譚ノ六

「もういいだろう? “刀鬼けんがおに”」


 瞳は真っ直ぐと、昴を射抜いている。

 はっきりと、紫月がそう口にした言葉が風に流されて昴の耳に届いた。

 自分に、“鬼”?

 何を言っているのか、さっぱりと―――。

 いや、彼女は、分かっていたのだ。

 最初から。

 この場所で、自分を介抱した時から。

 分かっていて自分を介抱し、来訪を許していたのだ。

 “鬼”、“人”、“人ならざるモノ”について理解が出来たのも、自分に“鬼”がいるからなのだと理解した瞬間、紫月に言われるまで曖昧で朧げだった“人”と“鬼”の境界線が、たった今、消えた気がした。

 アレは―――全て自分が見ていた夢ではなかった。

 平然と、日々を生きていたつもりであったけれども、全て自分がしてきたことなのだ。

 今なら彼女を殺せる、と誰かが囁いた。

 もう隠す必要もない。


「く、くくく……あははははっ。じゃあ、紫月さん。あの時……始めから、分かっていて俺を敷地内に入れたんですか?」

「いいや。ボクのただの気まぐれさ」

「じゃあ質問を変えます。いつから気付いていたんですか?」

「さて。いつからだろうね? 始めからかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 一転、悪戯っ子のように紫月は笑った。


「何にせよ、お人好しなんですね。紫月さん。俺に殺されてください」


 昴が腕を上げると同時に、その皮膚が変化する。

 鈍色に。

 鋭利な刃に。


「怖い怖い。ふふっ、腕が刀に変わるんだね。そりゃあ凶器は一切出てこないはずさ」


 面白いと言わんばかりの表情で紫月は昴に言う。


「これから俺に殺されようとしているのに、余裕ですね」

「キミにボクは殺せないよ」

「殺します。殺せます。何もかも上手くいかなくて、本当に“人”の俺は、イライラしてたんですよね。何で俺、こんなことしてるんだろうって。むしゃくしゃして、考えてる内に思い出したんです」


 昴は言う。

 何故、理系の大学を選んだのか。

 昔から自分は人と違っていたことも。


「動物の体内が、人間の体内が、どんな風になっているのか。そういえば俺、興味があったんだって。理系の成績の方が悪くなかったから、大学も理系で決めて。そのまま病院に研修医として入って。次はどうしようかって考えてる内に、どうやったら人を綺麗に殺せるか、なんて考えだしてしまいました。だから研修にも身が入らなくなって追い出されて……紫月さんの家の前で滑って転んだ。紫月さんが今俺にはっきりと“鬼”だと言うまでは、今までのことが自分の妄想か夢の中の出来事だとも思っていたのに」

「良い方向に向いていたなら、キミは順調に病院にちゃんと就職して、経験を積んで、いつかは腕の良い医者か。はたまた解剖士を目指すことも出来ただろうに。だけど、キミは罪を重ねすぎた。“鬼”のせいだけではないよ。キミは漠然と判っていながら全て現実だと認識し受け入れようとしなかった。“鬼”に負けた、弱いキミ自身のせいさ」

「“人”なんて、皆弱いんです。イライラしたら、俺みたいに“鬼”になって人を殺す人なんていくらでもいるんですから。紫月さん。おしゃべりはここまでにしましょう。丸腰で、女のあなたを殺すのは簡単ですよ。いくら“鬼喰”といえども、“鬼”の俺に勝てるはずがない」


 昴は刀となった己の腕を振り上げて紫月に向かって走る。

 その腕はすぐに紫月を切り裂く―――と思っていた。

 だが紫月は軽い身のこなしで、刀と化した腕をめちゃくちゃに振り回す昴の白刃を避ける。


「おやおや。庭の木々を切り落とすのだけはやめて欲しいな。せっかく煉が心を込めて整えてくれているんだ。あと、家の壁も勘弁して欲しいなぁ。補修、面倒なんだから。ボクが怒られちゃうじゃないか」

「じゃあ逃げないでくださいよ。どんどん紫月さんの家、壊れてしまいますよ? それに、逃げたら斬った時に綺麗に血が噴き出さないじゃないですか」

「それは困ったねぇ。十分、長生きはしているけれど死にたくはないもんでね」


 その間にも紫月は壁際に追い詰められる。


「“鬼喰”も“人”と同じなんでしょうかね? もし、同じなのだったら……白壁と白雪に散る紅は、とても綺麗でしょうね。蝶の標本のように、美しく飾ってあげます」


 ピタリと紫月の首筋に刃を当てる。

 一方の紫月は余裕の笑みを崩さない。


「さぁ、これで終わりです。紫月さん」


 昴の腕が振り上げられる。

 ようやく、これで―――と、昴は嗤った。

 もうすぐだ。

 この一振りで、綺麗な彼女を自分の手で最も綺麗に殺す。

 そんな状況であっても紫月は焦らない。

 紫月は慌てずゆったりとした動作で右の掌を上に、息を吹きかけた。

 瞬間、彼女の手のひらから幾匹もの黒い蝶が、昴の顔を目掛けて吹き出した。


「なっ!?」


 視界を遮られて腕を振り下ろす前に昴はよろめきながら退いた。

 ようやく黒い蝶が離れたと思えばすぐ目の前にいたのは紫月である。

 形の良い唇を、三日月に形作り、綺麗な笑みを浮かべているように見えた。

 あれは、あの表情は―――そう、初めて紫月と出会った時と、同じ全て見通していると言わんばかりの笑みだ。


「やっぱり、最初から―――……」


 気付いていたのだ。

 そもそも昴があの場所でこけたのだってワザとだ。

 “鬼”が紫月のことを教えてくれた。

 そして“人ならざるモノ”を斬ってみないか、と。

 だから、賭けた。

 病院から追い出されて、この家の前で滑って転んで、“人ならざるモノ”である紫月が出てくれば、この手に掛けよう。

 もしも出てこなければ、“鬼”を治めて“人”として全うに生きていこうと。

 けれど、きっと彼女は―――出て来る。

 そちらに賭けようと。

 昴は、賭けに勝ったと思っていた。

 罪を重ねながら何くわぬ顔で彼女の家に出入りし、介抱してもらったお礼といって何度も訪ねて酒を温めてやったり、連続殺人事件に対して“人”として怒ってみたりしながら “鬼”として紫月をどうすれば美しく殺せるかと考え、予行練習と試行錯誤をしながら機会を伺っていた。

 だが、いつも何を考えているかよくわからない紫月の掌の上で結局、踊らされていたのだ。


「失われた命はもう戻らない。“人”として、キミは生きている限り罪を償いやり直さないといけない。でも“鬼”はボクが喰らってあげるよ。それが“鬼喰”だから」


 瞬間、不意に体全身から力が抜けた。

 自身の体を支えきれず、膝から崩折れる。

 何人もの人の命を奪った刀が砕け散り、元の腕に戻っていくにつれて意識が遠ざかっていく。

 その中で確かに、聞こえた。

 高すぎず、低すぎない。

 鬼喰の紫月の声が。


「ごちそうさま」


 と。

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