第4話 修行開始

「あれ?みんな、どうしたのかな?」


 クロノスという男に対して呆気にとられてしまった俺達を見て、軽く心配そうに質問してきた。だが、あまりにも突然のことに、俺達は何も言い返すことができずにいた。

 驚くのも仕方ないことだ。まず、明らかに人間ではない者が目の前にいるんだ。そういう存在は、空想の物語だけだと思っていたのに、いざ現実に目の前にいるんだ。空想の物語では、そういう存在に出会ったら、テンションが上がるものなのだが、現実は違う。どう考えても、クロノスという男に対して不信感しかない。

 まず、この部屋から無事に外に出られるかどうかも怪しい。それほどまでに得体が知れないんだ。クロノスという男は。


 暫くの間、沈黙が続いたが、恐る恐る手を上げて質問する者が出てきた。


「あのー。すいません。」


「ん?なんだい?」


「質問してもいいですか?」


「いいよいいよ。何をききたいのかな?」


「は、はい。」


「緊張しなくていいよ。まず、君の名前から聞いていいかな?」


「は、はい。わ、私は、な、名波麗といいます。」


 質問するために手を上げた若者は、小柄でかわいらしい女の子だった。緊張しているのか、恐怖しているのか、何度も何度も言葉が詰まり、震えているように見える。得体の知れない相手に質問するのには、ものすごい勇気がいるだろう。俺は、その名波という女の子に感心していた。


「麗ちゃんね、よろしく。で、何を聞きたいのかな?」


「は、はい。私は、今日ここに来たのは、求人雑誌に掲載されている項目を見たからです。

 先程あなたは、修行とおっしゃいましたが、これは、就職とは、関係のないことなのでしょうか?」


 名波さんの質問は、あくまでも就職活動としての質問だった。名波さんの質問を聞いて、俺は、今、就職活動をしている最中なんだと思い出した。目の前のあり得ない状況で、気持ちが浮わついていたんだと思う。そうなのだ。俺の本来の目的は、一刻も早く、貧しいバイト生活から抜け出すことなんだ。


 名波さんからの質問を受けたクロノスという男は、今までの軽い表情から、少しばかり真剣な表情へと変化し、質問に対して答えだした。


「なるほどね。麗ちゃんの考えていることは分かるよ。それだけ、今の状況に真剣に向き合っているということ、私の言っていることをちゃんと聞いてくれているということ。それは私は嬉しく思う。

 ただ、思い出してほしい。求人雑誌には、『応援する。』と掲載されていたはず。私が今回皆を集めたのは、君達の今後の人生のために、今後の人生が有利に、そして豊かになるために、君達には、修行とは言ったけど、訓練をしてもらいたいと思っているんだよ。」


 クロノスという男の回答を聞いて、なるほど、と俺は思った。確かに、求人雑誌には、『応援する。』としか掲載されていなかった。応援する、というのは、簡単にいうと、職業訓練ということなのだ。ということは、今回ここに来たことは、俺にとって身になる、良い選択だったのではないだろうか?

 俺がそう納得しているのとは対照的に、名波さんは、クロノスという男にさらに質問をしていた。


「あ、あなたが言いたいことは分かりましたけど、一万年ということの意味が分かりません。あなたの動きを見れば、あなたが言っていることが嘘ではないと分かります。けど、一万年って、そんな長い時間をかける必要はあるんですか?」


「麗ちゃん。そんな心配はする必要ないよ。この修行は、一万年かけるからこそ意味があるんだ。では、早速始めようか。」


 名波さんの追及を無視して、クロノスという男は、無理矢理にでも修行を始めると言い出した。ここで、会場にいる若者達全員が、ハッと、今の異常事態に気が付き始めた。この雰囲気、どうやら、俺達には拒否権がないらしい。思い返してみると、出入口の扉が全く動かない様子を見ても、クロノスという男は、俺達をここから出すつもりはないらしい。それ即ち、俺達は、クロノスという男の言うとおりに、今から一万年もの長い間、修行をしなければならないということなのだ。


「なんだよ、一万年なんて嫌だよ。ここから出してくれよ。」


「そうだよ。そんなこと聞いてないよ。」


 文句を言う若者もちらほら出てきた。そんな中、道木が席から立ち上がった。


「いや、一万年だぞ。それだけ長い間使っての訓練なんて、普通なら絶対に出来ない。だが、今の俺達には、このクロノスさんの助けを受けて、一万年という時間を使うことができるんだ。一万年も使えば、ありとあらゆる技術を習得できるんじゃあないのか?

 これは、千載一遇のチャンスだと俺は考えている。いや、今回の場合は、万載一遇と言うべきか。」


 道木の説得を聞いて、先程まで文句を言っていた若者達は、一気に態度を変えた。その表情は、やる気に満ち溢れているようだった。確かに道木の言うとおりだと思う。一万年も訓練できる機会など、現実ではあり得ない。これは、最大のチャンスだと受け取るべきだろう。


「みんな、いいかな?まずは、これを受け取ってほしい。」


 若者達が皆やる気になった様子を見たクロノスという男は、何かが入っていると思われる袋を、全員に配り出した。


「中を見てごらん。」


 クロノスという男に言われて、袋の中を見てみると、布製の筒型の様なものが四つ入っていた。


「これから皆には、それを手首と足首にずっと着けておいてほしい。この一万年、決して外さないようにね。」


 なんだなんだ?何を言っている?一万年外すなだと?一万年もつけるって、選択も出来ないのか?無茶苦茶なことを言うなよ。


「ああ、心配いらないよ。それは、自動洗濯洗浄機能付きなんだ。そう見えて、アーティファクトなんだよ、それ。」


 全員が、ポカンとしていた。クロノスという男の言っている意味が、全く分からない。自動洗濯洗浄機能?アーティファクト?何なんだ、それは?


「ああ、ごめんごめん。アーティファクトって何?ってことだよね。アーティファクトっていうのはね、神々の道具ってことなんだよ。基本的に神々の道具というのは、汚れないように出来ているんだよ。どうだ、すごいだろ。

 じゃあ、それの説明も始めようか。そのアーティファクトは、それぞれ、『ゴッドウエイトリスト』『ゴッドウエイトアンクル』というんだ。

 それぞれ、手首と足首に着ける物なんだけど、それの効果は、重量を自在に変えることが出来るってことなんだよ。

 今は、全て一つ辺り重さ100gになっているけど、ここから、一週間ごとに、10gずつ重量が増えていくからね。頑張ろうね。」


 クロノスという男の説明を聞いて、俺は、この修行がとんでもないことになると、恐怖に近い感情を覚えた。『一週間に10g』とだけ聞くと、全く大したことではないように感じるが、これが一万年続くということを考えると、とても恐ろしいことになる。

 計算してみよう。一年は、だいたい52週間ある。一週間に10g増えるということは、一年で、520g増えるということ。ということは、一万年だと、520gの一万倍、520万g。キロに直すと、5200kg。つまりは、5.2㌧。

 なんと、約5㌧もする物を、四つも身に付けなければならないということなのだ。合計すると、20㌧という、とんでもない重量になる。俺達は、生きてここから出ることが出来るのだろうか?

 

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