不浄の刀が紡ぐのは夢

みーなつむたり

第1話


 文化3年。

 

 夜の闇に溶けるように、この身が朽ちることを夢見て、若者は橋の欄干に足をかける。


「……っ」


 しかし途端に後ろへと強く引っ張られ、若者は橋の上に転がるように戻された。


「………」


 橋の真ん中で座ったまま動かない若者は、俯くばかりで抗議の声を上げることもしない。


 ただ、そんな若者の項垂れる総髪を強く小突く者がある。


「ちょいとお前さん!アタシの見えるところで死ぬのはお止めよ!夢見が悪いだろ!」


 優しさの欠片もない、怒鳴るような女の声に、若者はゆるゆると顔をあげた。


「………ぇ、」


 そこにいたのは丸髷を結った、妙齢を過ぎとうのたつ女。

 月明かりしかない暗がりの中に、醜い姿で仁王立ちしている。


 若者は、その女の身形に驚き目を丸めた。


 女の丸髷は酷く乱れていた。更に女は恥じらいもなく着物の裾を捲し上げ、白い足を膝の辺りまで露にしていた。


「……っ!」


 あまりの女の無恥な姿に、若者は闇夜の中でもわかるほどに顔を赤らめる。

 その様に気がつき、女は快闊に笑った。


「はははっ、なんだいお前さん、アタシを恥知らずだと思ったのかい?まあ、そうだろうさ。でもね、お前さんよりも、うんと恥知らずのこんなアタシでもさ、こうしてのうのうと生きているんだよ。だからさ、もう少しお前さんも励んでごらんよ。」


 女は乱れた姿からは想像できないほどの凛とした声で言い放った。


「………」


 言葉に詰まる若者は、そんな女から目を離せないでいた。

 決して美しいとは言いがたいその女は、白刃にも似た鋭い光をその眼に宿していたのが印象的だった。


 しかし刹那、

 

「いたぞ!こっちだ!」


 町の方から提灯の灯りがちらほら現れて、岡っ引きらしき影が目視できるだけでも数名蠢いた。


「……ちっ」


 女はそれを見て小さく舌打ち、そのあられもない姿のまま町とは反対の方向へと駆け出した。


「ま、待てっ」


 若者は慌てて立ち上がり、走り去る女を追う。


「ちょっ、何するのさ!」


 あっという間に女に追いついた若者は、拒む女の白い手を無理矢理掴むと、身を屈め、いっそう加速した。


 女は若者に引っ張られるようにただ暗い夜の道を駆けていく。


 二人の先には鬱蒼とした山道が続く。

 若者はその道を避け、獣道へと分け入っていった。



     ※ ※ ※


 九一くいちが10才になるかならないかのその夜は、酷く冷たい雪が降っていた。


 日照りの続いた夏の影響で、どこの村も飢饉が続く。野に生えた草さえも食べつくし、誰の目も落ち窪んで生気がない。




「う、うちも食料なんかないぞ!…うわあ!」


 ひきつった父の声で目が覚めた。


「おとう!」


 震える母に抱かれた九一が母の肩越しに見たのは、血飛沫を上げて脆く崩れる父の背中。


「きゃああ!」

「おかあ!」

 

 自分を庇う母もあっという間に斬り捨てられて、九一は泣きながら倒れた母にすがりつく。


「人の死体は高く売れるんだ。悪く思うなよ。」


 濁った声でそう言った真っ黒い影は、狂気に満ちた目を血走らせて笑う。その全身は父と母の返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。


「うわあああああ!」


 匂いたつ鉄の臭気に、九一は心を失った。




 

 目を開けると、見知らぬ老爺が九一の目線に合わせるようにしゃがんで、皺だらけの瞼を細めて睨んでいた。


「お前が、こいつを殺ったのか?」

「お、おとう、…お、おかあ、」


 泣きじゃくる九一の肩に、老爺はその枯れ木のような手をのせ、力を込める。


「お前がこの賊を斬ったのかっ」


 そして老爺は、節の太くなった指を遠く指差した。


 その先には、首を失くした胴体だけの骸が黒ずんで転がっている。


 それは父のものではない。母のものでもない。


「あの賊の首を、あんなにきれいに斬ったのかっ!お前が!そのなまくらの鉈で!」


 九一は、手にしていた鉈を放り投げ、血に染まった小さな両手で顔を覆い、ただただ首を横に振るしか術がなかった。




 柔らかくもない、固いだけの皺だらけの手に引かれ、九一は泣きながら村を捨てた。


 連れてこられたのは、山田浅右衛門家。

 山田浅右衛門家は代々腰物奉行の配下のもと、御様御用おためしごようという刀剣の試し斬り役を務めている。

 諸侯より献上された刀剣や、諸侯に下賜する刀剣の切れ味を試すために、彼ら山田浅右衛門家は死体を拝領する代わりに、罪人の斬首をもその仕事の内としていたのだ。


「当主、連れて参りました。」

「ふむ。文は読んだが誠なのか。この童子が、」

「ええ、私がこの目でしかと確認致しました。あれは正しく鬼の所業。」


 当主と呼ばれた大男は、大股で九一の傍まで歩み寄ると、九一の顎を掴み、無理矢理上向かせる。

 九一はただ怯えて瞳を震わせた。


「この眼の奥に鬼を宿すか。…面白い。うちで引き取ろう。」


 そして大男は懐から小汚ない麻袋を取り出し、じゃらりと音を立てながら、老爺の皺だらけの手の平に乗せる。



 この日から、九一は名を改めて吉雅となった。




 



 

 

 


 




 

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