第20話 猫耳のカチューシャ

 翌日、僕は神宮司部長のところへ昨日の礼をしに行った。


 出迎えてくれたのは、女子の上級生。


「あら? えっとー……」

 

 彼女は、僕の顔をまじまじと見た後、

 

「あーあなたね! 神宮司さんの後輩君よね!?」


 えっ? 何? その微妙な認知度。

 

 部長に関して、いろいろな噂は耳にしている。木村以外の何人かと一緒にいる姿が目撃されているとも。僕は、その中の一人っていうわけだろう。

 こういうとき、女子はやっかみそうだけど、そういった話は聞かない。あまりにも差が開きすぎている相手には、嫉妬すらできないのかもしれない。

 

「神宮司さぁ〜ん。後輩君よぉ〜」


 彼女が名を呼ぶと、間もなく部長が現れた。部長は、ほかの生徒とは明らかに異質の光を放ち、周りの女子たちが影のように見える。 


「お礼なんて。私から押し掛けたのだから……まぁ、強いて言うなら、部活をきちんと頑張ってほしいわね」


 「わかりました」と言って、僕はその場を立ち去った。

  

 それからフランにも礼を言う。


「どういたしまして」


 受話器の向こうでフランの声が明るく響く。


「お礼がしたいけど」


「本当ですか? うーん。それなら……」


「なに?」


「ママンのプレゼントを作るのを手伝って欲しいんです。もうすぐ誕生日なんです」


「いいよ。何を作るの?」


「あの……それも相談したくて……」


「お母さんの誕生日はいつ?」


「来週の月曜日です」


「そっか。一週間あるのか。じゃあ、花のモチーフを編んで、それをネックレスにしたらどうかな? 太い糸で編めばいいんだ。チェーンのつなぎ方とかは教えるよ」 


「ありがとうございます! あと……」


「なに?」


「一緒にお買い物に行っていただきたいんです。ママンに内緒で行きたいけど、フランは一人では遠出できないんです」


 “遠出”というほどでもない。

 でも、中学生になったばかりでは微妙なところだ。

 しかもフランは目立つ存在なのだ。


「いいよ」


 こうして僕とフランは、材料探しの買い物に出かけることにした。


 待ち合わせ場所は、フランの家の最寄り駅にした。

 僕らの家は電車で三つほどの距離だ。日菜もだけど、あの学校の生徒は近隣の地域に住む少女たちが多い。


「お兄様。ここまで来ていていただいてありがとうございました」


 フランが丁寧に頭を下げる。

 フランは、ひらひらとしたフリルとレースが襟や袖についた白いブラウスを着て、裾にレースのふち飾りのあるスカートを履いていた。


 勿忘草の青い瞳。濃く長い睫毛。きれいに巻いたはちみつのような金色のハーフアップの髪に二つの青いリボンが揺れていた。


 本当にフランス人形みたいだな。

 何度見てもそう思う。

 

 僕らは電車に乗り、目的地へ向かった。


 電車の中で、


「お兄様。上手くいくかしら? ママンは喜んでくれるかしら?」


「フランは十分上手だし、それにプレゼントを作ろうとすること自体が大切なんだよ」


「本当!?」


 フランの顔がぱっと明るくなった。


 僕は前々から気になっていたことを聞いてみた。


「フランは何月生まれ?」


「えっ?」


 勿忘草の瞳が、なんでそんなことを聞くのだろうかというように見開かれた。


 それでも、


「二月です」


 と答えてくれた。


「そっかー」


「どうかしたんですか?」


 フランが不思議そうに僕を見た。


「いや、日菜と誕生日が近いと思って」


 やっぱりフランも早生まれだった。

 どこか幼い二人。心も体も。

 フランが気がかりなわけが、わかったような気がする。

 日菜と重ね合わせていたんだ。


「いつも日菜ちゃんのこと気にかけているんですね」


「うん? 妹だからね」


「でも、友だちのお兄様は、そんなに優しくないです」


「そうかな……」


 神宮司部長も同じようなことを言っていた。

 僕の日菜に対する気遣いは、こんな子どもにもわかるのだろうか。


 車内アナウンスが目的地の到着を告げ、僕らはショッピングビルにある手芸店へ向かった。


「わあ! 材料がたくさん!」


 ビーズに糸に針に、布、色とりどりの手芸道具の中で、呆然としたフランの視線が、あちこちに飛んでいく。


「ほら! ぼっとしてないで! 行くよ!」


 僕らはレース糸のコーナーへ行った。

 

 ネックレスのデザインは、花と四葉のクローバーのモチーフを組み合わせたもので、夏のブラウスに合わせて紺色にする。

 紺色の糸と、60センチのチェーンを買った。

 買い物はあっという間に終わったが、その後も糸や道具を見て歩いた。


「初めて手芸店に来たんです! 楽しかった!」


「それはよかった」


 こんなに喜んでくれるなんて、連れて来たよかったと思うよ。


 ふと、思いがけないものが目に入る。

 こんな物がここにあるなんて。コスプレにでも使うのだろうか?

 思わず手に取ってみると、妙な好奇心がむくむくと沸き起こった。


「ねぇ。フラン。これ着けてみて」


「えっ?」


 フランはきょとんとしていたけど、


「わかりました!」


 手に取って、鏡を見ながらそれを身に着けると、くるりと振り返って、


「どうですか?」


 花のような笑顔を僕に向けた。


 ―― ズキュン!!


 心臓を打ち抜く音がする。


 か、かわいい!!

 かわいいじゃないか!

 

 僕は、さぞかしだらしない顔していたに違いない。それを見たフランが嬉しそうに言った。


「お兄様、がお好きだったんですね? 早くおっしゃってくださればよかったのに……」


 フランは、今、猫耳のカチューシャを着けている。


 ふわり。

 ふわり。


 金色の髪をゆすると、青いリボンが猫耳の周りで揺れた


 その可愛さは。まさに天使。いや、むしろ悪魔的。小悪魔だ!

 拗ねて甘えて、僕を惑わす碧眼のブルーポイント長毛種・ペルシアン


 ゆらり。

 ゆらり。


 揺れる金色のしっぽが見えるようだ。


「似合っているんですね!? フラン、これ買います!」


 いい! いい! 絶対にいい!! 何なら僕が買ってやりたいくらいだ!


 ーーその時、


 “坂下君って【こういうの】が好きだったのね”


 冷たい声が耳鳴りのように、僕の頭の中で響いた。

 部長の声。あの人にこんなことが知られたら……。

  

 ーーツーっと冷たいものが僕の背筋を走った。


「いや! いいよ! 買わなくていいから!!!  僕は全然興味ないからね!! 【こういうの】なんて!!」

 

「え〜〜でもぉ〜〜」


 フランが未練たらたらに、猫耳のカチューシャを見つめている。


「わかりました」


 名残惜しそうにフランが言い、僕はほっと安堵した。


 ……が!


「すみませぇ~~ん! この人と並んだ写真を撮ってくださぁ~~い!」


 突如、フランが親切そうな店員に声をかけた。


「こ、こら! フラン!」


 僕はぎょっとした。カチューシャを買うよりもタチが悪いじゃないか!


「だって、せっかくの記念ですもの。一緒に撮りましょう。お兄様!」


 フランは譲らない。


 笑顔の店員が携帯を手に、写りが良くなるようにアドバイスをしてくれている。

 もう断われない。

 猫耳のフランが笑みを浮かべてポーズをとると、シャッターの音が店内に小さく響いた。

 


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