譚ノ四

 どれだけ水を注げばいいのだろう

 どれくらいでこの硝子の器は満たされ花が咲く?

 ただこれだけは……もっとたくさんの水が必要なんだと分かる

 満たされた時のことを考えるだけで、嗤いがこみ上げてくる



「そういえばさ、煉」

「どうした」


 ここ最近のマイブームなのか、アイドルが出て歌って踊る番組を見ながら、おやつの心太に黒蜜をかけて、不意に紫月は口を開いた。


「昔から“人”が歌を歌い、楽器を奏で、舞を舞うのは何故だと思う?」


 また突拍子もない問いかけをするが、いつものことなので特に紫月が何故問いかけをするのかということを置いておいて、煉は少し考える。

 何故、歌うのか。

 何故、奏でるのか。

 何故、舞うのか。

 どんな理由があるのかなど、煉は少しも考えたことがなかった。

 ただ何となく理由があるのだろうという程度の認識であったし、敢えてその理由を問うのは無粋なのだろうということも分かっていたから。

 しかし今、紫月はその理由を問うた。

 考えてはみたものの、やはり煉にはそういうものなのだろう。

 あえて言うのならば、“人ならざるモノ”は別として“人”の間では存在していると言われている―――実際、存在しているのだが―――“神”への捧げ物の一つなのではないかという答えしか出てこなかった。

 あっさりと思っていることを思ったままに彼女に答えると、紫月は煉ならばそう言うと思っていたと笑った。

 馬鹿にしているわけではないのを知っているので頷いておく。

 彼女はけして、違う意見を笑うこともしなければ否定もしない。

 時には否定もするが、肯定をすることもあるし、そういう考え方もあるもしくは、その考えはなかったと受け止める度量もある。


「“人”って凄いよね」


 たっぷりと黒蜜をかけた上で、これも煉が用意したきな粉もかけて心太を幸せそうに食べながら彼女は話を続ける。


「煉は言霊というものを聞いたことがあるかい?」


 聞いたことがある。

 それも、つい最近ではない。

 遥か昔、紫月と知り合う前から。

 この国では遥か昔から言葉に宿ると信じられた霊的な力のことである。

 今互いに話をしているこの言語も言霊の法則に従って基礎が形成され、長い時をかけて精査され、進化をしてきたのだ。

 異国の者からは難しい言語として認識されており、世界に広まりつつある他国に類をみない文化や歴史と共に日ノ国の言葉を学ぶ者が後を絶たないとか。

 近年では日ノ国の民よりも、異国の者の方が日ノ国の言葉の本質、本来の意味を知っているというのは古きを知る者が少なくなりつつある時代の流れか、国などの教育方針の所為か、どんな理由にしても言霊信仰という言葉すら知らない若者が多いというのが今の日ノ国だろう。

 煉が、国などに対して言うことは何もないが。

 話は戻して、この日ノ国では言霊信仰というものもある。

 言霊一つで幸福にも不幸にもなる。

 言霊一つで力を与えることも奪うこともできる。

 言霊一つで未来が変えられるとすら言われたこともある。

 それくらいに言霊というものは強い呪力を持っており、力が宿っていると信じられているのだ。

 例えば、受験前に滑るや落ちるという言葉を使ってはならない、というものなどは日ノ国の民に宿るもはや無意識のレベルに刷り込まれた言霊の代表格だろう。


「そう。それくらいに、この国の“人”は言葉というものに敏感だ。顕著なのは和歌だろう。あれほど想いという言霊の呪力が籠ったものはなかなかないだだろうね。とにかく、今のこの国の民は無意識に意味の良い言霊なのか、悪い言霊なのかをぼんやりとでも選別できるくらいには言霊という言葉が消えかけて久しくもなお、存在して当たり前だと考えている」


 それと、最初の歌を歌うこと、楽器を奏でること、舞を舞うことにどう繋がるのだろうか。

 なかなか紫月の答えが出てこなくて。それでも煉は、彼女が言いたいように言わせ、言葉を待つ。


「おや。ボクとしたことが色々と言い過ぎたかな?」

「いつものことだ。俺は構わん」


 煉の言葉に頷き、一言すまないと呟くともう一度、最初の問いを繰り返した。


「今までの言葉を踏まえてもう一度問うよ。煉。昔から“人”が歌を歌い、楽器を奏で、舞を舞うのは何故だと思う?」

「お嬢も知っている通り、俺はお嬢と出会う前、出会い、今まで付き合いをしてきた中でも学のない阿呆でな。良いとは思えても歌や楽器や舞にどんな意味があるのかはさっぱりだ」


 どうせ、彼女が言いたいのだろうということは分かっている。

 煉自身紫月の問いにきっちりと答えられる自信もない。

 それならば、彼女の考える答えを聞いた方が自分にとっては良いものだろうと信頼している。


「どんな答えでもボクは笑わないし、よっぽどでなければ間違いというのはないと思うんだけどな。たくさんある答えの中から煉の考える一つを聞けると期待していたのだけれど?」

「それなら残念ながら、俺はその答えというほどのものには辿り着いていない。ただ、そうだな……良いと思われているから、そうなのだろう……というのが俺の答えだ」


 煉らしい、と紫月は心太を最後まで食べつくして、空っぽになった硝子の器を置いた。


「じゃあボクが思っているだけのことを言おう。ボクが思っているのはね、心が動くからだと思うんだよね」


 頷き、煉は紫月に言葉の続きを促す。


「心が動いて、言霊を、音を紡ぎ……表現する。全ては言霊の上に成り立っているから表現された歌にも、音にも、舞にも心が宿る。そうして誰かの心に届き、響き、揺さぶる。時には笑いを誘い、怒りを共有させ、涙すら流させて心を解き放つんじゃないかって」

「それも“鬼”か?」

「多分“人”であり“鬼”なんだろうね」


 そうして笑う彼女に、少し渋めの暑いお茶を淹れて渡す。

 どんな“鬼”でも紫月がきっと喰ってしまうのだろう。

 おそらく“人”が滅ぶまで彼女達“鬼喰”は生き続けなければならないのかもしれない。

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