第16話 大切なもの(2)幸せの楽園
皆、悠花の見ている先を見た。上品な老婦人が、孫娘と並んで指輪を見ていた。
「利根沢様ですか。
あの方は先代当主の奥様の松子様と、ご長男のお嬢様の聖子様です。先代の頃から御贔屓にしていただいております。
現在も経済状況が悪化しているとは聞いておりませんし、盗む必要はありませんよ」
店長は懐疑的だ。
「悠花さん。何が変わったんです?」
湊が訊くと、悠花は目を離さないまま答える。
「着物の帯の柄の位置です。少し、トイレに行く前と、柄の位置が違うんです」
それを、皆で見て考えた。
「トイレでズレただけってことは?」
涼真が言うが、湊は否定した。
「いや。トイレで帯まで巻き直す事は無い。苦しくて着付けをし直したとかならあるけど、着物を着なれている感じがするし、それも無いかと思うけどな」
「でも、お年寄りよ。慣れていても、人込みで疲れて、とかもあるんじゃないかしら」
雅美が言うのに、店長はポツンと呟いた。
「皆さん、位置が変わった事は、気のせいとは否定しないんですね」
それに、悠花以外の皆が当然という顔をした。
「だって、竹内の観察眼ですもの」
「……はあ?はあ、そうですか」
「よし。何とかあの人のボディーチェックをさせてもらおう」
店長は迷いに迷っていたが、
「帰ろうという客が出てからでは困るんじゃないですか」
と涼真に言われ、決断した。
そっと小声で別室に連れて行き、松子と聖子に説明をした。
「疑っているわけはないのですが、念の為に、確認をさせていただきたいのですが」
店長が言うのに、聖子は表情を硬くした。
「疑ってるから確認するんですよね」
その通りだ。
「いえ、その」
「おばあちゃん。どうする?」
聖子は店長に構わず、松子に話しかけた。
松子はソファに深く座ってぼんやりとしていたが、孫に話しかけられて、そちらを見た。
「ん?何だったかしら?」
「おばあちゃんの荷物と着ている物を、見せてって。宝石が無くなったんですって」
「まあ、それは大変だわ。よく探したの?」
松子は驚き、そして心配した。
雅美が柔らかく話しかける。
「それで失礼ですが、お荷物と、お体を触らせていただきたいんです。よろしいでしょうか」
「はい、結構ですよ」
松子はそう言って、よいしょと立ち上がった。
それを聖子と一緒に助けた悠花は、
「では失礼しますね」
と笑いかけた。
すぐ、帯に手をやって確かめる。
「あ」
挟み込むようにして、ピンクダイヤのネックレスが帯の間に隠してあった。それに、聖子は顔を青ざめさせて固まり、店長は喜んでから困った顔になる。
松子は澄ました顔で壁の絵を見ていたが、ふと、途方に暮れたような悠花の顔を見た。
「あら、お嬢さん。ごきげんよう。どちらの女学校の方かしら?ハイカラなお召し物ね」
聖子はキョトンとし、悠花は少し泣きそうな顔で笑った。
「こんにちは。柳内警備保障っていう会社から来たんですよ」
「まあ、そうなの。柳内?そんな女学校あったかしら……。
ねえ、私、これから利根沢様とお会いするんだけど、こんな格好おかしくないかしら」
それで、聖子はギョッとしたように立ち上がり、湊、涼真、雅美もは、何とも言えない顔付きで突っ立っていた。
「全然おかしくないですよ。よくお似合いです」
「そう?良かった。洋装の方が良かったかしらって」
松子は女学生のようにはにかんで笑った。
松子は、認知症だった。家族も気付いておらず――いや、おかしいと思う事はあったが、「そんなはずはない」「気のせいだ」と自分に言い聞かせてきたのだ。
認知症には色々な症状があり、その中で、万引きというものもある。松子はそれにあたるようだと、駆け込んだ病院で医師に言われたそうだ。
窃盗については、認知症のせいと、何よりまだ会場の外に持ち出していなかったので、無かった事として済まされた。
「松子さん、亡くなった旦那さんの若い頃の事を思い出して、その頃に戻ってしまうそうです」
利根沢さんから謝罪とその後の話を聞いた錦織がそう言う。
「それはそれで、幸せなのかもしれないですね」
悠花はふんわりと笑う。
家族は何かとこれから苦労も心配もあるだろうが、痛い、辛い思い出の中に閉じ込められるよりはずっといい。幸せな記憶だけで作られた、楽園。
「まあ、そういうわけです。宝石店からも苦情の類もありませんでしたし、これで終了です。お疲れ様でした」
切ないような気分になりながら、悠花は軽く嘆息した。
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