第30話 最低だ

 昼下がりの公園は平穏な空気に包まれ、ゆっくりとした時間が流れている。


 ベビーカーを引く女性、サッカーをする子ども、犬の散歩をする老人。

 それぞれが春のうららかな日差しに照らされて幸せそうな顔をしている。


 そんな中、俺は噴水の淵に座って舞音に自分のことを話した。

 七香の浮気のこと、会社のこと、桐井が七香と繋がっている可能性があるため悩んでいたことを全部打ち明けた。


 舞音は神妙な面持ちで聞いてくれたけど、途中で俯いてしまった。話を中断するか訊いても首を横に振るので、俺は遠くの景色をぼんやり眺めながら話を続けた。


 そしてすべてを話し終えて舞音の方を向くと、俯く顔からぽたっと一粒の涙が膝に落ちた瞬間を見てしまった。


 俺の話で傷つけてしまったのか?

 それとも、俺のために泣いてくれているのか?


 俺は混乱したが、急いでハンカチを取り出して舞音に差し出した。



「ま、舞音、重い話をしてごめん。あの……これ、ハンカチ」

「……なめしゃん」


 

 震えた声の舞音。

 こんなにも感情移入してくれるなんて、なんて優しい子なんだろう。


 俺は彼女の頭を撫でようと無意識に手を伸ばした。


 その時、俺のがらりと空いた胸元に舞音が倒れ込んできた。

 俺のシャツをぎゅっと握っている。



「なめしゃん……辛かったやろ。舞音、力になるばい……」



 舞音は俺の胸元で静かに泣いた。

 俺は胸が締め付けられる思いだった。心臓が早鐘を打つ。



「舞音……ありがとう」



 舞音への感謝、申し訳なさ、優しさへの感動など様々な気持ちが綯い交ぜになり、感情が高ぶった俺は舞音の背中に手をまわしかけた。


 その時――



「2人って、そういう関係だったんだ……」



 よく聞き覚えのある透き通った声。

 微かに震えを伴った弱々しい声色。

 

 咄嗟に顔を上げると、目の前に美葉が力なく佇んでいた。



「み、美葉、どうして――」

「連絡しましたけど」

「え」



 俺は舞音を慎重に起こした後、慌ててスマホを確認した。


 美葉とのトーク欄には、【授業が臨時休校になったので今から向かいます。最寄りの公園で集合しましょう】というメッセージが表示されている。


 一瞬で血の気が引いた。



「ごめん、気づかなくて……」

「私の連絡に気づかないほどお楽しみしていたところ、お邪魔しました。では」

「ま、待って――」



 美葉は素早く踵を返すと、凄まじい速さでこの場を去った。


 俺は舞音に「ちょっと待ってて」と声を掛けると、猛ダッシュで美葉を追いかけた。


 だが、彼女は俺とは比較にならないくらいの速さでどんどん遠ざかってゆく。それでも諦めず、俺は走ったが――


 ドンッ


 俺は何かに衝突し、地面に転倒した。

 痛みに耐えながら起き上がると、前方に人が倒れている。



「す、すみませんでした! だ、大丈夫ですか?」

「Ouch! 痛たたた……君、ちゃんと前を見てね」



 頭を掻きながら立ち上がったのは、金髪の男性だった。身長はおそらく180cmを超えている。顔は……イケメンだ。くっきりとした2重にホリの深い顔、そして溢れんばかりの色気と異国情緒。モデルや俳優と遜色ないオーラがあり、思わず委縮してしまった。



「す、すみませんでした……」

「あと君、女の子のこともちゃんと見てね」



 一瞬何を言われているのか分からず狼狽えたが、おそらく美葉が走り去っていく姿を目撃したのだろう。


 ぶつかったのは俺が悪いが、初対面の奴に人の私情についてとやかく言われる筋合いはない。俺は少しムッとした。



「あの子、泣いてたよ」

「え……」

「女の子を泣かさないようにね」



 金髪男は俺の肩をポンッと叩くと、そのまま軽やかな足取りで去って行ってしまった。

 俺はもう怒りを抱く余裕もなく、放心状態になった。


 俺は今日、舞音を泣かせ、美葉まで泣かせてしまったのか……。


 最低だ。


 でも、美葉は連絡を無視されたことを怒っていただけではなかったということか?

 それって――



 ――浮気はダメじゃぞ。

 ――2人って、そういう関係だったんだ……。



 幹夫さんの言葉と美葉の言葉を同時に思い出した。

 俺は、美葉の気持ちを考えたことがなかった。



「なめしゃん……」



 すると背後から、消え入りそうな声が聞こえた。

 ゆっくり振り返ると、舞音が立っていた。



「舞音……」

「美葉しゃんには悪いことしたと。やけんあとでちゃんと謝るばい」

「ああ……」

「でも……」



 舞音は唇を噛み締め、目に溜まる雫が落ちないよう堪えている。



「舞音のこと、置いてかんで……」



 頬を伝う雫を見ながら、俺は今まで誰の感情も慮れていなかった。



 俺は、最低だ。

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