譚ノ六

「キミはどう思う? “生鬼せいのおに”」


 暗がりへと声を掛ける紫月に、煉もまたそちらの方へ目を向けた。

 かさり、かさり。

 草を踏む音。

 やがて、月明かりにその姿が晒される。

 長い黒髪。

 パジャマに身を包んでいるとはいえ、それでもバランスのとれていると分かる肢体。

 整った顔立ちをしているがその目元には隈がうっすらと浮かんでいて悲壮感が漂っている。


「お嬢」

「先日、アイドルグループを卒業した子。水野 満花ちゃんだよ」


 紫月がお気に入りだと言っていた少女だった。


「テレビではただ卒業だと言われていたけれど、病にかかっていたんだね」


 目の前の少女が今回の熱中症騒ぎの原因で、“鬼”。

 紫月の目配せに、煉は頷くとその場を離れた。


「ねぇ、力をちょうだい?」


 裸足で満花は紫月の前へと歩み出る。


「はてさて。ボクにはあげられる力はないんだけど?」

「あるじゃない。病気にもならず、長く生き続ける力が」

「それは“人”の為の力じゃない。だからボクが望んでもキミにはあげられない。いくら他人の生きる力を奪ったとしても、終わりは必ず誰にでも……そう、“人”以外にでも訪れるものだよ。キミの奪った力はキミのものではない。元の主に返さないと」

「させないわ。この力は私のものよ! 私は生きたいの! 歌いたいの!」


 せっかく大舞台に立てたのに、発覚した病気の所為で卒業と称して芸能界から引退。

 その舞台から降りなければならなくなった。

 絶望して、絶望して、死のうとすら一時思っていた。


「“鬼”が言ったの。もう一度、歌いたければこうすればいいって。満たされて、花が咲くからって……」


 でも、まだ足りない。

 ずっと満足に動けるほどじゃない。


「“鬼喰”の力を貰えれば、私はまた……もう一度、あの舞台に立てる。私の夢は、ここでなんか終わらないの! もっと、もっと生きて、誰よりも高い所へ私は行きたいの!」


 紫月に触れようとするが、紫月は彼女の手を避ける。

 手首を掴んで少し力を籠めれば自分の方へと力が流れてくるのがとても心地が良かった。

 暖かくて、優しくて、体の隅々へと染み渡るようで。

 けれどもそれはどれも長続きしなくて。

 今度こそ、長く続くような生きる力が欲しい。


「卒業だってまだしたくなかった! せっかく努力して芸能界に入って……アイドルになれたのに……どうして私なの!? お願いだから逃げないでよ。ちょっと力を貰うだけじゃない。その分、私が生きるから!!」

「どれだけ求めて願い、祈っても……生の時間は変わりなどしないさ。もう終わりにしよう」


 彼女にそう時間はかけられない。

 紫月は立ち止まり、右の掌に息を吹きかけた。

 瞬間、月を覆い隠すほどの黒い蝶が乱舞し、満花の視界を奪った。

 力が抜けていく……。

 黒い蝶が白く変化し、ひとひら、ひとひらと暗い空の彼方へと溶けて消える。

 あぁ、あれは……あれは、今まで自分の中に貯めていた力。


「嫌……嫌よ、嫌!! 私は生きるの! まだ生きたいの!!」


 待って、と手の伸ばすも、黒い蝶が満花の手の先を遮り、白くなった蝶はひらりと手をすり抜けていく。


「生きる力はそれぞれに宿るモノで、その生の長さもそれぞれ違うんだ。キミが吸った生きる力は蝶となって元の主の体へ還っていく。キミに力を吸い取られ熱中症だと診断された彼らもじきに目を覚ますだろう」


 最後のひとひらも、吸い込まれるように空の彼方へと姿を消した。

 まだ、元の元気な体で歌いたい。


「じゃあ貴女の生気をくれたっていいでしょう? “鬼喰”でしょ? 人間なんかよりもずっと、もう十分長く生きているじゃない。私はこんな所で終わりたくない!」


 動かなくなっていく体を引き摺りながら、満花は何とか紫月の足を掴んで縋りつく。

 まだ、この体には“鬼”が残っている。

 最後の“鬼”を喰べられてしまう前に、この体に生きる為の力を満たしたい。


「お願い……少しでもいいから。まだ死にたくない……もう少しだけ、もう少しだけでいいの。歌わせてよ……! 私はまだ、死にたくないの! もっと歌いたいの!!」


 紫月はそっと腰を落として自分の足首を掴む満花の手に自分の手を重ねた。


「悪いけれど、たとえ“人ならざるモノ”だとしてもボクの生気はボクだけのものだから。キミに分けてあげられるものじゃない。さぁ、最後の“生鬼”もボクが喰らってあげるよ」

「貴女だって……貴女だって“人”の生気を吸っているようなもんじゃない! 貴女が良くてどうして私がダメなのよ!」

「ボクが喰らうのは“鬼”。キミと同じじゃない。“鬼”を喰らっても、“鬼喰”はどれほど経った所で満たされないんだよ……」


 いくら普段は“人”のように“人”と同じものを飲んだり食べたりしていたとしても紫月自身が“鬼喰”であることは変えられない事実。

 ひとひらの黒い蝶が自分の中へと溶けていく。

 そして、体全身から全ての力が抜けた。

 もう紫月の足を掴み続ける力さえなくて、そのまま地面に突っ伏す。

 意識が遠ざかっていくその中で、確かに聞こえた。

 高すぎず、低すぎない。

 “鬼喰”の紫月の声が。


「ごちそうさま」


 と。

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