第18話 子猫の椅子取りゲーム

「は、はーい!」


 僕はインターフォンに飛びついた。


「お兄様〜。フランで〜す」


 フラン! 

 よくやったフラン!

 今日ほど君の存在がありがたいと思ったことはないよ!


「誰よ! 大事な話をしているのに!」


 部長が声を荒げている。

 僕はこれ幸いと、玄関に転がるように走っていき、ドアを開けた。


「日菜ちゃんからお兄様が一人だって聞いて、お弁当を持って来たんです。あら? お兄様すごくうれしそう。一人で寂しかったんですか?」


「あ……ああ。ちょっと待ってフラン。お客様はもう一人いるから」

 

 玄関にフランを待たせていることを部長に告げた。

 部長がフランに当たり散らすことを恐れたけど、この際、この状況を変えてくれるならば誰でもいい!


「フランちゃんなのね! あーもう!」


 部長が懸命に平常心を取り戻そうとしている。

 フランの前では、優しいお姉さまでいたいらしい。

 平常心を取り戻す呪文を知っていたら、教えてあげたいくらいだよ。


「フラン。入っておいで!」


 僕は、インターフォン越しにフランを呼ぶと、すぐに食堂の入口までやって来た。


「お姉様! お姉さまもいらしてたんですね! お兄様とお姉様とご一緒にお食事なんて嬉しいです!」


 何がそんなに楽しいっていうのか? 軽やかな足取りでフランが食堂に入ってきた。跳ね躍るように部屋を横切り、こちらへ向かってくる。


 ―― pas(パ・) de(ドゥ・) chat(シャ)

 猫のステップって意味だ。そんな言葉を思い出す。

 蘇るのは、パリのアパートで耳にしたピアノの練習曲。

 

 ――そして、


「お兄様の隣!」


 子猫は椅子取りゲームの勝者のように、高らかに宣言すると、ちょこんと僕の隣に座った。

 あっという間の出来事だった。


「フ、フラン?」


「はい?」


 フランは、気にする素振りも見せず、無垢な笑顔を僕らに向けた。

 フランを見つめる部長。食卓に漂う緊張感。

 抑えた苛立ちが再燃することを恐れて、恐る恐る部長を見るが、平常心は保たれているようだ。


「お行儀悪くてよ。フランちゃん」

 

 子猫を叱る母猫のようにフランをたしなめる。


「はい」


 悪戯をコンプリートした子猫が満ち足りた笑顔を母猫に向けた。


 気を取り直し部長が、


「こんなに夜遅くに大丈夫なの?」


 と、後輩を案ずる言葉をかけた。


「はい。パパが車で送ってくれました。20分たったら、また迎えに来てくれます。今日はお弁当を持ってきただけなんです」


 フランはピクニック用のお弁当箱におかずを入れてきた。

 唐揚げ、卵焼き、たこさんウィンナー、ブロッコリー、プチトマト。


「お姉さまのお弁当は豪華ですね! フランちょっと恥ずかしくなってきました」


 フランはお重を見ながら、少し悲しそうに言った。


「そんなことないさ」


 僕は卵焼きを口に放り込む。


「うーん。甘くてふっくらとして美味しいな。フランは料理上手だ」


 僕が言うと、


「本当ですか? 嬉しい!」


「じゃあ私も」


 部長が卵焼きを皿にとって、箸で切り分けながら食べた。


「あら……本当。お母さまに教わったの?」


「はい! ママンは日本人のパパの口に合うように、一生懸命お料理の勉強をしたんです」


「まぁ。フランちゃんのお母さまは素敵な女性ね」


「はい。だから私もお料理の勉強をしたいんです。今日もお兄様に喜んでいただけるように一生懸命作りました!」


 子猫のいじらしさは、清々しいほどだ。

 だが、それは時として危機感をはらむ。

 

「ママンは結婚をグラン・ママンに反対されました。でも、大好きなパパと結婚して、今は凄く幸せです。だから、フランも絶対ママンにみたいに一番好きな人と結婚します!」


 あまりの一途さに僕はたじたじとなり、部長の顔色が変わった。

 こ、怖いんですけど!


「フランちゃんは、お母さまからフランス料理も教えてもらえるわね。うらやましいわ」


 かろうじて笑顔を取り戻した部長が、フランに優しく語り掛ける。


「お姉さまこそ。お兄様が喜ぶお料理を作れて、フラン、尊敬します」


「じゃあ、こうしましょう。今度、二人で一緒にお料理を作りに来ましょう」


「そうしましょう!」


 部長の提案にフランが屈託なく即答する。

 二人だけの間で会話が交わされる。

 僕など存在しないかのように。


「これで決まりね。約束よ。いいわね。坂下君」


 二人の少女が、有無を言わせぬ視線を僕に突き付ける。


「あ……ちょっと待ってください……」


 なんで僕の家で? 巻き込まないでくれ!


 僕の困惑をよそに、フランが無邪気に笑っていた。

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