季節のこども

へーるしゃむ

01-01 


 教室の隅の方に、バスケ部の男子が五、六人集まってる。

「このクラスでどの女子が一番かわいいと思う?」なんて話をしてる。とてもさりげなく。

 くだらないとは思わなかった。どの男子もときどきそんな話をしてる。いつもじゃないけど、ときどき。


 でも、設問が漠然としすぎていたせいだろうか。その場にいた誰もがすぐには答えられなかったらしい。

 言葉の後に短い沈黙が続いた。


「じゃあ結城と木村の二人ならどっち?」

 

 バスケ部のキャプテンはそう続けた。


 彼は一年のときは剣道部に所属していたんだけど、二年にあがると同時になぜかバスケ部に転部した。

 その後二ヵ月でレギュラー入り。最終的には卒業した先輩たちの指名で部長になった。謎の好青年。


 訊ねられたのはバスケ部の七番で、しばらく答えに窮していた。

「え、ここで悩む?」


 キャプテンが笑いながら言う。ここは普通に悩むところじゃなくねえ? そんなふうに。

 追従の声も周囲からあがった。七番は慌てた調子で「いや、どっちともよく話すからさあ」とよく分からない言い訳をする。


「いや、だったらお前らはどっち?」


 キャプテンは周りの奴らに訊く。


 どいつもこいつも照れくさそうに口をそろえて「俺は木村」とか「木村だよな」とか「木村だわ」とか言ってる。

 どうでもいいんだけど、すぐ横の席で女子が本を読んでいる振りをして聞き耳立てているのに気付かないんだろうか。


 まあ俺には関係ないんだけど。俺は輪のなかにいなかったから。


 木村と結城なら、まあ俺も迷わず木村だなあ、なんて考えながら窓の外を眺めた。


 休み時間だっていうのに誰も声を掛けてこない。いつものことだ。


 何もしないのは暇だから、俺はいつも一人で暇を潰している。


 気取ってドストエフスキーなんて読んだみたり、前日に観た「汚れた顔の天使」のことを考えたり。

 もしくは「ホテル・カリフォルニア」のイントロをできるかぎり正確に思い出そうとしたり。


 我ながらどうかというセレクションだったけれど、頭の中で考えているだけなので誰にも責められることはない。

 誰にも責められることがない、というのが一人で考え事をすることの利点でもあった。


 さて、と俺は思った。次の時間は移動教室だ。


 俺はごく自然に教科書ノート筆箱を手に立ち上がる。

 我ながら優雅な立ち上がり方だった。


 あまりに優雅だったせいで、教室に残っていた大半の生徒は、俺が立ち上がったということにすら気付かなかっただろう。

 そもそも俺がそこに居たことにすら、彼らは気付いていなかったかもしれないけど。


 なんせあまりに優雅だったもんだから。



 べつに寂しいわけじゃない。


 一人でいることは嫌いじゃなかったし、人と話をするのはなんだか疲れる。

 もちろん嫌だってことじゃない。でも、一人でいる方が気楽だった。


 べつに人間嫌いってわけじゃないし、集団行動が苦手ってわけでもない。

 遠足なんかは普通に楽しむタチだし、班ごとにテーマを決めて研究しろ、なんて言われたら結構張り切る方だ。


 修学旅行だって旅の熱気に浮かされて、班のメンバーと一緒に木刀なんて買ったりした。

 一緒の班だった奴とは、今じゃ一言も話さないけど。


 とにかく、寂しいわけじゃなかった。でも、人と話すことが嫌いなわけでもなかった。それだけ。

 それだけのことなのに、すごくしんどくなる。そういう日がある。けっこう頻繁に。




 その場にいるだけで人を傷つけたり、不愉快にさせたりする人間っていうのはべつに珍しい存在でもない。

 たぶんそこらじゅうに掃いて捨てるほどいるんだと思う。


 で、俺のそういう曖昧な生活態度もまた、佐々木春香という少女にとってはかなり不愉快なものであるらしかった。


「コウモリみたい」と佐々木は言った。


「恥ずかしくないの?」とも言った。「バカみたい」とも。「ていうかバカでしょ?」と続けて言っていた。

 彼女の罵倒は中学生ながらにバリエーションに富んでいて、言われたこっちが感心するほどだった。


 佐々木春香は美少女だ。俺だけは確信を持ってそう断言できる。

 

 とはいえ、何も他の男子から見たら佐々木がとんでもないブスだとか、そういうわけじゃない。

 たとえばクラスの男子に「佐々木春香はかわいいか否か?」と訊ねたら八割くらいの男子が「かわいい」と答えてくれるだろう。

 何人かは「実はけっこう好き」とたいして聞きたくもない情報を付け加えてくれるかもしれない。


 でも半分くらいの男子は、「かわいいけど、でも……」と否定の言葉を続けるはずだ。

「性格悪いらしいよ」、と。





 佐々木春香は性格が悪い。最初にそう言ったのはたぶん木村だ。

 木村里奈。吹奏楽部でフルートを吹いている。


 木村里奈が、たぶんバスケ部のキャプテンあたりにそう言った。会話の流れは至ってシンプル。


「佐々木かわいいよね」


「でもあの子性格悪いよ」


「え、そうなん?」


「うん。けっこうね」


「ふうん、そうなんだ」


 こんなん。実際、そういう会話を聞いた。俺が。


 バスケ部のキャプテンはその日以降二度と佐々木のことを可愛いだなんて言わなかった。

 要するに、「男子は女子に『見る目がない』と思われたくない」ってことなんだろう。

 

 以後、バスケ部男子の中では佐々木=性格が悪いというのが定説になった。男子も罪深いが女子も罪深い。


 俺がそのことを無神経にも報告すると、「わたし、そいつらと話もしたことないんだけど」と、佐々木は泣きだしそうな顔で笑ってた。


 その表情は、すごく魅力的だった。いたいけな強がりと頼りなさが融和していた。

 とてもかわいくて、いっそ性的ですらあった。


 だから俺はその表情を見た瞬間、


(この子と付き合ってデートして手を繋いでキスをしてセックスしたいもんだなあ)


 なんてことを考えた。結婚式は洋式がいいよな。子供は女の子が三人くらいほしいな。

 大きめのボックスカーに荷物を詰め込んで家族でキャンプに行きたいな。犬と庭付きの一戸建ても欲しい。

 そして風の強い夜には言葉も交わさずに寄り添っていたい。


 そこまで十秒を要さずに妄想できた。そしてその後、とても悲しくなった。涙が出そうなくらい。


 たった十五秒前後の短い時間の内に、俺の心は激しく変遷した。

 高ぶり、浮かれ、落胆し、最後には世界を呪った。


 だって、俺と佐々木は実際には付き合っていなかったし、キスやセックスどころか目が合うことすらろくになかったのだ。


 佐々木はたぶん、俺のことを起き上がりこぶしか何かと勘違いしていたんだろう。


 もちろんそのことに文句をつけるつもりはなかった。

 どちらかと言えば、俺はそのことを喜んでさえいた。


 佐々木春香という少女が、べつに誰だってかまわないはずの起き上がりこぶし役に、偶然にも俺を選んだという事実を。 

 




 そんなわけで、俺はひそかに盗み聞きしていたバスケ部のやり取りに対して、頭の中で「佐々木が一番に決まってるだろ」と答えていた。

 そんなことを実際に口に出せば、彼らは、


「でもあいつ性格悪いぜ?」だとか、

「これだから女慣れしてない奴は」だとか、

「顔に騙されるなあ」だとか。

 

 得意げな顔で言ってくるに違いない。


 でも、それはあまり不愉快な想像ではなかった。


 あいつらの中で俺と同じくらい佐々木と話したことのある奴はまずいないはずだ。

 そうである以上、俺が佐々木のことをいちばん知っていると考えていい(と思う。佐々木が嘘をついていないかぎり)。

 

 佐々木のことを知らない奴が知ったかぶりで何を言ったとしても、俺のささやかな優越感を増長させこそすれ、傷つけたりはしない。


 でも、そんな話を誰かがしていると知れば、佐々木自身はひどく傷つくだろう。

 だから俺はあえて口を閉ざし、佐々木がいかに可愛いかを語らずにおいた。

 

 それに、奴らに佐々木の可愛さを教えるのは惜しいという気持ちも、本当はある。


 要するに俺は佐々木の起き上がりこぶしであることをステータス化していたのだ。

 なにせ佐々木は可愛かったし、俺は佐々木のことが好きだった。



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