第29話 好悪

『どうやら日乃本朋絵ちゃんの様子がおかしいみたいだから、ちょっと桜子ちゃん様子を見に行ってきてくれないかな?』


 ………………


 …………


 ……



「いや、そんな風に頼まれたら見に行かざるを得ないじゃないですか……」


 武さんからメールを受け取った私はそうぼやきつつ学校の廊下を歩いていく。

 時間的にはまだまだ余裕があり、これから彼女の元を訪れて何があったのか尋ねても大丈夫。

 とはいえ、面倒なのは確かだ。

 別に日乃本さんの事は嫌いではない。

 好悪で言えば好きだし、数少ない友人の一人として数えられると思っている。

 ただ、苦手でもある。

 あのように明るく、それでいて心の内に何か秘めている人間というのは距離感が掴みにくくてやりづらい。

 そういう意味で金剛夜月さんはやりやすい。

 辛辣ではあるけど、素直だし。


「……ん」


 そうして廊下を歩き、日乃本さんがいるであろう教室へと辿り着く。

 外から教室の中を見、彼女を発見する。

 そして納得する。

 なるほど、確かに調子が悪そうだ。

 ここからでは日乃本さんの背中しか見えないけれど、なんだか彼女の丸まった背中からは負のオーラが漂っているのがここからでも分かるし、なんだか日乃本さんの周囲だけ重力が重たそうな、そんな雰囲気がある。

 普段は比較的明るい彼女なので、そんな彼女がそんな風になっていたら周囲の人間も彼女の変化をすぐに察知するだろう。

 実際、日乃本さんの事を見て何かあったのかと話しているような感じの女子生徒達が見えるし。


「……」


 この中を移動して日乃本さんに話しかけるのは容易ではない。

 無視して帰りたいな。

 そう思ったけど、しかし武さんに頼まれたのだから、そんな事は出来ない。

 まったく、貧乏くじを引いてしまった。

 そう思いつつ、私は重い足取りで教室へと入り、彼女の元へと移動した。


「ちょっと、日乃本さん」

「……え」


 と。

 日乃本さんは緩やか、というよりもどんよりとした動きで振り返り、私の方を見る。

 分かっていたが、凄い暗い表情をしていた。

 何があったのかと正直彼女の事なんてどうでも良いと思っている私ですら何があったのかと尋ねたくなりそうなほどに。

 とはいえここで話せるような内容ではなさそうなのも事実。


「その、一旦場所を移しませんか?」

「……ん」


 と、彼女は頷いてくれた事にほっとする。

 これで拒否されたら更に面倒な事になっていた。

 こんな状態の人間は結構頑なだし、そんな人間を説得出来る程私はコミュニケーション能力がある方ではない。


 そして私達は人気のない校舎裏へと移動する。

 そこにきてようやく私は彼女の目を直視する。

 いつもの無駄に明るかった瞳は、今や濁り切っていた。

 何がどうしてこうなった。


「その、どうかしたんですか?」

「……天童さんには関係な」

「その天童さんのところの武さんが気にしているんですよ」

「……ッ、」


 彼女はきゅっと唇を噛んだのが見て取れた。

 そして彼女はしばし悩んだのち、ゆっくりと答える。


「……桜子さんには、言いたくない」

「そう、ですか」


 こう言ってくるとなると、こちらがどれほど説得しても口を割りはしないだろう。

 そういう状態なのだ、今の日乃本さんは。

 多分本当に私に言いたくないような内容の話だろうし、そうなってくると私もあまり聞かない方が良いとも思う。

 じゃあ、どうする。

 このまま放置する?

 それは出来ない。

 出来ないけど、しかし私の力では何も出来ない。

 完全にお手上げだ。

 

「……はぁ」


 しかし、何も出来ないという訳ではない。

 まったく、こんな事をするような人間じゃなかったんだけどな。

 私はポケットからスマホを取り出し、電話帳からその電話番号を選択し、電話を掛ける。

 通話が繋がる前にコホンと咳払いし、喉の調子を整える。

 そして、


「あ、あー。こほん、先生、ですか? けほ……その、ちょっと私、熱っぽくて、咳も出て。だから今日は、お休みにさせて貰って良いですか?」


 返事は言うまでもなかった。

 ぽちりと通話を切った私が日乃本さんの方を見ると、何やら彼女は呆然としていた。

 なんだか、彼女の瞳に光が少しだけ戻っているような気がした。

 

「な、なんか迫真な演技だったけど」

「こほん。そんな事は良いですから」


 私は彼女に言う。


「今日は学校、サボりましょう――全く私、悪い子ですよ全く……」

「え、っと?」

「だから、ですね」


 察しが悪いな。

 彼女の事を半眼で見る。


「私の家に、武さんに会いに行くんです」

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