた。
「だけど、本当に好きな雪郎の気持ちを考えることが出来なくて最低でした。本当にごめんなさい。だから、真実を話します」
七香は丁寧な口調で喋りながら深々と頭を下げた。
そしてややあってからゆっくりと頭を上げ、今日初めてしっかりと視線を合わせてきた。
意思のある、凛々しく美しい瞳……だと思っていたのに。
俺は七香のこの瞳に騙されていたのか。やるせない。
好きだったのは、偽りの姿だったなんて……。
「私は中学生の頃に許嫁が出来たの。相手はエレクトリマ社長の息子、私は大手銀行重役の娘で、完全な政略結婚よ。だけど、それには複雑な事情が絡んでいた」
政略結婚……当人の想いを無視して一族の利益のために行われる結婚。
フィクションの中でしか聞いたことのない言葉を受け、俺は七香とは
「実は、エレクトリマの財前社長には子どもがいないの。だから
そんな話、ドラマの世界でも聞いたことがない。事実は小説より奇なりとはことのことか、とあっけにとられてしまった。
しかし、何故この政略結婚が水面下で行われ、極秘であったかの理由が明らかになった。
どうりで、社長の息子が社内にいることに気づかなかったわけだ。そもそも、苗字が違うのだから。
「私がエレクトリマに入社したのも、許嫁との恋愛結婚を装って結婚するためだったの。妾の子と政略結婚なんて、体裁が悪いって父が……でも、エレクトリマは大事な取引先だし、財前社長にはお世話になっているからと、破談になることはなかった」
自分の職業や結婚相手が中学生の時から決まっている。そういう人生を想像しただけでも背筋が凍った。
七香はこんな重圧を背負って、何事もないような涼しい顔で、凛として生きていたなんて……。
2年付き合ったのに何も気づかなかった俺は、愚鈍だ。
「ただ、当人同士は波長が合わなくて……。許嫁相手は自由人で、入社前はかなりやんちゃをしていたの。そんな彼から、彼が30歳、私が27歳になるまで自由恋愛をしようと提案された。もちろん、その年になったらどんなに好きな人がいても別れて許嫁同士で付き合い、1年後には結婚するという約束で。当然困惑したけど、私も本当に好きな人と一度も恋愛出来ない人生は寂しいなって思って承諾したの」
それってつまり、許嫁のことが好きではないということか?
あまりにも衝撃の事実に、身体が硬直し、思考にもやがかかった。
「彼は社内に彼女がいた。だから私も社内で恋愛していいかなって……雪郎のことは飲み会で少し話しただけで、すごく惹かれるものがあったの。この人は許嫁とは真逆で、私のことを受け入れてくれる優しい人だなって直感で思った。そしたら実際、そうだったね」
はにかみながら涙声で話す七香。
も、もうやめてくれ……俺への気持ちを話さないでくれ。
俺は、女性の涙に弱いんだ。
脆くて雪のようになくなりそうな存在に、弱いんだ……。
「クリスマスは、彼の30歳の誕生日だった。その日から交際を始める約束で、彼も彼女と別れてきた。でも……私は、雪郎と離れたくなかった。だから、許嫁を辞めたいって言ったの。そしたら彼が激怒して……ご、ごめんなさい。あんなことになったのは、私が弱くて優柔不断だから……」
俯いて、大粒の涙を流す七香。
七香はまだ、俺のことが好き。名家同士の許嫁を解消したいと思うくらいに。
俺はそんなに辛かった七香の気持ちを、なにも分からずに告訴しようとしていた。
最低だ。気づけなかった俺が、最低だ。
「あの日、彼に金輪際雪郎と話すなと言われた。でも、どうしても電話を着信拒否にすることが出来なくて雪郎の電話に出てしまった。その時に、私の事情を雪郎に打ち明けることができないどころか、電話したことが彼にバレてしまって……多分、怒髪天を衝いた彼が、噂を流したの……」
噂を流したのは、七香じゃなかった。
俺はもう、どうしてよいのかわからない。
「私は許嫁が破談になったら職も失うし、都城家の信用もエレクトリマとの取引も失うぞと釘を刺されて、雪郎に最低なことをしてしまいました。本当に、本当にごめんなさい。会ったことがバレたら次は何をされるかわからないから、この前も逃げてしまって……ごめんなさい……」
土下座をする七香。
放心の俺。
すすり泣く心愛。
本当に、どうしていいのか、わからないんだ。
「雪郎、好きです」
「七香……」
俺は無意識に立ち上がって七香の横に移動し、顔に手を近づけた。
せめて、涙を拭ってあげたかった。
今の俺には、それしかできないから。
そして4か月ぶりに七香の雪のように繊細な肌に触れようとした時――
ドンドンドンドンドンドンドンドンドン‼
玄関のドアが、激しく叩かれた。
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