第29話・解毒薬
王都中から悲鳴や呻き声が聞こえてくる。それから毒の匂いが常に漂っている。
ここまで酷い状況に立ち会ったことも早々ない。ヘルバは解毒魔法を使いながら溜め息をつきそうになっていた。
神水こと毒が混ざった水を飲まなかった者もいたが、大半の住民は鐘が鳴ったと同時に毒を飲んでしまったらしい。
医師や薬師も総動員で中毒者の手当てに追われている。
兵士も出動している。家族や友人が中毒となった人々が、錬金術師たちに暴行を加えようとしたためだ。彼らが神水だと謳いながら配った水を飲んだ途端、体調が急変した。当然、敵意の対象となるのも無理はない。
恐らく錬金術師たちは犯人ではない。ヘルバはそう予想していた。
人を苦しめたり殺めようとする心、ようするに強い悪意や殺意などの負の感情。それらを匂いとして嗅ぎ取る能力をヘルバは持っている。紙で顔を隠したあの集団からはそういった匂いがしない。
尤も、過失で混入をやらかした可能性もあるので、匂いのことは黙っておくことにした。そこの辺りは人間同士で解明してもらいたい。
(しっかし、減らんなぁ~~~~!!)
ヘルバにとって毒がどのように仕込まれたかはどうでもよかった。今は目の前で苦しんでいる人々を助けることが先決である。
ただ中毒者が減らない。魔力の残量はまだまだあるので魔法が使えなくなる問題は全くないのだが、あまりにも人数が多すぎる。
当初は医師や薬師たちの下にも集まっていたようなのだが、今はヘルバ一択になっていた。
子供や老人など、症状が重い者を優先して解毒したいヘルバにとっては厄介だった。わりと軽症な若者や偉そうな輩が列を割り込んで、治療を求めるのだ。ヘルバの意を汲み取った人々が奴らを除けてくれるのだが、もっとスムーズにやりたい。
だが『癒しの聖女』へ殺到する原因は、ヘルバが思う以上に深刻だった。
「駄目だ、これも効かないのか……!?」
「せ、先生、先程運ばれて来た患者ですが、意識の混濁が見られます!」
「くそ……っ、聖女様の下に連れて行くんだ! うちでは毒を消すことが出来ない!!」
ヘルバは毒の種類、症状に関係なく魔法で瞬時に消し去ることが出来るものの、医師たちはそうもいかない。何の毒であるかを特定するところから始まる。
ところが、誰一人として毒の正体を掴めずにいるのだ。
聖女任せにするしかない医師。効かない解毒薬を呑ませるだけの薬師。街の人々は彼らに対しても怒りの矛先を向けた。
「金返せクソ薬師どもめ!」
「あんたたちの薬飲ませたら余計苦しみ始めたじゃない! うちの家族を殺すつもり!?」
「も、もう暫くすれば症状が治まるはずだ。だからもう少し時間を……」
聞き覚えのある声にヘルバがちらりと視線を向ければ、例の薬師たちが都民に責め立てられていた。どうやら「絶対に効く!」と宣言し、解毒薬を売っていたのだが無効果。むしろ悪化した中毒者まで出てきたらしい。
しかも高額だったようで、藁にも縋る思いで買った人々の怒りは凄まじいことになっている。
そして顔面蒼白だった薬師たちは、やがて苛立った様子で反論を始めた。
「い、いい加減にしたまえ! 我々だって何も分からない状態なのだ!」
「そうだ! それでも僅かな可能性を賭けて薬を提供しているというのに!」
「余計に苦しみ始めた!? 我々の薬のせいだと言いたいのかね!?」
もう駄目だ、あいつら。自分がどうにかするしかないとヘルバが諦めの境地に至った時である。
白衣姿の者たちを引き連れ、金髪の美青年がこちらに向かってくるのが見えた。
ヘルバの上司的存在の登場である。
「あ、アーヴィンさん。おーい、こっちですー」
「……魔法で毒を消す聖女がいると聞いたが、やはり君だったか」
アーヴィンはぎこちなく笑ったあと、真顔に戻って狼狽える人々に向かって声高らかに叫んだ。
「あなた方を蝕む毒は成人であれば、六時間ほどで無毒化する! だが、子供や老人など体力のない者は直ちに処置を受ける必要がある!!」
その言葉にどよめきが起こる。アーヴィンが毒の正体を特定したような口振りだったからだ。
ヘルバは感心したような口調で訊ねた。
「アーヴィンさん、何の毒かよく分かりましたねぇ」
「水の魔石に僅かな量だが、毒液の魔石が融合していると分かった」
「え、そんなことが出来るんですか」
「魔石同士の融合など、錬金術がある程度使えれば容易に出来る。……しかし、とんでもないことを仕出かしてくれたものだ」
アーヴィンは顔を歪め、そう吐き捨てた。
それを聞いてアーヴィンを敵視していた薬師の一人が懐疑の声を上げた。
「毒液の魔石ぃ? どうしてそんなものが……」
「……無駄話はここで終わりだ。中毒者に解毒薬を飲ませていく。六時間も苦しませたくはないからな。しかし重症者は、薬の効果が現れるのを待っていられない」
「おっ、そこで私の出番ですね」
親指を立てるヘルバに、アーヴィンが菫色の双眸を見開く。
「……薬師が聖女を頼るなど、情けない話だ。だが君がいるかいないかで事態が大きく変わる」
「まあまあ。何か大変なことになっちゃったけど、お互い頑張りましょうね」
普段と変わらない様子のヘルバに、アーヴィンがどこか安堵したように笑みを浮かべた。すると、薬師たちが騒ぎ始める。
「ど、毒の特定が出来たなど嘘に決まっております! この短時間で解毒薬まで用意出来るはずが……」
「解毒薬なら地下に備蓄があったからな。足りない分もギルドで精製中だ。それに症状が重い者については、この聖女が対応する」
「だが、その薬が効く保証は……」
「効く。そうでなければ俺は今こうしてここにいない」
薬師たちの顔色が変わる。
「……ま、まさかご自分で毒の水を飲み、実験したのですか?」
「ああ。念のために俺を使って試してみた。それがどうした?」
嫌味ではなく、純粋な問いかけだったのだろう。アーヴィンが不思議そうな表情で問い返す。周囲の人々が、顔を引き攣らせているのには気付いていない様子だった。
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