リバーサル・ゲーム

ねむるこ

第1話 アザ

「凄いな。佐藤はじめの異能」


 教室でスマホ片手に男子生徒が騒いでいる。その周りに複数の男子生徒が集まり熱心に彼のスマホの画面を眺めていた。


「へえ空間操縦だって。自分の範囲に入った物を自由に動かせるらしい。ほら動画も上がってる。やっぱ“ギフト”持ちは違うなー」

「すげえ!もう再生回数1万は超えてるぞ」

「“アザ”の俺たちじゃこの数秒でバズらせるなんて無理だな」


 窓側の席で大あくびをしている女子生徒は男子生徒の話題に興味すらないらしい。再び眠りにつこうとした瞬間、前の席に座っていた女子生徒に頭を叩かれて目を覚ます。


らい!これから授業はじまるのに寝ないの」


茶髪の女子生徒……早瀬春華はやせしゅんかは全く仕方がないという顔で腕組をしていた。朝から眠りにつこうとしていた女子生徒、深海頼ふかみらいは叩かれた頭を撫でながら恨めしそうに春華を見た。寝不足なせいか頼の目元にはうっすらとクマができている。叩かれたせいでショートカットの黒髪が僅かに乱れているのだが気にしている様子はない。


「痛いよ春華……」

「頼が悪い。てかさ、また異能者のSNS増えたよね?結構イケメンじゃない?」


 熊のキャラクターが前面に描かれたシリコン製のケースが目立つスマートフォンの画面を春華が頼に突き出して見せる。


 そこには先ほどの男子生徒が騒いでいた「佐藤はじめ」と書かれたSNSのページが目に入る。その顔は不機嫌そうではあったが整っており真っすぐな短い黒髪が似合う男子高校生のプロフィール写真が目に映る。自己紹介文には 特殊異能桜咲高等学校/異能者/読書/ゲームというワードが羅列され「佐藤はじめ」という異能者が何に興味を持っているのか分かるようになっていた。それらを見ても頼は「ふうん」と言うだけでそれ以上何の反応も見せなかった。


「頼の好みじゃなかった?私は結構好きだけどなあ」


春華が一人できゃぴきゃぴしているのを横目に頼はため息をついた。


「……おやすみ」

「あ!こら頼!起きなさい!」


べしべしとうつ伏せになった頼の頭を春華が再び叩く。


「いいよねー。異能を持つ子たちは。これからの人生バラ色だよ。好きな大学選び放題だしさ政府の重要な機関で働けるんでしょ?“ギフト”持ちの男と付き合おっかなー」

「馬鹿らし」


 頼が小さくそう呟いたのだが春華の耳には届かなかった。同時に数学の教師が教室に現れ生徒が慌ただしく席に着く音があちこちでしたからだ。


「皆タブレットだせー。授業始めるぞ」


 授業が始まる独特の沈黙が教室の中を包む。先ほどまでうるさかった夕もタブレットを鞄から取り出すと数学のアプリを起動させる。頼はタブレットすら取り出さずに瞼を閉じた。


「また新しい異能者が現れたらしいな。遠くの物を動かせるとか便利だな、歩かなくていいし!」


この数学教師は授業の前に必ず雑談をして生徒を笑わせた。今日も早速新しい異能者の話題をだして笑いを取っている。


「先生は普通が一番だと思うぞ。皆普通に学校に行ってそこそこ暮らせれば上等だって俺は思うけどな。一般人が一番!あ。お前たちの場合“アザ”て言うんだっけ。Othersその他大勢の意味で“アザ”なんてよく考えるなー。異能者のことは“ギフト持ち”だっけ?」


 そう言って数学教師があはははと大口で笑ってみせた。

 教師という公務員の職も狭き門だった。大不況下の現代で公務員職の人気は高く能力を持たない一般人が“普通”に生活できるのは公務員ぐらいしかないしかなかった。もしくは大企業に就職するしか生きる道はない。一般人の成功者である数学教師に「普通が一番」などと言われても何の説得力もないと頼は顔をうつ伏せにしながら心の中で突っ込んだ。


「先生だって高給取りじゃん。」

「あのなー公務員だって最近は辛いんだぞ。税金だって引き上げられたんだし。お前らだって消費税20%になってひいひいなってるだろう?好きなもんもろくに買えない。先生だって同じだ」


 数学教師が目元を拭う仕草をして泣く演技を見せる。複数の生徒が笑いをこぼす。


「生き残るために勉強しろなー。ほら授業はじめるぞー」


 数学教師の「生き残るため」という言葉を聞いて生徒たちの空気が変わる。皆真剣にタブレットと電子黒板を睨みつけた。


 一般人の子供の殆どは公務員試験、大企業就職の為に学校に通い勉強に励む。幼いころから死に物狂いで働いてきた両親にそう刷り込ませられるのだ。

 公務員と一般企業の就職以外の選択を語ったならばたちまちその人物は「変わり者」として見られた。「こんな大変な時世に夢を語れるなんてお気楽な奴だ」と思われることが多かったし世間全体がそんな風潮だった。


 いつしか子供たちが夢を語ることはなくなっていた。子供たちに関心が向くことすらない世の中になってしまったのかもしれない。

 少子高齢社会で子供の数が急激に減り、この大不況に増税。誰もが生きるのに必死で「夢」を語ることが憚られた。


 一方異能者は政府に保護されその家族も保護の恩恵を受けた。そして政府の機関でその人並外れた能力を使って国や一般の人々に貢献するために働くのだという。その暮らしぶりはSNSで生活をアピールしている異能者がいるほどだ。異能者たちは政府が作った特別区で保護金を与えられながら優雅に暮らしているそうだ。


 異能者の存在は暗い世の中を照らす灯になると思われた。突如30年前から現れた特殊な能力を持った人々の力を使って国は経済を、市民生活を活発化させようと画策した。勿論異能者がその力で社会に悪を及ぼさないように政府が囲う必要もあったのだが……。実際は異能者に関わる重大事件が起こり、能力を持つ者と持たない者とで貧富の差が生まれる結果となった。


 異能者を排除しようとする運動を起こす団体も生まれた。時々学校周辺でも「異能者を排除するべきだ」と一般人のヘイトスピーチが行われることもあった。


「馬鹿らし……」


 頼はまた誰にも聞こえない独り言をつぶやいて机の上に突っ伏した。

 授業が始まって間もなくタブレットすら出していない頼はすぐに数学教師の目に留まった。


「深海。この問題解いてくれ。」


 意識だけは覚醒していた頼は自分の名前を呼ばれて仕方なく上体を起こした。周りの生徒たちは皆、頼を見て「また深海が居眠りして怒られてるぞ」という呆れた表情を浮かべている。あとは頼の方を見向きもしない無関心な生徒も多かった。大切なのは自分の成績のみ。ただタブレットを凝視している。


「お前後ろの席だけどここからだとよーく見えるんだからな。生き残るために勉強しろよって今話したばっかりだろ?」


 ぐちぐちと数学教師が中身のない説教を続ける。前の席に座る春華が「ほらー」という顔で頼を見た。頼はその両方の顔を見ることなく無言で鞄からタブレットを取り出す。

 数学のアプリに通知が一件あり問題が到着していた。頼は数学教師がまだ説教しているのをよそに無言でタブレットのペンを動かした。


 数分と経たないうちに問題を返送すると数学教師は驚いたような表情を見せる。その解答を電子黒板に反映させると何事もなかったかのように解説を続けた。

頼の送った解答が全て正しかったのだ。


「この式を展開して導関数の公式を使って微分していくと…。」

「すご…。頼って頭いいんだね。」


振り返りながらひそひそと声を落として話す春華に頼は頬杖をついいて首を傾げてみせた。


(起きておいた方がいいか。)


 頼はあくびを押し殺しながら数学の教材アプリをタブレットから起動させたままにする。授業は聞かずにただ窓の外を眺めた。こうやって頼は授業をやり過ごすことが多かった。

 寝ていても何も言われない先生の場合は眠っているし、怒られる場合は今みたいにアプリを開いて授業を受けているふりをする。


(早く授業終わらないかな…。ついでに早くこんな世界終わらないかなー。)


 頼は雲一つない青空を見てそんなことを思った。



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