譚ノ四

 いつになれば終わる?

 道往きがこんなにも辛い

 嗤えないぐらいに

 この道往きを何と呼ぶのだろうか







 また夜が来た。

 今宵は満月には今一つ足りないが月が出ていた。

 激しい頭痛と眩暈は治まり、何とか歩けるので続きを往こうと一歩歩き出した所で声をかけられた。


「やぁ、今宵は早いね」


 振り返ればやはり紫月だった。

 数日で見慣れた紅と黒を基調にした着物。手には女でも持ちやすい小ぶりな酒壺が紐でぶら下がっていた。

 いつの時代の格好かと思うが不思議とこの鳥居の参道に彼女の姿はよく似合っている。


「今宵は飲みながら、どうだい?」

「女が外で酒壺を持ちながら飲むのはどうなんだ? この時代に酒壺って……」


 紫月ならありと思ってしまうのは何故なのだろうか。


「女が外で酒壺を持ちながら飲んではならない、なんて法はないさ。外で飲み歩きほど自由で、心地よいものはないよ。月のある夜と、花の盛り、夏の蛍に唐紅の葉、冬の雪の頃は格別だと思わないかい?」


 それは四季全てではないだろうか。

 伽藍が言葉を返す前に紫月は懐から二枚、盃を取り出して一つを伽藍に手渡し酒を注いだ。

 夜気にふんわりと、酒の香りが混じる。

 今宵は月のお陰で少しばかりよく見える。

 彼女は手酌で自分の盃に酒を注ぐと伽藍に向けて軽く盃を持ち上げ、一気に飲み干した。

 良い飲みっぷりである。

 伽藍は歩きながら、少しずつ零さないように酒を飲む。

 黒漆の盃に、鳥居の隙間から満月に少し足りない月が映る。

 すでに紫月は二杯目も一気に飲み干し三杯目を自分の盃に注いでいる所だ。


「あははっ。もっと漢らしく飲み干せばいいじゃないか。毒なんて入ってないんだから」

「そういうお前は、もっとおしとやかでもいいのでは? 見た目と違って随分残念だ」


 伽藍がそう答えると、紫月は子供のように頬を膨らませた。

 大人の女ではあるが意外と子供っぽい。

 月を捉えた酒を、伽藍は一気に飲み干した。続いて紫月が酒を注ぐ。それほど大きくない酒壺。彼女はもう五杯も飲み干しているはずだというのに、一向に減っている様子はない。


「これは特殊な酒壺でね。ほら、もっと飲みたまえ」

「いや。俺は、多分あまり酒が得意じゃない。これ以上飲めば……」


 これ以上飲めば、正体が分からなくなってしまう。

 だが紫月は気にすることなく盃に酒を満たす。仕方なく、飲み干さずに手に持ったまま道を往く。


「おや。つまらないなぁ。まぁいいさ」


 それで、と紫月は言葉を続けた。

 酒が弱いだろうということ以外に今何か思い出せたことはあるのかと。

答えは否。まったくといって記憶は戻らない。なのに、この不思議な感覚というのは何なのか。何が不思議に感じるのかも分からない。

 自分の中の何が正しい情報なのかも。

 素直に告げると、紫月はやっぱり、と笑った。


「そういえばキミは気付いているのかな?」

「何がだ?」

「キミはね、往きつ戻りつの堂々巡りをしているんだよ。今」


 つまり、同じことを続けていると。

 不思議に思っていたのはこういうことなのだろうか。

 今は夜。もう少しで満ちる月が昇っている。雲はなく、幾億数多もの星が煌めいていた。時折吹く風がちょうど心地よい。

 伏見ヶ稲荷ノ大社で四ツ辻を往き山頂を目指せば三ノ峯、二ノ峯、一ノ峯があるはず。


「ここは、どこだ……?」


 ずっと歩き登っていた。

 何日も、何日も。

 山頂に辿り着くのに何日もかかるはずがない。

 この道往きをはじめて何日目になる?

 酒が満たされた盃を持つ手が震え、伽藍は立ち止まった。


「ここは―――」


 振り返る。

 初めて紫月と出会った日以前も、そして彼女と出会った以降も、振り返って後ろをじっと見つめたことがあっただろうか。いや、ない。

 彼女と出会った時、彼女はあの闇の奥にまるで浮かび上がっているように見えた。闇色の着物さえ、うっすらと光を纏っているかのようだった。月明かりに照らされているとばかり思っていた。

 しかし今はどうだ。

 そこは月影に沈み闇一色。

 飲み込まれてしまいそうな。

 手から盃が離れて落ち、静けさを打ち破るかのように音が響いた。

 何かが、頭の中に押し寄せてくる。


「さて」


 紫月の軽い声が聞こえて、伽藍は我に戻った。

 気が付けば彼女は自分が落とした盃を拾っている。零れた酒が、階段に染み込んでいた。

 今、何か思い出しかけた。


「またね」


 楽しそうに微笑みを浮かべると、彼女は闇に消えて行った。

 彼女はやはり、というか何となくそういう気がしていたのだが―――妖怪の類だったのだ。

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