第20話 窮狐、狼を噛めず
「うぅ~寒いぃ~」
可愛らしい防寒具を身に着けて小刻みに震えているみはるの様子は本人には悪いがずっと見ていたくなる。
朝食に温かいコーンスープを出すことでなんとか動き出してくれたみはるの準備を手伝い、有明荘を出たのは少しギリギリの時間だった。
「お兄ちゃん!早く行こ!」
「ん、行こうか。」
「気を付けてね、二人とも。」
部屋を出たところで普段通りに掃除をする楓さんに会い、いつものように見送ってくれる。普段と少し違う所があるとすれば、最近急に冷え込んだために1年ぶりに出した防寒具を纏っていることだろう。
耳当てや手袋、ニット帽まで装着し、熱を逃がさないように厚着をした様子は不謹慎かもしれないが、冬支度をした女の子のようでみはると並ぶとやはり歳の近い姉妹のように感じてしまう。
「紫苑君?今、何か変なこと考えてなかった?」
「いえ、そんなことは.....」
「ふーん、まぁいいけど。最近急に冷え込んできたから、体調管理には気を付けてね。」
「はい、いってきますね。」
「いってきまーす!」
「はい、いってらっしゃい。」
当たり前の日常だ。でも、だからこそ他の何よりも紫苑にとっては大切なものであることに変わりなかった。
#####
みはるを小学校の近くまで送り届けると、いつも通りにスミダダンジョンへと足を向ける。向かう足取りは早く、気が急いていることが分かる。
ここ数日、検証を優先していたために魔石の回収もろくに出来ておらず、故に稼ぎもほとんどなかった。
仕方ないとはいえ、やはり心のどこかでは焦っている部分もあった。
本格的な冬が到来し、いよいよみはるの入学費を稼ぐための時間も約1年。
今日からはいつも通りの探索に戻し、これまで以上に稼ぐつもりであった。凍結魔法もどんどん使っていくつもりだ。
依頼の件もあるし、一先ずは3,4層で小型モンスターのサンプル回収を済ませる。その後は、そのまま通常の探索を続けて魔石を回収する。
「おはようございます。」
「おはようございます、大神君。依頼の件ですか?」
「はい、道具を貸してください。」
「分かりました。すぐに用意しますね。」
豊島さんが奥の方へ引っ込んでいくのを視界の隅にとらえながら、今日の討伐対象を改めて確認する。
リストにあるのは、
・
・
・
・
・
の5体で森狐以外は5層までに出現するモンスターだ。今日のサンプル回収では飛び兎と牙鼠を目標にしている。
「はい、どうぞ。中に他の道具類は入れてありますから。」
「ありがとうございます。」
受付台に置かれた模造遺物のリュックサックを受け取りながら、豊島さんに一つ確認をしておく。
「サンプルの回収は、複数体でも問題ないんですよね?一応、確認しておきたくて。」
「はい、問題ないですよ。ただ、
「分かりました。それじゃあ、もう行きます。」
「はい、お気をつけて。....あなたの探索に実りがありますように。」
#####
ダンジョンに侵入した紫苑はすぐさま駆け出した。1,2層には目もくれず3層へと直行する。
3層に着くと、3層のエリア中央付近で外套の効果が現れるのを待ちながら今回のターゲットを探す。
幸いなことに、朝の時間帯は3層にいるパーティーの数も少なくパーティー同士で獲物の取り合いが無いくらいには
10分ほどその場で待機し外套が周囲に紛れたのを確認すると、
2m程まで彼我の距離が縮むと、無防備に晒された首に向け――――――――――思いっきり採血器具を投げた。
Chuuuuu!!!
突然の襲撃に混乱する牙鼠を逃がさないように頭を上から押さえつける
じたばたと藻掻くも、圧倒的なまでの膂力差で動きを封じ採血が終わるのを待つ
採血が終わると同時、素早く器具を回収し首元の傷跡に深く人差し指を突っ込む
牙鼠があまりの激痛に叫び出そうと喉を震わせ―――
“凍結”
指が触れた血管を伝って血液が凍り付く、侵食は全身を駆け巡り遂には組織液でさえも完全に凍りついて細胞達は自らの機能を停止した。
「1体目。」
無感動に結果だけを口に出して確認し、サンプルを傷つけないように支給されたリュックに入れるとすぐさま次を探す。
(1種類につき5体ぐらい、回収できればいいか。それだけあればいい値段になるはず。)
その眼に今朝のような家族に向ける温かみは最早微塵もなく、凍てついた眼光は次の獲物を冷酷に見つめていた。
依頼の方は順調に消化し、牙鼠5体、飛び兎5体のサンプル回収は滞りなく終わった。
時間を確認したところ、ちょうど昼に差し掛かろうかというところだったので4層と5層をつなぐ階段の途中で一度休憩を取ることにした。
余談だが、紫苑はダンジョンで食事を取ったことが無い。
まだ野営込みでの探索を行っていないことも原因の一つだが、戦闘や階層間の移動など運動量はかなり多いはずなのにダンジョン内では食欲が湧かないのだ。
そして食欲がなく、栄養補給も十分ではないはずなのに戦闘におけるパフォーマンスは衰えることを知らない、ばかりか向上しているようにも思える。
明らかに異常な状態なのだが、当の本人は一食分の食費が浮くということで気に留めることは無かった。
「よし、行くか。」
目指すは7層。今の紫苑にとって最も稼ぎになるのは討伐の効率まで考えると
色付きの魔石の為に1個の値段としても上等で、暫くの主な稼ぎになるだろうことが予測される。
(ゴブリンは卒業だな)
5層を抜け、6層で道中に遭遇した森雀の小群を狩り散らかす。雑に魔石だけを回収し、7層へと駆け出す。
ざっと、1時間ほどで7層に到着した。
7層に到着すると先程までとは打って変わって、モンスターの僅かな痕跡も見逃さないように周囲を見回しながら慎重に歩を進めていく。
森狐の主な餌になるのは小型の獣類種や鳥類種だ。7層に出現する中で言えば、牙鼠や森雀が該当する。餌となるモンスターの影響か、森狐は体格の割に身軽で木登りも得意だ。
鋭利に伸びた爪を幹に食い込ませて木を登る。他に7層で木登りが出来る中型~大型のモンスターは
数分程歩いていると、早速痕跡を発見した。周囲への警戒を一層強めて痕跡の付近をわざと音を立てながら歩いてみると、獲物はすぐに釣れた。
Gurrrrr...
やってきた
今にも飛び掛かってきそうな表情とは裏腹に野生の勘という奴だろうか、中々飛び出してこない。
体感時間にして数分の睨みあいの後、動き出したのはほぼ同時だった。
とにかく武器の間合いまで詰めようと正面から最短で距離を詰めるとほぼ同時、
森狐は低く前のめりな体勢から全身のバネを使って勢いよく飛び掛かってきた
大きく開かれた口を後ろに倒れ込むようにして避けながら走った時の勢いを殺さないようにスライディングで避ける
回避の最中、空中で無防備に晒されている腹部へ向けて鉈を一閃した
ザシュッ
筋肉の内側の柔らかな感触を感じ、確かなダメージを与えたことを確信する
GAAAAAA!!
顔に飛び散った鮮血を凍結魔法で散らし、すぐさま次の行動に移れるように体勢を立て直す
見てみると、森狐は痛みにバランスを崩し、着地に少し失敗したようだ
外皮を土に汚しながら腹部をかばうようにしてこちらを見た――――かと思いきや、逃走を開始した。
「は?」
あまりに唐突なことに一瞬呆けてしまう。が、せっかくの獲物を逃がすものかと急いで追いかけた。
「っ逃がさない」
逃走劇は10分ほど続いた。流石に生息域なだけあってフォレストフォックスは木々をすり抜けるように森の中を進んでいく。
紫苑も強化された身体能力で強引に追いかけたが、腹部の負傷が無かったら途中で見失っていたかもしれない。
追いかけっこの末に辿り着いたのは樹々が鬱蒼と茂る7層の中では少し開けた場所だった。
「ここは......」
森狐が立ち止まったのを確認し、視界から外さないようにしながら周囲をざっと確認する。
幾つかの樹の根元にかなり大きめの穴が開いている。ちょうど、目の前の獲物がすっぽり入りそうな大きさの穴が.....
(巣穴か、それも複数)
目の前の獲物が嗤ったように感じた。森狐が大きく吠えると示し合わせたかのように巣穴からぞろぞろと6体ほど追加で森狐が出てくる。
獣類種のモンスター、特に中型~小型にかけては特徴として群れで生息することが多い。
(必死になって逃げてるかと思えば、誘いこまれてたわけか....迂闊だったな)
自分を囲むようにゆっくりと動き始めた7体を牽制するように睨みつけながらこの危機をどう乗り越えようかと考えを巡らせ――――――ることなく、正面の1体に突っ込んだ。
!?
追い込んだと思っていた突然の獲物の行動に森狐達の行動がワンテンポ遅れる
突如の突貫にもかろうじて対応した正面の腹部を怪我した森狐は負けじと全力で飛び掛かってくる
のを見てから、くるりと受け流すように1歩だけ横にずれ回転の勢いを利用して鉈の峰打ちで頸椎をへし折る
首を砕く感触を感じながら倒れ込むように次の1歩を左隣の個体に向け踏み出す
突然の獲物の奇行、仲間の死、本来の統率力は見る影もなくさらにワンテンポ森狐たちの行動が遅れた
体勢低く次に向かうと、まだ完全に戦闘態勢へと移れておらず、目の前で右足を軸に再度回転持ち替えたハンマーに遠心力を乗せ2体目の頭蓋を砕いた
と同時に対角線にいる最も遠くの個体へ向け、斧をぶん投げる
Gyau!!
という悲鳴を聞いて命中を確認し、息つく間もなく隣の個体へと向かう
この頃には森狐達も戦闘態勢へと完全に移行していたが既に2体が討伐され、1体は斧が深く突き刺さっている
戦況はいまだ紫苑有利で進んでいた
こちらへと向かう1体のすぐ後ろで2体が並走して向かってきている
跳躍
脚へと喰らいつこうとするそいつを踏み台に並走する2体の上を取ると、ブレーキをかけ身を翻そうとする2体の背にハンマーと鉈の峰を景気よく叩きつけた
ゴキッ バキッ
背骨を砕かれた衝撃で崩れ落ち、泡を吹きながら慣性に従って地面を滑る2体を無視
先程踏み台にした1体に意識を向ける―――――瞬間横からの衝撃
「ぐっ!」
どうやら最後の1体がなりふり構わず体当たりをかましたようだ
樹を背に立ち上がると、左右から同時に襲ってくる
右の個体のさらに外側に強引に潜り込んで全力で腹部を殴打
ナニかが破裂するような気持ちの悪い感触を振り払うように鉈で首を叩き斬る
上手く骨と骨の間を通ったようでスルリと肉を切り裂いた
「っと」
あまりに抵抗のない感覚に一瞬あっけにとられてしまう
が、再度首目がけて飛び掛かってきた個体の大きく開かれた口内を視界に移した途端、渾身の力で鉈を一閃した
前後に別れる仲間を目撃し、戦闘の熱が一気に冷める
自分たちを壊滅させた下手人を見ると、その冷たく鈍く光る眼光に射抜かれる
恐怖という感情を取り戻した最後の生き残りが踵を返し逃走に意識を向けたとき、首に激痛が走る
逃げ――――――
“凍結”
食物連鎖の中位を生きる狡猾な狐たちの最後の足搔きは時間にして数分であっさりと幕引きを迎えた。
一先ずの危険が去ったことを確認し、崩れ落ちるように樹に背中を預ける。自分でも驚くような身のこなしの数々に体力の消耗が激しい。
「終わった、か.......そうだ、魔石、回収しないと。」
戦闘中とは真逆の鈍い動作で立ち上がると、森狐達の魔石を回収するために動き出した。
「そうだ、虎鉄さんの鍛冶に使えないか幾つか素材を持っていくか。これだけいれば素材の量も結構な量になるはず。」
魔石を抜き取り、外皮や爪、牙を剥ぎ取る。肉はどうかと思い、探索証を使って調べてみたがどうやら食用には適さないらしい。
依頼の為に渡されたリュックとは別の常用している2つのリュックに魔石と素材を仕分けして入れていく。素材の回収も終わり、改めて一息つけるようになると少しだけ休息を挟むことにした。
「森狐があんなに賢いとは思わなかったな。油断した、中型~小型のモンスターには狡猾な奴も多いって講習でも教わってたのに...」
結果的には魔石も多く手に入ったので万々歳だったが、もっと数が多かったりあるいはもっと手ごわいモンスターだったらかなり危ない状況になっていた可能性もある。
「はぁ....今後のいい教訓になった、と考えるか。」
そして思い出されるのは先程の戦闘。まさか自分の身体能力があそこまで上がっているとは思わなかった。
いや、身体能力だけじゃない。
咄嗟の判断や周囲の戦況把握もいつもより優れていた気がする。微かに残る全能感はどこかで感じたことがあるような――――――
「あっ............
思い出されたのは探索者試験2次の実地試験。その時に
あの時はもっと全能感が強かったような気もするが......
「まぁ、考えても仕方ない。それより、かなり奥まで来たはずだからもう少し討伐したら帰らないと。」
みはるの迎えまでの逆算をしつつ、その日は他に森雀6体と小鬼2体を討伐して帰還した。
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