譚ノ二

 歩けども、歩けども

 道は暗く、しかしずっと先まで続いている

 この先には一体何があるのだろう

 嗤う気も起きなくて、けれども歩き続けた







 気が付けば夜だった。

 昨日と同様、参道をあてもなく歩いていた。

 この参道は本当にこんなに距離があっただろうか。

 参道のどの辺りを歩いているのかさえすでに分からなくなっていた。

 隣には紫月。

 会った時には彼女の美しさに疑問に思わなかったが、彼女の若さで洋服が溢れている昨今に、喪服よりも黒く見える黒に鮮やかな血のような紅色の半襟と帯の組み合わせの着物を着ているというのも不思議だった。

 そして紫月のもう一つの不思議は、いつの間に姿を現したのか分からない程、ごく自然に、気が付けば伽藍の隣を一緒に歩いていたのだ。

 長い、長い階段と曲がりくねる鳥居が続くこの道を、息を切らせることなく桐下駄で歩いているのだ。


「しかしキミも物好きだね。夜に、泣く子も黙る所か大の大人でさえ恐ろしく感じる伏見ヶ稲荷ノ大社を一人で歩いているなんて」


 それは自分でも変に思っていた。

 だが不思議とこの夜の道往きは怖いと感じていなかった。

 この道の先へ往きたい。

 だから歩いている、ただそれだけだった。

 自分の名前も、姿も、記憶も、紫月に話しかけられるまで考えることがなかったのである。

 考えてみれば自分自身が分からないというのに道往きというのもおかしな話だ。


「キミは自分の姿を思い浮かべられるかい?」


 静かに、しかし唐突に紫月は伽藍に問いかけてきた。

 名前すら思い出すことが出来ないというのに、己の姿などもっと思い出せるはずがなかった。

 しかし考える。

 性別は、年齢は、どんな髪型で、どんな顔立ちで、どんな肉付きで、どんな服を着ているのかを必死で考えた。

 考える、考える……けれども、驚くほど、自分の姿というのは曖昧で真っ白な霧の向こう側に薄ぼんやりとしているだけだ。


「分からない……男なのか、女なのかも。自分の姿が何も思い浮かべられない」


 自分の答えにがっかりしてしまっただろうか。

 隣を歩く紫月を見たけれど彼女はまったくがっかりした様子はない。

 視線を感じたのか、にっこりと微笑みを返しただけだ。


「とりあえず名前は最後にしようか。ボクにもね、キミの姿は薄ぼんやりとしているんだ。残念ながら、ね。“人”なのに不思議だよね。いや“人”だからなのかもしれないね」


 何やら意味深なことを言いながら、それからしばらく紫月の質問ばかりが続いた。

 今の感覚での自分の性別―――恐らく、男。

 年齢はともかく若いか年を取っているか―――恐らく、中間くらい。

 髪の長さは―――長くはなく、さっぱりと短かったような気がする。

 着ていたのは着物か洋服か―――洋服だったと思う。

 どんな服か―――少なくとも堅苦しい服は着ていなかったと思う。

 伽藍は問われることに必死に考えて答えを捻りだす。

 自分の姿を思い出すだけでこんなにも大変とは。

 ひたすら歩いたり階段を上ったりしているというのに質問攻めというのも苦しい。

 息切れをしない紫月は歌うように質問を続ける。

 仕事はしていたか―――していたような、していなかったような。

 していれば何の仕事をしていたか―――まるっきり思い出せない。

 家族がいたのか―――いたような……いや、一人だった。


「さて、大まかにキミの姿が見えてきたよ。まだまだ曖昧だけど。男性だね、キミの感覚通り年齢は恐らく中間層。髪はさっぱり短く、洋服でラフな格好をしている。家族はなく一人で仕事は……うん、まぁしてたかしていないかは、もうどうでもいいかな」


 確かに大まかだ。

 まるでピントがまるで合わない眼鏡をかけているか、水中眼鏡もなしに水中で目を開いているかのようにぼんやりとし過ぎている。


「おや。どうしたんだい?」


 急激に体が重たくなったような気がして、伽藍は立ち止まった。

 今まで以上に呼吸が辛い。

 マラソンで全力疾走をした後のようだ。


「ほら、自分を思い出したいんだろう?」


 そう紫月に言われても、足が動かない。

 徐々に視界が歪む。

 暗い夜道。

 どうして自分はここにいる?

 自分は誰で、何のためにこの道を往くのか?

 頭が痛くなってきて眩暈まで引き起こしている。

 立っていられなくて伽藍はその場で膝をついた。

 だが紫月は手を差し伸べることさえなかった。


「仕方がないなぁ。今宵はここまでにしよう」


 またね。

 それだけ声をかけて紫月は姿を消した。

 昨日と同じく暗い中でもはっきりと見える黒い蝶がひとひら、くるりと伽藍の周りを飛んだかと思うと舞い上がり消えた。

 それと同時に、伽藍は意識を手放した。

 ただ意識が途切れるその直前、遠くで誰かが嗤う声が聞こえたような気がした……。

 思い出しかけた自分の姿が分厚い雲の向こうへと消えて行く。

 待て、行くな……自分は、自分でいたいのに……手を伸ばす気力もなくて伽藍は静かにその場で目を閉じた。

 朝になったら、誰かが見つけてくれるのだろうか。

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