第21話 蝕む毒

「──私は白の魔女、エスト。レイは冷笑の魔人だ」


「⋯⋯そう、か」


「⋯⋯」


 ゼリムとリーメルは、覚悟していた。だが、いざ言われると、やはりくるものがある。

 ──魔女。畏怖すべき対象達。1人で世界を相手取れる存在達。生物界の頂点に立つ者達。その中でも、名前だけしか知られていない魔女──白を司る魔女が、目の前に居る。


「⋯⋯は、どうして私達の担任を?」


 真実を言ってしまえば、金がないから。しかし、それでは信用なんてしてくれないだろう。むしろ疑われる可能性だってある──王国の中枢ともいえる魔法学院に忍び込むなんて。


「⋯⋯そうだね⋯⋯面白そうだったから、かな?」


 だが、これも真実だ。


「でも。これだけは言っておこう。私は、キミたちに気概を加えるつもりはなかったし、今もそうだよ」


「⋯⋯そうですか。あなたは私達を、これからどうするつもりですか?」


「⋯⋯記憶を改竄するつも──」


 ドゴォーンッ! と、大きな爆発音が響く。


「どうやら、ここでゆったりと話している場合じゃないようだね」


 エストの姿が消える。


 学院の中央広場では、獣人達と一人の少年が戦っていた。彼は、たった一人であるというのに何十人もの獣人と互角以上に渡り合っており、その数を減らしていた。だが、それは先程までの話だ。


「⋯⋯!」


 少年──ジュン・カブラギは妖刀『死氷霧シヒョウム』でソイツの胴体を斬ろうとした。しかし淡群青色うすぐんじょういろの刃は、ソイツの剣で止められた。


「ほう、強いじゃないか。だが、俺には勝てないな」


 死氷霧は聖合金オリハルコンをも豆腐のように斬ることができる。つまり、この刀は、適当に振っても大抵は斬れる物ものだ。だが、目の前のソイツの刀は、斬ることができなかった。⋯⋯おそら、死氷霧と同じ材質の剣だろう。


「⋯⋯なら、本気を出そうか」


 この妖刀の名前、『死氷霧』の由来は、常に冷気を帯びているからである。だが、その力はあまりにも強大すぎて、空気中の水分でさえも凍らせてしまう。故に、普段、ジュンはその力を制御していた。


「なっ!? 寒い⋯⋯だと?」


 辺りの気温が一気に下がり、死氷霧からは目に見える冷気が漂う。


「僕はこの刀の所有者で、だ。だから、この冷気は僕には害はない⋯⋯けど、君はどうだろうね?」


 周りの獣人達が一斉に倒れていく。その死体は凍りつき、半分氷像状態となっていた。目の前のソイツも、体の一部表面が凍りついている。


「自然の氷ではない⋯⋯もしそうなら、俺は今ごろアイツラと同じ目にあっているはずだからだ。つまり、この氷は⋯⋯!」


「勘がいいね。⋯⋯そうだ、それは普通の氷ではない。死氷霧の──の魔法だ」


 ジュンはソイツとの距離を詰め、刀を振る。寒さで動きづらい体を無理に動かし、それを避ける──が、刀身が、届かないギリギリで避けたはずなのに、ソイツは痛みを覚える。

 見ると、傷跡は凍っていた。見ると、氷の刀身が出来上がっていた。先程まではなかったものだ。


「〈氷刀身アイシクルブレイド〉。彼女の魔法だ」


 『生きている武器』であり、更に魔法が使える妖刀。彼女の氷魔法は環境をも変化させる。

 刀のリーチが伸びる。回避は困難となり、体力がなくなれば死は確実。刀で斬られて死ぬか、氷像になって死ぬか。その2つのみがソイツ、獣人王に与えられた選択肢だ。


「魔王様に! 俺は誓ったんだ!」


「⋯⋯魔王?」


「俺は⋯⋯俺達は人間共をォ──!」


 獣人王は雄叫びを上げ、ジュンに、まさに獣の如く突っ込む。ジュンは獣人王の発した言葉に興味を覚え、その攻撃にわざと反撃しないと考えた。しかし、獣人王は攻撃を中断した。


「〈黒孔ブラックホール〉」


 獣人王の体の中心に、とんでもない重力が発生したからだ。次の瞬間には獣人王はナノサイズになり、肉眼では確認できないほどの肉塊になっていた。


「全く⋯⋯やっぱりキミか。その刀の力の制御さえ出来ないの?」


「お前は⋯⋯。どうしてここに?」


 ジュンはエストの後ろにいた子供と、見覚えのある魔人を警戒する。


「質問を質問で返さないでよ。⋯⋯色々とあったんだよ」


「そうか。⋯⋯というか、なんで殺した? 奴は重要なことを言おうとしていたぞ」


「どうせ大したことじゃないでしょ。ありきたりな理由⋯⋯例えば、魔女の私を殺してやるとか、人間を滅ぼしてやるとかね」


「そうとは限らないだろ? そんな『おそらくの話』で事を判断するのは危険だ」


「仮に予想外のことが起きたって、それに対処すればいいだけでしょ? ⋯⋯あっ、そっか。キミにはそんな力も余裕もなかったね。ごめん」


 特に理由もなく、ただ気に食わないからという理由でエストはジュンを煽る。強いて他の理由を挙げるならば、それは異世界人、特に転生者は事あるごとにエストの命を狙って、とても邪魔に思っていたからというのがある。


「ほう、魔女風情が。僕に近距離で勝てるとでも思ってるのか?」


 魔女を悪だと認識していて、また、それ以上に「コイツとはソリが合わない」と思っているジュンはエストのそれが挑発であると知りながらも乗る。


「そもそも私に近づけるの? キミが? 笑わせないでよ」


「ああ。お前が近づかれたことに気づく前に、お前の首を斬れるからな」


「⋯⋯ほう。随分と自信があるみたいじゃないか、人間。試してみようか?」


「⋯⋯それはいいな、魔女。二度と僕にその減らず口を叩けないようにしてやる」


 2人の間に、バチバチと、電流のようなものが流れた──気がした。そして、その緊張はやがて破裂する。


「──っ!?」


 エストが突然跪く。彼女は大量の冷や汗をかき、呼吸が荒くなり、頭を抱える。


「エスト様!?」


「先生!?」


「え? お、おい、どうした、エスト?」


 彼女の事態は明らかに異常。思わず、ジュンが心配してしまうほどに、エストの状態は危険だ。


「これは──毒! あの娘⋯⋯!」


 エストの視界がぼやけていき、頭痛の激しさが増す。このままでは意識が途切れて、そのまま死ぬ。


「レイ⋯⋯私を今から教える場所まで転移させて」


「リ、了解シマシタ。〈転移陣テレポーティングサークル〉」


 エストの真下に魔法陣が現れ、彼女の姿が消える。

 大量の獣人の死体の中、3人は立っていた。しばらくして大勢の人と王国兵士が来て、事件の後処理が行われた。

 後に、今回のことは『魔王襲来事件』として世界に知られた。『黒の魔女の復活』に続いてのビックニュースは、またもや民衆を恐怖のどん底に突き落とした。


 冒険者組合長室にて。


「⋯⋯魔王。それに、大罪の魔人⋯⋯か」


 500年前に現れた伝説の存在。そのときは勇者によって殺されたと、伝えられている。ジュンはそれが事実とは異なると思っているが。


「今度は、魔王と大罪の魔人だけではない。黒の魔女と黒の教団がいる」


 勇者とは、転生者だ。魔王に対抗できる人類である。


「⋯⋯僕は転生者だけど、勇者じゃない。⋯⋯勇者は、きっと現れるだろう。そのときは⋯⋯」


 勇者とは、特別な加護を授かった存在だ。その加護がなくては、勇者とは呼べない。単純な実力だけでは、勇者とは言えないのだ。

 魔王種を真に殺せるのは、勇者だけ。勇者以外が魔王を殺したって、それは問題の先延ばしに過ぎない。


「⋯⋯勇者が僕より強ければ楽なんだけどな」


 ◆◆◆


「⋯⋯いつの間にか、エストが結界外ギリギリで倒れていた、と。そういうことですか?」


 青髪の美しい女性は、無表情のメイドにそう聞く。


「はい。エスト様はとても衰弱しており、また、私達の回復魔法では延命がやっとでした。レネ様、いかがなさいますか?」


 『青の魔女』、レネは気を失っているエストの服を脱がせ、擦り傷を診る。


「⋯⋯これは毒? でもこれなら、わたくしでもどうにか死からは助けられそうですね。食事の用意をしておいてください。30分で終わります」


「了解しました」


 メイドは厨房に向かう。

 レネは回復魔法を幾度が唱えると、呼吸が荒かったエストの容体は次第に良くなる。


 しばらくして。


「──うっ⋯⋯。ああ、よかった、生きてる」


 エストの目が覚める。未だ体が重たいが、マシにはなっていた。近くのテーブルには木のボウルがあり、そこからは湯気が立ち上げている。

 エストが目覚めたのに気づいたレネは、彼女に話しかける。


「大丈夫、エスト?」


「なんとかね。⋯⋯でも」


 エストは魔法を使おうとする。が、その瞬間、体に激痛が走る。


「⋯⋯かなり凶悪なやつですね」


 対象の魔力を毒に変換する、魔法使いにとっての天敵とも言える『魔毒』。魔毒に侵されている間は、魔法を使おうはとすれば体中に激痛が走り、魔法が使えない。その上、普通の毒のように、常に発熱や嘔吐感、場合によっては死亡もある。魔法使いからは当然、魔法が使えない人たちからも恐れられているものだ。幸いにも、魔力が毒に変換されるスピードと新たに魔力が生産されるスピードはほぼ同じであるし、魔力を外部から摂取することで魔力が枯渇することによる死亡は殆どありえないのが救いである。


「魔王の娘が、私対策に作った魔毒だろうね。こんなのは、自然界にはない」


 自然界の魔毒など、魔女にとっては人間で言うところの軽度の風邪みたいなものだ。さして問題はない。だが、エストが一時的とはいえ気絶するほどに凶悪なもので、しばらくは魔法が使えないし、動くことすら厳しいほどだ。


「魔王の娘? エスト、あなたあの時全員殺さなかったのですか?」


「魔王と異世界人は殺したけど、子供は逃したんだよ。私でも追跡できないところ⋯⋯おそらく他の大陸に転移させられていたからね」


 世界には、現在、彼女らがいるここ以外に3つの大陸が存在している。いくら魔女であれども、それら3つの大陸全てから1人を探しだすなんて不可能に近い。


「何より、どちらにせよいつか魔王は生まれる。でしょ?」


 魔王は一定周期で生まれる存在だ。勇者のみが、その連鎖を止められる。だが、勇者の多くは魔王に殺される。それほどまでに、魔王軍には力がある。個々としては最強の魔女のエストたちですら、単身で魔王軍に挑めば勝率はかなり低い。魔王軍は個々としても強く、群れとしてならもっとだ。


「⋯⋯そうですね」


 そして前回は、本来殺し合うべきはずの魔王と勇者が手を組むどころか、愛し合った。その理由は最早知れなくなったが、異例であることは変わりない。

 何より、それの副産物として生まれてきたのが、魔王の娘──次代魔王、セレディナだ。


「レネ、これだけは知っておいてほしい。次の魔王の種族は、半吸血鬼ハーフヴァンパイアだよ」


「⋯⋯それは」


 ハーフ系種族は、本来中途半端な存在だ。純血と比べて能力が劣る。弱点が無くなる、または弱点とは言えなくなる程度になるとはいえ、能力が弱くなってしまっては元も子もないのだ。

 しかし、今回は魔王種と異世界人、それも転生者のハーフだ。強者同士の子供。たしかに吸血鬼としての能力は低いが、魔王種、それも純血と比べてだ。普通の吸血鬼では比較にならないし、異世界人の人外じみた身体能力も受け継がれている。ただのハーフではないのだ。


「今なら、私よりも弱い。おそらく、今後現れるだろう勇者でも勝てるかもしれない。⋯⋯でも、あの様子じゃ、あと一ヶ月でもしたら私と同等になるね」


「え? あなたと同等?」


「そう。戦闘中に、アイツは成長していた。まだ、強くなるね」


「⋯⋯どうするのですか?」


「どうするもこうするも、一ヶ月以内に殺すしかないよ。成長が止まればいいけど、私よりも強くなる可能性だってあるんだ。そうなれば、黒の教団と手を組んでいる魔王軍には勝ち目はなくなる。今でさえ厳しいのに」


 魔王に大罪の魔人、そして無数の魔族。そこに黒の教団も加わるのだ。単体では圧勝できても、数が纏まれば負ける。


「⋯⋯さて、どうやってセレディナを殺すか」


 エストは俯き、顎に手を当て思考する。だが、レネは彼女のその思考の邪魔をする。


「⋯⋯それを考えるのもいいですが、今は魔毒に侵されたその体の治療が先です。まずはご飯でも食べてください」


「⋯⋯わかったよ。⋯⋯お母さんみたいだね」


「どちらかというと、お姉さんですがね」


 2人は、互いが初めてあった日を思い出す。


「あの時はまだ、あなたはとても小さくて、まだ可愛らしいかったんですがね」


「今が可愛らしくないみたいな言い方、ちょっと気になるんだけど」


「可愛らしい子供は、魔王とか、何人もの異世界人を殺したりはしませんよ」


 レネは、珍しく冗談を言う。──否、本心である。


「⋯⋯否定できないのが悲しいかな」


「でもまあ、エスト。わたくしはあなたの姉みたいなものですから、いつでも頼ってくださいよ?」


 レネはエストに微笑む。その姿は母親のようでもあり、また姉のようでもあった。


「⋯⋯じゃあ、お姉ちゃん、一つ頼みがあるの」


「いきなり『お姉ちゃん』呼び!? ⋯⋯ま、まあ、いいですが。それで何ですか?」


 ここ600年間、ずっと名前で呼ばれていたのがいきなりお姉ちゃん呼びになったことに、レネは動揺する。が、平常心を保ち、エストの頼みを聞く。


「⋯⋯なんか、玄関にいる奴を説得してきて」


「⋯⋯え? ⋯⋯あっ」


 2人は、玄関にいた赤髪の少女に、ここでようやく気づく。


「エストっ! あれからロアがどれだけ苦労したと思ってるのよ! 今日という今日は、絶対に殺してやる!」


 彼女は、エストが別大陸に飛ばした存在だ。星の反対側の大陸まで、ぼこぼこにして、魔力も死なない程度に奪って、飛ばした少女だ。生きてることはわかっていたが、これでもまだ来るとは予想外であった。


「⋯⋯エスト、何をしたら彼女をあそこまで怒らせられるのですか?」


「⋯⋯不意打ちして一気にボコボコにしたからかな」


 怒る『ロア』と自称する少女を横目に、レネはエストに呆れる。赤髪の少女が、不意打ちをいかに嫌っているかを知っていたからだ。


「⋯⋯はあ。面倒な義妹いもうとを持ちましたね」

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