第3話 翼をください-3
3時間目は体育だった。
「緑川さん、用意してある?」と前の席の前川が尋ねると、
「一応、一通り」と応え、バッグを持ち上げた。
「じゃあ、更衣室を案内するわ」と前川は由美子を女子のグループに引き寄せ、一緒に部屋を出た。
その後ろで、風見と数人の男子が密かに相談をしていた。
由美子が校庭に出るとすでに男子は集まっており、教員に風見が何か主張していた。女子はその回りを遠巻きにして見守っていた。
どうしたのと、前川が先に集まっていた女子に尋ねると、
「風見君が、男子と女子混合でソフトボールをやろうと言ってるの」と答えが返ってきた。
由美子の歓迎イベントとして風見が提案したものらしく、その他の男子からも賛成の声が上がっていた。男女担当の2人の教員は互いを伺ったあと、ちらりと由美子を見て、そして了解した。
歓声が上がり、お祭騒ぎのような賑やかさの中で、風見は大きく手を上げて全体を静め、準備とチーム分けの指示を出した。
由美子は、風見の思惑とは異なり、風見の相手チームに分けられた。とりあえずは補欠ということで、前川らと並んで応援をすることになった。前川は丁寧に出場選手の紹介をしてくれた。由美子のチームには運動部の男子はいなく、逆に陸上部やソフトボール部の女子は多かった。チームの構成上、9人中男女比は5:4あるいは4:5と決められていた。風見のチームには、野球部の西川までが入っており、とても太刀打ちできない状況だった。どう考えても男子を5人にすると、鈍い連中ばかりになりそうだったので、女子5人にしてしまい、運動部には入っていないが運動センスのいい松本が出ることになった。松本はだるそうな顔で外野の守備についた。
風見は試合開始まで何か悩んでいたが、急に思い出したように立ち上がると、
「さぁ、絶対勝つぞ!」と叫んだ。
プレイボールから打撃戦が始まった。由美子のチームは、あっという間に1点を失うとバッターは風見、あっさりと長打で2点を追加してしまった。それでも松本の好返球で風見は3塁タッチアウトになり、なんとか3点で終わった。しかし、劣勢のまま、2回、3回と試合は進み、得点は5対2。
諦めたような状況で、由美子に出番が回ってきた。
「次、松本さんの後、代打でね」
と、告げられてバットを渡されたとき、松本が長打を放ち、打球はセンター風見の上を越えて、3塁打。2点を返した。
「由美子ちゃん、スクイズでもいいわよ」
「とりあえず、たたきつけて、1塁へ走って」
「リラックス、リラックス」
歓声の中、ちんまりと打席に立った由美子に、それまで憮然とベース上に立っていた松本から声が飛んだ。
「思いっきり振れ!当てりゃぁ、あたしが何とかしてやるよ」
由美子は松本を見ると、頷いて、そして構えた。
男子の投げる手加減した山なりのボールを見送ると、判定はボール。次のボールはホームまで届かずボール。
真剣にやれよ、と声が飛ぶ中で投げられたボールは、ゆるやかな放物線を描いたストライク、を由美子はフルスイングした。
ボールは、大きく舞い上がり、レフトの頭を越えて、プールに飛び込んだ。
驚嘆の声が歓声に変わった頃には、由美子はセカンドに到達していた。
「ホームラン!」
審判の先生の声が響く時、誰もが由美子に声援を送っていた。
「なんで、ソフトボールがあんなに飛ぶんだ?」
風見の呟きは、誰もの呟きだった。
由美子がホームインの歓迎を受けた後、松本が、
「やるじゃない」と言いながら、笑顔で由美子の頭を叩いた。由美子は何も言わず照れたような笑顔を向けた。
授業時間の都合で、あと1イニングくらいしか時間は残っていなかった。風見が2アウトでかろうじて内野安打で塁に出た。次は野球部の西川。2年生ながらレギュラーの西川は、落ちついた雰囲気で打席に立った。声援が飛びかう中、風見はベースに立ち尽くしたまま腕組みをしていた。
「このまま西川に活躍されてもな」
そう呟きながら、ライトの守備についている由美子をちらりと見た。
「なんであの娘が、あんなホームランを打てるんだ」
そう思い正面を向き直ったとき、西川のスイングとともに打球は左中間に飛んだ。風見はやったと一瞬思うと、一気に走り出した。
打球は左中間の深いところを転々とし、追いついたセンターが返球を返したとき、風見は3塁を回った。そして、楽々ホームイン。西川は2塁自重。ついに勝ち越しになった。
「仕方ねえな」
風見はそう思いながらも右手を掲げて、勝ち越しをアピールした。
結局、この回は1点止まり。反撃の時間も僅かしか残っていなかった。それでもヒットが出て、2アウト2塁でバッターは松本。次は由美子。あの華奢な少女がホームランを打ったことは今でも信じられないが、いきなり長打を放った由美子に警戒して、ピッチャーは松本で勝負をかけてきた。速い球が松本の胸元を襲う。松本は微動だにせず見送る。次の球も見送る。カウント2ナッシング。ただ松本はカウントを気にしていないようだった。
声援の中、由美子はじっと松本を見ていた。松本は少し左足の位置を変えると、さっきまでと同じ姿勢で打席に立った。次の球、これを松本は流した。打球はセカンドの頭を辛うじて越えただけだったが、センターが左寄りだったので、誰も追いつけないまま外野を転々としていった。ようやくライトが追いついたときには、1塁ランナーはもう3塁を回っていた。返球が内野を転々と転がってきたとき、逆転のランナーがホームを駆け抜けた。
歓喜の中で松本は淡々とホームベースに戻り、さほど嬉しそうな顔もせずに整列した。由美子はその隣に並び、「すごいね」と声を掛けると審判の指示にしたがい礼をした。
更衣室でも由美子は松本の側を離れなかった。周りの女子は松本を恐れて由美子に近づけなかった分、由美子は松本に気さくに話し掛けた。
「ソフト、上手なのね」
「何言ってんだよ、おまえのほうがうまいじゃないか」
「でも、守備も上手だし、打つのも、最後の打席、スタンス変えてたでしょ」
「見てたのかョ」
ン、と言って頷く由美子に、松本も気を許したようだった。
「センターが左に寄ってたから、それに合わせて右狙いに変えたんだよ」
「すごいネ」
満更でもない顔で由美子を見た松本は、少し笑みを見せた。
「おまえさぁ、こんなちっこい体でよくあんなところまで飛ばせるな。クラブ、やってたのかよ」
「そうじゃないけど、ちょっとネ」
笑顔でニコニコする由美子につられるように、笑顔になった松本だった。
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