初めてのあんよ
@J2130
第1話
病室を出て廊下を右に行くと、いつも空いている扉が左にあり、そこは入院患者用の洗面台や洗い場の部屋で、廊下をそのまま少しだけいくと突き当りに小さい椅子と緑のカード電話があった。
僕は娘の入院を義父母と実父母にその電話で伝えた。今ではどうかわからないが、当時は院内での携帯電話の使用は禁じられてたからね。でも、娘に付き添いでついた妻は携帯でメールとかしていたな‥。
子供のかわいいさかりというのはいつぐらいなんだろう。後になって当時のことを親戚や友人に言われたが、人それぞれなのかな‥。
「かわいいさかりに、本当に‥」と言われた。
一歳の誕生日の日に熱でぐずりはじめた娘は四日たっても下がらず、僕は有給休暇を急遽とり、妻といっしょに近くのクリニックに娘を連れて行った。
だがことは重大で、緊急で大学病院に行くことになり紹介状をもってまさにかけこんで、採血、診察、そしてそのまま、かわいいさかりの娘は入院となってしまった。
女医は冷静にこう言った。
「全身の血管が炎症をおこしているんですよね、ご存知ですよね、この病気」。
聞いたことはある、地名っぽい名前だが、本当はそれを発見した医師の名前がついている、日本に多い乳幼児の病気だ。
まさか自分の娘がその病気になるなんて‥
聞いたことはある、あるけれど。
無言で落ち込む夫婦に女医は続けた。
「入院になります。これから処置室で点滴の‥」
あまり僕らは聞いてなかった。
妻は高熱でぐずる娘を先ほどより強く抱きしめていた。
僕はただうなるだけだった。
「お父さん、お母さんはここで待っていてください」
若い男性の医師と主担当となる先ほどの女医さん、あと数人の女性の看護師が僕ら夫婦を処置室と書いてある部屋の前で止めた。
「お子さん預かりますから」
女性の看護師が妻からやさしく娘を受け取った。
泣き叫ぶ娘、顔がくしゃくしゃだ。短い両手を伸ばして妻のもとに行こうとしている。
「りほ、だいじょうぶだからね、だいじょうぶ‥」
母の強さだろうか‥。すごいな母親というのは。
「え、なに!いっしょにいきます」
って僕だったらね、怒っちゃうところだけど、母親は強い。本当に強いな‥。僕も状況は頭ではわかっているのだが、かわいそうで切なくて。
娘はそのまま処置室に連れていかれたが、明らかに我が娘のものと思われる泣き声が廊下まで響いてきていた。
僕ら夫婦は所在なく椅子に座っていた。会話もできず、喉がかわいていたが、お茶も買いにいけないくらい落ち込んでいた。
結局、娘の声は一度もおさまらず、看護師に抱かれて出てきたのはどれくらいたった後だったのか‥。時間の感覚がなく今でも思い出せない。
泣きながら母親の胸にしがみついた娘の左うでには透明なプラスチックの箱が頑丈に貼り付けられ、その中に点滴の管が入っていた。
すぐに病室に案内された僕らはまず注意された。
「だっこするときは座ってして下さい。点滴が逆流しますのでね、低い位置で抱っこしてください」
確かに先ほど立ったまま妻が抱いたので少し点滴が逆流しているようだ。
妻は病室の椅子に座り、娘を抱きしめている。娘の体から電気コードが数本出ていて、弁当箱くらいの機器につながっている。
「これは心電図です、胸とかあと数か所に貼り付けてます。二十四時間つけていてください」
このあと入院期間中、娘がコードをはずしたり、電源を押してしまったりで何度か止めたが、その都度、看護師さんが飛んできていた。
「後で先生が説明にきますし、入院の説明もその時にしますからね‥」
看護師は娘と妻を笑顔で見ながら言った。
「りほちゃんがんばったね、今日はもう診察もないからね‥」
少しお辞儀をしながら部屋を出ていった。
娘は落ち着いたのか、泣き止むと僕と妻に左手のプラスチックを見せて、
「あ、あ‥」
と言いながら、右手でそのじゃまものを叩いた。
“これつけられた”
“パパ、ママはずして”
そう言いたいのだろう。
「これ、はずせないんだよ」
僕がこまった声で言うと、妻にむかって同じように、あ、あ‥と娘は言った。
妻は娘を安心させるようにやさしく
「ごめんね、これね、りほちゃんが元気になるようについているの‥ごめんね」
と言った。
わかるのか、娘は妻にくっつきながら大きな大きな声で泣いた。
小児病棟というところは本当に子供が多い、というか普通にいる。娘のような幼児には親が付き添うので大人もいるが、子供が廊下をおもちゃの車に乗って通り過ぎていくこともある。勿論、病状によって、年齢によっていろいろだが、ずっと安静にしている子もいるしドリルや問題集で勉強している子、音楽を聞いている子、ゲームをしている子。
娘が入院して数日後には、僕が仕事の帰りにお見舞いに行っていた晩い時間、緊急で搬送されてきた子がいた。
母親だけがつきそいで来て、娘とは違う病室へ入っていった。母親の焦燥した顔、でも子供を落ち着かせようと必死で穏やかに子供に話しかけている姿があった。
息子さんで小学生の高学年ぐらいだったかな‥、お母さん、つらいだろうな、でもやっぱりね、強いな‥。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます