1章:爪を研ぎ、牙を磨け。嗚呼、狼よ孤高であれ。

第1話 安らかな日常と大きな決断


「ただいま」


 進路相談という精神的苦痛からの解放は思いのほか大きかったらしく、有明荘の自室へと戻ってくるとホッと安堵のため息が出て肩の力が抜けるのを感じた。


 玄関で靴を脱ぎながら今日の夕飯の献立について考えを巡らせていると、


「おかえりー!!」


 ドタドタと小さな影が走り寄ってきて勢いそのままに飛びついてきた。


「おっと、いきなり飛び込んでくると危ないよ?みはる」


 年の割にやや小柄な体躯をしっかりと受け止めて、抱き着いたまま離れない妹へと声をかける。


 首元でボブカットされた明るい茶髪は嬉しそうに震え、つぶらな瞳という表現がこれ以上なく似合う瞳を喜色に染めながら、


「えへへーおかえりなさいお兄ちゃん!」


 ふにゃふにゃとだらしない笑みを浮かべながらそう言われてしまっては、怒るに怒れない。


 しょうがないな、と軽く笑いつつみはると一緒にリビングへと移動しながら夕飯の献立について考え直した。



#####



 自分たちの両親は3年前、ある事故に巻き込まれて既に他界しており現在は兄妹の二人暮らしだ。


 下宿先の、つまり有明荘の大家さんは母方の親戚で両親が他界した後の後見人でもある。引き取ってもらった後は有明荘に一室を貸してくれている。


 家賃に関しては無償でいいと言ってくれたのだが、それに関してはこちらから遠慮させてもらった。


 ただでさえ迷惑をかけているのにこれ以上負担になりたくないという思いがあったし、自分のちっぽけなプライドが邪魔をした部分もあった。


 結果、家賃に関しては他の住民と同じように払うということで渋々納得してくれた。


 とはいえ、アルバイトも年齢的に厳しく両親の生命保険だけで細々と食いつないでいるのが現状だ。


 現在いまはまだ多少余裕がある。

 しかし、それは生活費に限ったことでありこの先みはるの学費のことまで考えると全く足りない。


「ご飯作るの?みはるも手伝う!」


「ありがとう。じゃあ一緒に作ろうか」


 みはるを不安がらせることのないようにと、そんなことはおくびにも出さずに夕飯を作りながら今後どうするべきかを考えていると、夕暮れ時茜色に染まるあの塔が頭をよぎった。



#####



「いただきまぁ~す!」「いただきます」


 一緒に夕食を食べながら、料理中に考えていたことについて話を振ってみる。


「みはる、ちょっといい?」


「んぅ?」


 幸せそうにハンバーグを頬張る姿に口角を上げながら、慎重に聞いてみた。


「兄ちゃんが『探索者』になりたいって言ったら、みはるは許してくれる?」


 探索者とは、数年前に空からきた巨大建造物、通称:ダンジョンの内部へと侵入し、塔内部を探索したり塔内部に生息する多種多様な生物を討伐し、その素材を持ち帰ることで生計を立てている職種の人たちのことだ。


 探索者については実は前々から少しだけ考えていた。


 自分は今中学2年、みはるは小学5年、自分が高校に上がったとしてアルバイトで稼げる金額なんてたかが知れてるし、みはるの学費以外にも自分の学費も払わなければならない。


 中卒では働くにしたって給料は雀の涙程度だろう。


 そもそもダンジョンの出現に対して日本政府がとった政策によって一時期大量の失業者が出たことがある。


 そんなことが最近あったばかりの日本では中卒ではどこにも雇ってもらえない可能性さえある。


 子供が夢を見るようにキラキラとした絵空事じゃなく、今後の不安材料に対処するための実現可能で効率的な対処方法として。


 自分ではこれぐらいしか思いつかなかった。


 それでも、これまでみはるに話してこなかったのには理由がある。


 理由はあるが...みはるの学費の為にできるだけ早くまとまった金が必要になるのも事実。


 今の自分でもできる仕事で大金を手に入れられるチャンスが僅かでもあるのは探索者しかなかった。


 探索者として成功できれば、高校に行く必要もないから自分の分の学費を考えずに済む。


 それでまた生活に余裕ができれば万々歳だ。その間に可能な限り稼ぐ。


 リスクなんて百も承知。自分の命を賭け金にする程度みはるの為ならば問題ですらなかった。


 ちなみに、未成年でも正規の手続きを行えば探索者にはなれる。


 とはいえ、ほとんどの家庭では親の許可が出ることがないために未成年の探索者などほとんどいないのが現状だ。


 兄による突然の探索者宣言にピクッと小さく反応を示したっきり、みはるは動かない。


 俯きながらモグモグと咀嚼を繰り返すだけの静寂が少しの間、場を支配した。


 みはるから目を離さずにじっと待つこと数分。


「...いいよ」


 小さく、だがはっきりと肯定の声が聞こえた。


 その双眸は紫苑の目をしっかりと見て、不安の色を浮かべながらも気丈に兄の選択を受け入れていた。


「そっか...ありがとう」


 多くは語らず、妹の決断に成長を感じて嬉しさと一抹の寂しさを含んだ微笑みを浮かべながら返事をすると中断していた食事を再開しようとして――――


「でもね!あの...その......ちゃんと帰ってこないとだめだよ?」


 潤んだ瞳で見つめられると罪悪感に胸を締め付けられるようで、その感覚を振り払うようにみはるの頭をぐりぐりと撫でた。


「もちろん。みはるを一人にはしないよ、ちゃんと元気で帰ってくる。約束」


「えへへ、分かってるならいいよ!みはるはお兄ちゃんがいないと寂しくて泣いちゃうからね」


 花開くように笑うみはるを見ながら、食事を再開した。



#####



 食事を終え眠そうに目を擦るみはるをベッドまで抱きかかえて運ぶ。


 その後、戸締りをしてあらかじめ連絡を入れておいた有明荘の大家の部屋がある有明荘の1階へと向かった。


 大家の宇都宮 楓うつのみや かえでさんは紫苑たちの母の妹つまりは叔母にあたる人物で、両親が亡くなって大変だった時期に生活面や精神面で支えてくれた恩人だ。


 今でもみはるの学校での行事ごとに保護者として参加して貰ったりと色々とお世話になっている。


 今回の探索者の件についても、筋を通す意味合いでしっかり話し合って納得してもらいたかった。


 コンコンとドアをノックするとすぐに、「は~い」という間延びした返事が返ってきた。


ドアが開くとそこには――――


「いらっしゃい、紫苑君」


 ほんわかした笑顔で和やかに笑う、みはると同じくらいの背丈のお団子ヘアーが似合う小柄な和服姿の女性がいた。



#####



 差し出されたお茶を口に含みながら、どう話を切り出そうかと考えていると楓さんの方から話を振ってくれた。


「それで今日はどうしたの?みはるちゃんに関すること以外で話があるなんて...珍しいからびっくりしちゃった」


 楓さんには学校の行事の時にみはるの保護者として出席して貰っている。


 両親が死んで大変な時も助けてもらったし、引き取ってもらったことも含めて色々な恩があり本当に頭が上がらない。


「特に問題があったわけではないですよ?進路のことで相談、というか報告をしておこうと思って連絡しました」


 これ幸いとばかりに話を続けようとすると、それを遮るように楓が文句を言う。


「むぅ...敬語、やめてって言ってるでしょ?私たちは家族なんだから」


 頬を膨らませて言う姿は可愛らしい少女のようだが、これでも立派な大人である。


 出会った当初はその小柄な体躯にずいぶんと驚かされたものだ。


 そんなことをぼんやりと考えながら答える。


「すいません、癖みたいなもので中々抜けなくて」


 もぅ、と言いながらも楓は話を促した。


「えっと...進路ってことはもうどこの高校に行くか決めたの?早いねぇ」


 ほへぇ、と感心したように声を漏らす楓。


 しかしそうではないのだ。


「いえ、そうじゃなくて...『探索者』になろうと思うんです」


 その言葉にピクッとみはると同じような反応をした。


 みはると並ぶとホントの姉妹のように感じることがあるくらいだ。


 あぁ、ほんとに家族なんだな、なんてぼんやりと考えながら楓さんの反応を待っていると暫くの逡巡のうち楓さんはゆっくりと口を開いた。


「...本気、なの?」


 怪訝そうな表情を浮かべ、正気を問うかのようなそんな言葉だった。


 ...無理もないか、そう思いながら少しだけ両親を亡くした3年前に思いを馳せた。


 今でもはっきりと覚えている。


 3年前、ダンジョンから怪物モンスターがあふれ出すという事故が起きた。


 その時、紫苑たちは偶然その近くに遊びに来ており、そして...巻き込まれた。


 幾つかの建物が倒壊し、砂埃で遠くを見通すことが出来ない。


 あちらこちらで上がる断末魔に体は硬直し、辺りに漂う濃い血の匂いに胃液が逆流しそうになる。


 遂には1匹の怪物がすごい勢いでこちらに向かってきて――――


「紫苑君?」


 心配そうな声で我に返る。


「やっぱり無理するべきじゃないと思う。みはるちゃんはあの時、風邪でお留守番してたわ。

 だから姉さんたちが、その...亡くなった決定的な現場は見てない。

 けど...あなたはその場にいたじゃない」


「...」


「お金の心配をしてるなら気にしないで?私だってそれなりお金持ちなんだから...だから、ね?危ないことして欲しくないの」


 純粋にこちらを心配してくれるその言葉に何度救われたことか。


 ...けれども自分は知っている。


 楓さんは確かにそれなりの貯蓄があるが、それは大家として徴収している家賃からの割合がほとんどで楓さんが数年に渡ってコツコツ溜めてきたものであることを...


 そしてそのお金で旅行に行く計画を密かに立てているのも知っている。


 やっぱり優しいなぁ、と出会った当初から変わらないその優しさに口角が上がるのを抑えられなかった。


 急に笑う自分に楓さんは怪訝な表情を見せる。


「無理はしてません。自分でも不思議なんですけど、恐怖心はそんなにないんです。

 それにみはるとも約束しました、ちゃんと帰ってくるって」


「...そう」


 微笑みを浮かべながらも真っ直ぐな瞳を見るに、止めるのは無理そうだと楓は嘆息した。


 昔から妙に頑固だよなぁ、と変わらない一面に困るやら嬉しいやら紫苑の進路にひとまず納得することにした。


「そうだ、楓さん」


 帰り際、玄関で何かを思いついたように紫苑は言う。


「なあに?」


「自分が探索者として成功してお金に余裕が出来たら、3人で旅行に行きませんか?」


 その言葉を聞いたとき楓さんは自分の貯金の使い道がとっくにばれていたことに気づいたのだろう。


 その事実を可笑しく思ったのか鈴を鳴らしたような声音で笑っていた。


「ふふっ、そうね。その時は楽しみにしてる」


 それから二言三言交わした紫苑は明日からの予定を立てながら足早に帰宅して早々に眠りについた。


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