廃神社の管理人

ナツメ

 

「そもそもはお袋から聞いた話なんです」

 Aさんはそう言って語り出した。

 

 Aさんが大学生の頃、夏の帰省で父方の祖父の家に親戚一同が集まった。その中にはAさんの従姉妹にあたる、高校生の女の子がいて、彼女は怪談の類いのものが大好物なのだという。

「それで、夏だし怪談話をやろうってことになったんです」

 Aさんもそういった話が嫌いではなかったので、聞き手として参加した。何番目かで、Aさんの母親が、「そういえば」と切り出した。

「Aがまだ小学生のころに、ひとつだけ変な話を聞いたことがあったな。ほらA、覚えてる? Cちゃん。あの子のお母さんから聞いたのよ」

 その名前はAさんの記憶の奥深くで埃をかぶっていた。たしかに、小学校低学年の頃、同じクラスにそんな名前の女の子がいた気がする。顔は思い出せないが、ぼんやりとした雰囲気はかろうじて思い出せるような、そんなかすかな記憶だ。むしろ、そのお母さんという人物の方が印象的だった。なんというか、親たちのリーダー格というような印象で、授業参観や運動会でも大人たちの中心にいた。ショートカットで、ハキハキした印象の人だったと記憶している。

「Aが二年生の時、私、PTAの委員だったでしょ。あの時の役員がCちゃんのお母さんだったのよ」

 その年、PTAで児童が立ち入っては危険な場所を洗い出して、マップを作成することになったのだそうだ。

 その候補の中に、廃神社があった。

 それは住宅街の中に突然出現する廃墟で、いつまで神社としてその役割を果たしていたのかもわからないが、今ではすっかり荒れ果てていた。

 マップに載せるのに、念のため権利者の許可を取ることになっていたが、神社の管理者が誰なのかわからない。もしかして管理人がいたり、いなくても連絡先がわかるかもしれないということで、Cちゃんのお母さんがその神社を訪ねることになった。

 

 神社は、細い石段を上った先にあった。石段の左右には木が茂り、昼間でも薄暗い。

 上り切ると、鳥居が現れるのだが、そこでCちゃんのお母さんはおや、と思った。

 鳥居に、白い縄のようなものが結んであるのだ。

 左右の柱をつなぐように、直径三センチほどだろうか? しっかりした太さの白い縄が、腰より低い高さで渡っている。

 鳥居の脇から回り込もうかと思ったが、両側から生い茂った枝葉が迫り、通れないことはないにしても葉っぱを掻き分けて進むのは抵抗がある。結局Cちゃんのお母さんは、一礼をして、その縄を跨いで中に入った。

 

 鳥居の正面には社がある。木造建築であるそれは、人の手が入らなくなったことで雨風にさらされるままになり、どこもかしこもボロボロだった。いつ壁が崩れたり床が抜けたりしてもおかしくなさそうで、かくれんぼなんかで子供が入り込みでもしたら、非常に危険な状態なのは明らかだった。

 社の右手にプレハブ小屋があった。こちらも古くなってはいるが、社ほどガタが来ているようには見えない。ここに管理人でもいれば良いが……Cちゃんのお母さんはあまり期待はせずに、そのプレハブの扉を叩いた。

「すみませーん」

 声をかけると、少しの間のあと、プレハブの中から足音がした。

 ガラリと引き戸が開き、出てきたのは六十歳くらいに見える、初老の男性だったという。

 男性はCちゃんのお母さんを見るなり、驚いたように目を見開いて、そして強い語気でこう言った。

「どこから来た? まさかあの綱を越えてきたのか?」

 その迫力に気圧されながら、はいそうですけど、と答えると、男性は舌打ちをして、「普通は入ってこられないはずなんだ」「あっちからは入ってきちゃいかん」「来るなら正しい道で来い」などと矢継ぎ早に言って、Cちゃんのお母さんを有無を言わさず社の裏側に連れて行く。

 そこには表よりさらに細い階段があって、そこから下れるようだった。

「あの、私〇〇小学校のPTAのものでして」

「そんなことはいいから帰れ、早く」

 結局、用件を伝えることもできず、追い出されてしまったのだそうだ。

 

 Aさんの母親がそう語り終えると、従姉妹の女の子は嬉しそうに聞いた。

「それで、そのCちゃんのお母さんには何かあったの? 金縛りにあったとか、おばけが出たとか!」

「それがね、何もなかったの」

 その答えに、一同は拍子抜けした。話の展開からして、何かのタブーを犯したCちゃんのお母さんが、呪いに遭ったという話だとばかり思っていたからだ。

 まあ、実話なんてこんなものか、とAさんが思っていると、「ただね」と母親が言葉を継ぐ。

「ちょっと奇妙なことはあって。結局その時危険マップの話ができなかったから、菓子折り持って改めたのよ。今度はちゃんと、教えてもらった裏側の道から行ったらしいんだけど、そしたらね、その管理人さん、いなかったんだって」

「廃神社なら毎日管理人がいるとは限らないだろ。たまたまいない日だっただけじゃないのか?」

「違うのよ。そもそも管理人なんて、いなかったらしいの」

 再び訪れたCちゃんのお母さんは、裏側の道に面したプレハブ小屋の窓に、こんな貼り紙を見つけたのだそうだ。

『△△神社に御用の方はこちらまでご連絡ください』

 その下には管理会社の名前と電話番号が書いてあった。

 前回はあの男性に急かされて、その貼り紙の存在にも気付いていなかった。

 Cちゃんのお母さんはその番号に電話して、危険マップの件は無事に了承を取れたそうだが、あの管理人について管理会社に尋ねてみると、あの神社に管理人は置いていない、と言われたらしい。

 

「それで、父の田舎から帰ってから、サークルの仲間とその神社に行ってみよう、ってことになったんです」

 サークルの飲み会でAさんが仕入れたてのこの話をしたところ、近所だし肝試ししよう、という話になった。

 危険な場所に行って呪われたという話でもないので、妙な曰くのある廃墟の雰囲気を楽しもう、くらいの気軽なノリだったという。

 思い立ったが吉日と、居酒屋を出たのが二十一時前。Aさんの地元は大学からそう離れていなかったため、二十一時半頃には神社に到着した。

 鳥居に繋がるという石段は、荒れ放題だった。左右の木々はその枝を方々に伸ばし、さながらアーチのようになっていて、明るかったはずの月も見えない。

 足元も、石の隙間から雑草がそこかしこに生えていて、一見すると階段ではなく、急な傾斜のように見えた。当然明かりもなく、Aさんたちはスマホのライトを頼りにそこをゆっくりと上っていった。

 やがて、鳥居が見えてくる。元は赤く塗ってあったのだろうが、塗料がすっかり剥げて、白とも灰とも言えないような、奇妙な色になっていた。

「おい、これじゃねえか?」

 仲間のひとりがライトを足元に向ける。

 ――白い縄。

 そこには、話にあった白い縄が、確かに結ばれていた。

 綱引きで使うようなしっかりとした太い縄が、鳥居の左右の柱に結んである。

 だからといって何が起きたわけでもないが、ただの怪談話だったものが実際に目の前に現れて、Aさんは不気味さを感じ、固唾を呑んだ。他のメンバーも少なからず何かを感じていたようだった。

 この縄を跨いで中に入るか、それとも茫々と生い茂る枝を掻い潜って、鳥居の外側から回り込むか。Aさんたちが逡巡していると、サークルいちのお調子者であるBさんが、「よっと」と言いながら白い縄を飛び越えてしまった。

「あ、バカお前!」

「なんで? Aの話だと別に何もなかったんだろ? なになに、お前らビビってんの?」

 Bさんに嘲笑うように言われ、結局Aさんや他のメンバーもBさんに続いて縄を跨いだ。

 境内は石段部分よりは開けていて、月明かりが廃墟となった神社を照らしてた。

 屋根が剥がれ落ち、外壁の一部も倒壊して中が丸見えになっている社は、青白い光を受け一層恐ろしげな雰囲気を醸し出している。

 Aさんたちはそろりそろりと社に近付いた。中を照らすと、何か書きつけられた紙のようなものや、木の札みたいなものが散乱していて、めいめいそれを拾ってみたり、御神体がないか奥を照らしてみたりと、恐怖とわくわく感を楽しんだ。

 五分か十分ほどそうしていただろうか、気付くとBさんがいなかった。

 Bはどうした、とAさんが口にしようとした時、

「ごめんくださァい」

 と、Bさんの間延びした声が響いたという。

 皆が声の方に視線を向けると、Bさんは、例のプレハブ小屋の前に立っていた。

 Aさんの母親の話では、当時はプレハブの方はそんなに傷んでいなかったということだったが、十五年近く経った今では、窓は埃で覆われ、壁もすっかり汚れて、こちらも廃墟同然となっている。

 Bさんは例の話になぞらえて、冗談半分でそのプレハブの扉をノックしてみせたのだった。

 ツッコんで欲しそうにこちらを見て笑うBさんだったが、その顔がぴたり、と固まった。

 直後、

 

「はーい」

 

 という声がした。

 

 それは、初老の男性ではなく、女性の声だったという。

 

 AさんらがBさんの元に駆け寄ったと同時に、プレハブの扉がガラリと開いた。

 そこにいたのは、四十代半ばくらいの、ごく普通の中年の女性だった。

「あら。あなたたち、どこから来たの?」

 ハキハキと、見た目より若々しい声で女性が言う。

 Aさんたちが口ごもっていると、女性は返事を待たずに同じトーンで

「あの綱を越えてきたんじゃないでしょうね?」

 と言う。

 ――あの話と同じだ。

「鳥居の方から、縄を越えてきました! すみません!」

 女性の登場に驚いていたが、やがて調子を取り戻したBさんがおどけてそう答える。

 すると女性は怒るでもなく、困った子たちね、と言わんばかりに眉を下げた。

「あの、ここの管理をされている方ですか?」

「普通は入ってこられないはずなんだけどねえ」

 Aさんの質問を無視して女性は話す。

「あっちからは入ってきちゃダメなのよ。来るなら正しい道で来ないと」

 それは、あの話の初老の男性と、言葉尻は違えど全く同じ台詞だった。

 女性はプレハブから出て、Bさんの背中を押す。Bさんはなぜか押されるがままに歩き出したので、Aさんたちもその後に続く形になった。

 連れて行かれた先は社の裏で、そこに細い下り階段があった。

「早く帰りなさいね」

 女性はそう言うと、くるりと踵を返して、プレハブに戻っていったという。

 

 ――その後、何かあったのですか、という私の問いに、Aさんはゆるゆると首を横に振った。

「何もないです。僕も、Bも、他の連中も」

 そこまで、元の話と同じらしい。

「でもね、二つ、気になることがあるんです」

 Aさんは言う。

「ひとつは、鳥居の縄、あれ、どうも新しく見えたんですよ。鳥居も社も、全部雨風にさらされて色褪せてたのに、縄は、あれはどう見ても白かったんです。普通、白い縄は汚れますよね? 擦り切れた様子もなくて、長く見積もってもここ五年以内のものって感じでした」

 管理会社が結び直しているのかもしれないですけど、だったら他にもっと優先すべきことありますよね? 立ち入り禁止にしても、もっとわかりやすく札を立てるとかできますし――Aさんの言うことはもっともだ。

「もうひとつは……プレハブにいた女性なんですけど、どこかで見たことあるような気がして……あとから気付いたんですけど、あれ、Cちゃんのお母さんじゃないか、って。もちろん僕も子供の時に数回会ったきりですから、確信はないですけど、あのハキハキした声の感じとか、似てる気がするんです」

 Aさんは自分の母親に、Cちゃんのお母さんと交友関係があるか尋ねたが、Aさんが小学校を卒業して以来全く連絡をしていないという。Aさん自身も、Cちゃんとはほとんど親交がなかったため連絡の取りようがないらしい。

「でも、逆に確認できなくて良かったかなと思ってて。だって、確認して、もし失踪でもしていたら、怖いじゃないですか」

 それが確認できない限り、これは怖いことは何も起きていない、少し奇妙なだけの話なんですよ。

 Aさんはそう話してくれた。

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廃神社の管理人 ナツメ @frogfrogfrosch

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