第13話 旅立ちの時
ここに来てからずっと気を失っていた茉莉香がいつの間にか目を開けていた。だが未だに我妻の腕に囚われたままでありその顔は苦痛に歪んではいたが、それでも彼女は気丈に微笑んでいた。
「お願い、邪神なんかを受け入れたりしないで。天馬は天馬のままでいてよ」
「……!!」
「私なら大丈夫だから。天馬が必ず助けに来てくれるって信じてるから。だから……お願い。今はもうやめて」
「……お、俺は……」
茉莉香の静かな懇願を受けて、天馬の身体から力が抜ける。そして全ての力を使い果たしたように、がっくりとその場に膝を折る。
「何だ、もう少しで
我妻がつまらなそうに鼻を鳴らして、天馬にとどめを刺すべく刀を向ける。その刀身から再び雷光が迸る。今の天馬にそれを避ける術はない。だが……
「もうやめて。私なら大人しく付いていくから、これ以上天馬達に酷い事しないで」
「ああ? 何で俺がお前の言う事を聞かなきゃならねぇんだ? こいつらには予定外の手間掛けさせられたんだ。その落とし前は付けさせてもらうぜ」
茉莉香の懇願にも我妻は聞く耳持たず天馬達にとどめを刺そうとする。茉莉香は我妻の顔を仰ぎ見た。
「ここで天馬達を殺したら私も舌を噛んで死ぬわ」
「……!」
「私が死んだら困るでしょう? あなたの
「……ちっ」
我妻が忌々しげに舌打ちして雷光を収めた。そして茉莉香の髪を鷲掴みにして引っ張り上げる。
「あうっ!」
「女の分際でナマ言ってくれんじゃねぇか! 『王』がお前を所望してなかったら、この場でブチ犯してやった所だがよ!」
苦痛に歪む茉莉香の顔を憎々しげに睨みつけてから、ようやく髪から手を離す。
「け……まあいい。お前を無事に連れて帰りゃ、報酬に
我妻は鼻を鳴らすと懐から大きな石を取り出した。赤黒い禍々しい色に発光している不気味な石であった。
「んじゃ、帰りはこの便利な『転送石』で一路『王』の元まで直行だ。じゃあなー、負け犬共」
傷つき倒れている天馬達を嘲笑った我妻は、持っていた『転送石』を思い切り地面に叩きつけた。すると割れた石から赤い光が迸って、我妻と茉莉香を包み込んでいく。
「ま、茉莉香……」
天馬は彼女に向かって手を伸ばすが、それが限界であった。ダメージが大きすぎて身体が動かない。赤い光に包まれていく茉莉香は、天馬の方に視線を向けて寂しげに、しかし気丈に微笑んだ。
「天馬……きっとまた会えるわ。私、信じてるから」
「……っ!」
「じゃあ……しばらくお別れだね、天馬。身体に気をつけて、ちゃんと毎日野菜を食べるのよ?」
その言葉を最後に……茉莉香の身体は完全に赤い光に包まれた。そして赤い光は強烈な閃光を発して、思わず眩しさに目を逸らした天馬が視線を戻した時には、茉莉花の姿は我妻と共に影も形もなくなっていた。
……行ってしまったのだ。
「う……おぉ……」
口から自然とうめき声が漏れる。守れなかった。彼女だけは必ず守ると誓ったのに、それを守る事が出来なかった。
「おぉぉぉ……」
彼は自分の両手を眺めた。この手が取りこぼしたものを想った。自分の無力さが恨めしかった。その目から涙がこぼれ落ちて地面に水滴を作る。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
破壊され尽くした境内に天馬の慟哭が、短くはない時間響き続けた……
*****
「今すぐ東京に向かう事は自殺行為だ。それではマリカの献身が無駄になってしまう」
その後、意識を取り戻したアリシアも全ての事情を察して、天馬の気持ちが落ち着くまで何も言わずに待ってくれた。そして竜伯と戎連の遺体を埋葬した後、天馬に対してそう釘を差してきた。
「奴の言葉からしても東京にはもっと多くのウォーデンがいるのは間違いない。『王』とやらを含めて、あの男より強力なウォーデンも多数いる事だろう。今の我等は……それに立ち向かうには余りに力不足だ」
それは不本意ながら天馬も認めざるを得なかった。あの我妻みたいな奴が他にも多数いるとしたら、茉莉香を救出するどころか自分達が犬死するだけだ。そんな事は茉莉香も望んでいるはずがないし、アリシアの言うように我が身を犠牲に天馬達を助けてくれた彼女の献身を無駄にしてしまう事になる。
「だが……それならどうすりゃいいんだ? 茉莉香を連れ去られておきながら何も出来ずにコソコソ隠れてるしかないのかよ!?」
天馬は思わず激情から怒鳴るが、アリシアは静かにそれを受け流した。
「今の我等は、と言った。力不足であるならそれを補わねばならん」
「補う? どうやって? 修行でもしろってのか? 確かにそれで強くなれるんなら修行でも何でもしてやるがよ……」
天馬自身もディヤウスの力を完璧に使いこなせるように訓練する必要は勿論あるだろう。だがそれだけで奴等を相手に何とかなるとは正直思えない。天馬とてその現実を認められないほど狭量ではない。
だがアリシアはかぶりを振った。
「我等だけでは奴等に立ち向かえん。ならば……こちらも
「仲間……? そんな奴等、いるのか?」
「残念ながらこの
「……! 海外に行くって事か。だけど俺、英語さえ碌に喋れないぜ。そもそも金もパスポートも持ってねぇから飛行機にも乗れないぞ」
いくらディヤウスになったとは言え、社会的にはあくまでただの高校生なのだ。そして言葉が通じなければ意思の疎通すら困難だ。だがアリシアは解っているとばかりに頷いた。
「詳しい事は後ほど説明するが、それらの点に関しては心配しなくていい。今必要なのはお前の意志だ。どうだ? お前にマリカを助ける為に、世界中を飛び回って仲間を集めながらウォーデンやその背後にいる邪神共と戦う覚悟はあるか?」
「……それなら考えるまでもねぇよ。それであいつを助けられるなら世界中どころか他の星にだって行ってやるぜ」
天馬は躊躇うことなく答えた。即答したと言っても決して軽々しい気持ちではない。その言葉は彼の本心であった。アリシアは再び頷いた。
「うむ、よくぞ言った。ではこれより世界を巡る長い旅に出る事になるが、覚悟はいいな?」
「ああ、いつでもいいぜ」
肉親が亡くなり実家も失った。日常は奴等に破壊されて大切な幼馴染も今はいない。この地を、そしてこの国を離れる事に何の未練もなかった。
「それとつかぬ事を聞くが……お前はマリカと幼馴染だった訳だし、今も私と普通に話しているし、特に女性が苦手とかそういう事はないな?」
頷く天馬を見て、アリシアはしかし急に変な事を聞いてきた。
「? ああ、格別そういう事はないと思うけど……何だ、急に?」
「あのアヅマという男、そして何よりもお前自身の体験で身に染みただろうが、男のディヤウスは基本的にいつウォーデンに変貌するかも解らず潜在的な危険因子にしかならん。もしくはもう既に邪神に調略されてウォーデンになっている者が殆どであろう。そうなると我々がこれから探し出す
「……! 女のディヤウスって事か」
確かに天馬自身も感じたあの力への誘惑は、特別な理由や事情がない限りそうそう抗う事は出来ないだろう。彼の場合も茉莉香の存在がそれに歯止めを掛けてくれたに過ぎない。
そうなるとこれからウォーデンや邪神達と戦う戦力を集めるに当たって信用できるのは、ウォーデンになる事がない女性のディヤウスのみという事になる。
アリシアが天馬に女性が苦手ではないかと聞いたのは、つまり
「まあ……大丈夫、だと思う。多分……」
幼い頃から外面は非常に良かった茉莉香の
こうして天馬の、邪神の勢力と戦い茉莉香を救出する為の長い旅が始まった。彼等を待ち受けるのはどのような苦難か。そしてその苦難の先に彼等の味方となってくれる者は果たしているのか。その未知なる戦力を集めて、攫われた茉莉香を取り戻す事が出来るのか。
それはまだ誰にも解らない……
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