第15話 決戦は昼休みの体育館で
―― リリーン
電話が鳴る。
「慎ちゃん出てくれない? 今手が離せないの」
もう学校に行く時間なんだけどな。
僕は深呼吸をする。電話に出る前に、気持ちを落ち着けなくちゃいけない。
「もしもし」
受話器を取ると、
――あっ……
電話の向こうで息を呑む気配がする。
僕はわかってしまった。
声の主を。
「……慎ちゃんね。お久しぶり元気?」
沈黙の後、懐かしそうに語りかけてきたけど、精一杯声色を和らげようとしているのがわかった。
「はい。おかげさまで。母と代わりますね」
伯母さんだ。
父さんの会社の前の社長の奥さんだ。
伯母さんは母さんには気を遣っている。伯父さんの実の妹だから。僕の親族は結束が固いんだ。
父さんを目の上のこぶみたい思っているようだけど、一応敬意を払っている。日菜のことも可愛いがっている。
……でも僕は。
親族の集まりのことを考えるだけで、心に黒い
彼らは僕を腫物のように扱う。
父さんは伯父さんが亡くなった後、何人も役員を飛び越して社長に就任した。暫定的な継承者に過ぎないけれど、親族たちは心穏やかではない。それでも、父さんに頼らざるを得ないのが現状だ。
……でも、僕を尊重する理由は彼らにはない。
父さんのところに挨拶に来るついでに、
「学校はどうだい?」
そんな通り一遍の社交辞令を言って、早々に立ち去っていく。
そして僕の従兄とのところへ行くのだ。
学業優秀、中学時代にテニス部で主将を務め、明るく人を引き付けるオーラを持つ。ついでに眉目秀麗。
僕に対する冷淡さは、この従兄と伯母に対する遠慮もあるだろう。
「慎ちゃんありがとう」
やってきた母さんと僕は電話を変わった。
「お兄ちゃん。今朝の電話。伯母さん?」
「うん」
伯母さんは僕を警戒している。
そんな必要ないのに……。
僕に気をかける人間なんて、誰一人いないのだから。
第一、僕が自身に後を継ぐ気なんて全くないのだし。
「お兄ちゃん?」
日菜が僕を気遣っている。
「ああ。なんでもないよ。それより早く歩こう。電話で家を出るのが遅くなっちゃったからね」
僕は日菜に笑顔を向けると、足早に駅に向かった。
今日は昼食を、さっさとすませるんだ。
「早く食べないと!」
須藤が珍しく興奮している。
「そうだな」
僕らは早々に昼食をたいらげると、階段を駆け下り、校舎を出て、学校の敷地内にある別棟の体育館へ向かった。
更衣室で体操着に着替える。
「お! もう張ってあるぞ!」
張ってあるというのは、バドミントンのネットだ。
張ってくれたのは体育教師。
コートの一面を、昼休みには誰でも自由に使うことができる。
とは言っても、心得のあるメンバーが定着しているのが現状だ。
気の向いたときに、やって来て汗を流す。
時間は午後の授業の始まる十五分前まで。
僕らが着替えて授業へ戻ると、ネットはいつの間にか片付けられている。
誰の心遣いかは知らないけれど、ありがたいシステムだ。
受験勉強に明け暮れる僕らへの配慮かな? 少しは息抜きしろよって?
ちなみに、僕は中学時代バドミントン部に所属している。須藤も同じだ。
「よお!」
なんとなく声をかけ、挨拶を交わす。
ウォーミングアップを各自したあと、ペアを組んで基礎打ちが始まる。
クリア
ドロップ
ヘアピン
ドライブ
スマッシュ
フットワーク、シャトルをガットに当てるタイミング。ブランクがあるけれど、なんとか体が覚えている。
息が弾み、流れる汗が心地よい。
「大分温まってきたな」
誰かの声がする。
これからゲームが始まる。
じゃんけんで決めることもあるけど、大抵はなんとなくやりたい人間がコートに入り、残った者がそれを観戦する。
「今日は坂下と須藤。それと斎藤と今田でいいかな?」
あっさりと決まった。
観戦組は、携帯したドリンクを飲み始めた。
ジャンケンをしてサーブ権を決める。
先行は斎藤・今田組だ。
一瞬の静寂。
サーブは慎重に行われなくてはいけない。
ネットぎりぎりのショートサーブが、斎藤の手から繰り出される。
「来た!」
ぎりぎりのインだ。
こちらも、ネットぎりぎりの高さでシャトルを返す。
「入ったぞ!」
須藤がガッツポーズをとるが、すぐに近藤が同じくネット際に返球してきた。
ガットを上に向けた状態で、ネット際すれすれまでラケットを持っていき、互いに小さく打ち合う。
ヘアピンと呼ばれるネット際から相手のネット際へと返すショットだ。
それを何度も繰り返す。
相手の出方を図り合う緊張の時間だ。
だが、それは長く続かない。
―― シュッ!
シャトルが僕の横を鋭くかすめていった。
「あぶなかったな!」
後方にまわった須藤が返球したあと、素早く前に戻り、僕らは左右に並んだ。
サイドバイサイド。
守りのポジションだ。
ネットの向こうでは、前衛と後衛に分かれる。
トップアンドバック。
攻めのポジションだ。
僕らは防御しながら、隙を見て攻撃のチャンスを狙わなくてはならない。
だが、対戦相手が攻めてきたのは初めだけで、打ち合いが延々と続く。
彼らは決してミスをせず、加えてこちらに攻撃の隙を与えることもない。
相手のミスをひたすら待つ戦法だ。
斎藤・今田組も中学時代部活の経験があり、僕や須藤ほどの技術はないが、持久力がある。
僕は不毛なラリーが嫌になってきた。
「しつこい奴らだ」
須藤を見ると、粘り腰の相手に辟易としている。
須藤は基本が身についているし、技量もある。でも、粘り強さに欠けるみたいだ。
僕も須藤と同じ気持ちだ。
今日は諦めて切り上げようか?
そんな考えが頭をよぎる。
だが……。
―― パシン!
今田がロブを打ち上げ、シャトルが高い軌道を描いた。
おそらく後方へ僕を送り、士気の落ちた須藤を狙うつもりだろう。
だが、距離は中途半端で、いわゆる甘い球ってヤツだった。
「まかせとけ!」
僕は後方に下がり、右肘を肩の高さまで上げる。ラケットの面は頭より高い位置に構え、右足に重心をかけながら、弓を引くように力をためると、ラケットを振り下ろした。
―― バシン!
弾けるように打ち込む。
―― スマッシュだ!
「あー残念!」
今田に返球され、須藤がぼやく。
もちろんそう簡単には決まらない。彼らは防御に長けているから。
だが、明らかに態勢が崩れた。
もともと攻撃は得意ではないから、そう簡単には立て直せないはずだ。
「それ! もういっちょ!」
―― バシッ!
僕はさらに前に出て、シャトルを打ち込む。
相手は守るのに必死だ。さらに甘い球を返してくる。
一度は諦めた。でも、この試合に負けてはならない。
そんな気がする。
―― バシッ!
もう一度返球。
僕は徐々に前に出て、最後の一打はネット際で打ち込み、シャトルは斎藤と今田の中間地点に落下した。
「ああー!!」
斎藤・今田組が悲痛な声を上げる。
少し大げさじゃないか?
ゲームだぞ。レクレーションだぞ?
「やったね! 守るだけじゃ勝てないさ!」
思わず叫ぶ。
僕は苛立っていた。
ゲームだから勝つことは大切だ。そして勝つためには、相手のミスを待つ彼らの戦法は正しい。攻撃をすれば反撃されるリスクが高まるからだ。
でも、勝ち負けだけとらわれていては楽しめない。
それがこの一撃で払しょくされた思いだ。
観戦組から熱のこもった掛け声があがる。
彼らも、だらけたゲームにげんなりしていたんだ。
あれ? 周囲が騒がしいぞ?
ギャラリーが増えてる!
いつの間にか、メンバー以外の人間までもが、コートの周りを取り囲んで、僕らに声援を送っている。
僕と須藤の名を交互に呼ぶ声が、体育館に飛び交う。
「よっしゃー!」
須藤の顔がぱっと明るくなる。
よかった! 須藤のやる気が戻った。
さっきまでのうんざりした顔が、別人のように生気を取り戻している。
「さあ! 続けよう!」
今度は、僕と須藤が並んで交互に打ち、相手を攻撃する。
サイドバイサイドは防御だけじゃない。攻撃のフォーメーションでもあるんだぞ! 覚えておけよ! 斎藤・今田ペア!
「さぁ、これから面白くなるぞ!」
今日は、朝からむしゃくしゃしていたんだ。
やってやるさ!
……と、いう時だった。
「昼休み終了15分前! ゲーム終了!」
観戦組の一人が、体育館からの撤退を宣言する。
僕らはあたふたと更衣室へ向かい、午後の授業に備えた。
しばらくして須藤がバドミントン部に入部した。とりあえず文芸部に入部していたが、入り直したという。
「まぁ、中学のときと一緒で振るわないかもしれないけど、楽しくやっていこうと思うよ。“楽しさ” あのゲームが僕にそれを思い出させてくれたよ。僕はやっぱりバトミントンが好きだったんだ」
須藤は言った。
「それにしても……あのとき坂下はいいこと言っていたね」
「僕が? 何か言ったっけ?」
「『守るだけじゃ勝てないさ!』って」
「あ――! それは忘れてくれよ」
そう言えば、そんなことを言っていたような……。
でも、忘れてくれよ。
【ゲームの恥はかき捨て】って……。
言わないか。
「いやいや。なかなかいい言葉だ。肝に銘じておくよ。それにしても、あのときは君の意外な一面を見たような気がするな。君は僕のモチベが落ちたことに気づいてサポートしてくれた」
「忘れてくれよ。ゲームで興奮することもあるさ」
「坂下はバドミントン部に入る気はないのかい? いいゲームをしていたじゃないか」
「僕はやめておくよ」
「手芸部に残るんだね」
「うん。一年間だけね。必須だからしかたがない」
「そうかい? 結構楽しそうに見えるけどな」
「まさか! そんなことはないよ!」
針のように研ぎ澄まされた、部長の視線を思い出す。
そして、あの視線と対峙しながら図案を描くことが、いつの間にか僕の生活の一部になっていたことに気づいた。
「昼休みのゲームにも来るんだろ?」
僕が尋ねる。
「うん。やっぱり楽しいからね。これからも一緒にやろう」
「これからもよろしく!」
「よし!」
須藤が頭の位置に右手をあげ、僕がそれを掌でぱちんと叩いた。
“好き”という気持ちだけでは続けられず、バドミントンを諦めた時置き去りにされた僕の心を、須藤が引き継ぎ未来へと運んでくれる。
そんな気がした。
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