第6話 思い出を運ぶ訪問者
「なんか今日は話し過ぎちゃったな」
自分語りなんてのは、一種の罰ゲームみたいなものだけど、今日は自分からはまりに行ったようなものだ。
それにしても……。
神宮司部長は、いったい何を考えているんだろうか?
「ただいま」
返事がない。
居間に行くと、カップとソーサーが三組テーブルに置かれていた。
「今日の生徒さんは二人か……」
母さんの手芸教室の生徒数は、正確にはわからないけれど、二桁は超えているはずだ。
それでも出席するのは、毎回二人か三人。生徒さんたちは、家庭を持っていて忙しい。だから、来られるときに来て、出来るところまで編んで帰る。
自分のペースで進められると、忙しい奥さんたちに好評だ。
あ……れ?
このペースはなんか覚えがあるぞ?
不思議な既視感。
いやいや。
偶然だってば。
たまたまだよ。
手芸部と一緒ってのは。
僕はこの教室のために図案を描いたり、キットを作ったりする。
望む人には、それを教材として売るんだ。もちろん、自分で好きなものを編んでもいい。
それでも、僕の作る教材はなかなか評判がいいんだ。
今日は、教える時間が伸びたのか、それとも編んだ後のお喋りが長引いたのか……。
母さんは、みんなが帰ってから買い物に行ったんだな。
「さてと……片付けておくか」
僕は、テーブルの上のカップとソーサーを、流しで洗って、水切りかごへ入れる。そしてテーブルを布巾で拭いた。
「あら、慎ちゃん」
母さんが帰ってきた。
「ありがとう。片付けておいてくれたのね。あとはお母さんがやっておくから、あなたは自分の部屋へ行きなさい。ご飯が出来たら呼ぶわ」
その時、
「ただいま……」
玄関から声がする。
日菜が帰ってきたんだ。
「よお! 日菜!」
声をかけると、
「ふみゅー」
悲しそうに、僕を見あげる
元気がない。今にもしおれそうだ。
どうしたんだろう。
「日菜?」
声をかけると、日菜は、黙って自分の部屋へ行ってしまった。
それからも僕は、勉強の合間に手芸部に顔を出しては図案を描き続けた。
部長のアーモンドの瞳が冷たく光るが、気にしないことにしている。
それでも、
「坂下君。レース編みはクロッシェだけ?」
と、手芸部に相応しい会話も交わされる。
「いいえ。タティングもやったことがあります」
小さな糸巻きを使って結び目を作っていくレース編みの技法だ。クロッシェに比べ、かためで、薄く華奢な仕上がりが特徴だ。
「でも、僕はクロッシェの柔らかい雰囲気が好きなんですよね」
「わかるわ。慣れかもしれないけど、かぎ針で黙々と編むのが楽しいし」
うん。うん。
平和な会話だ。
こうやって目の前のレース編みに集中すれば、会話も平和になるんだなぁ。
「ボビンレースは?」
「あれはですねぇ。ちょっと……」
ボビンという糸巻きを交差させながら織り上げていくレース編みの技法だ。これは正確には編み物ではなく、織物なんだ。
高度な模様を作り上げることが可能で、洋服や小物の縁飾りにすると豪華な仕上がりになる。
手芸としての愛好家もいるけど、まぁ、僕はやめておこう。
手芸の世界では、ボビンレースはチョモランマかマッターホルン的な扱いなんだ。
デザインを考案したとしても、母さんの手芸教室に来る人たちじゃ扱えない。
レース編み自体が、現在は機械編みの技術が進み、手編みは芸術品のような位置づけだ。
アンティークレースを高値で買って、額に入れて飾る人もいる。
そんな話をしながら、僕たちは編み続けていた。
「坂下君。お父さんの会社って、貴方の従弟が継ぐって決まっているの?」
僕たちは、いつの間にかなんとなく自分の話をするようになっていた。
「ええ。彼は僕と同い年なんですが、出来がいいんですよね。学校の成績もいいし、性格も。イケメンで明るくて好かれて……なんかこう……爽やかな感じで……」
「あら。あなただって……この学校に入学できただけでも十分誇れると思うわ。それに……まぁ、そこそこ爽やかだし……容姿もまぁ……それに、おフランス帰りでしょ?」
確かにそうなんだよな。
だけど……なんとなくだな。
比べられて来たわけですよ。長年。
そうやって今の境地に至ったわけで……。
何かが欠けているんですよ。僕は。
「部長は? 家業は継がれるんですか?」
僕の方からの質問もOKだ。
「私は兄が二人いるの。だから私が継ぐことはないわ」
神宮司部長は、大手繊維メーカー会長のご令嬢だ。
繊維だけではなく、医療、コスメ、建築、不動産……。幅広く手掛けるグループ企業だ。
親族経営の父さんの会社とは、比べようもないほどかけ離れている。
「それでも何かの役には立ちたいと思っているのよ。理工に進んで、開発に関わりたいわ」
「繊維のですか?」
「それはまだ決めていないの。神宮司グループは、繊維だけではなく医療機器も扱っているから、そちら方面も考えているわ」
医療機器っていうと、注射針もかな?
針に縁があるのかな? この人。
先の尖ったものがお似合いだと思ってしまう。
部室にいたのは一時間ほどだった。
中崎さんの言う通り、いい気分転換になる。
場所を変えて作業をするのは悪くない。
「家に帰ったら勉強するか」
そんな風に、気持ちが切り替えられた。
でも……。
僕のささやかな幸福は、押し流されようとしていた。
波を起こす小さな風。それは懐かしい姿で僕の前に現れた。
「ただいま」
帰宅すると、母さんより少し若い女の人が、家を出ていくところだった。
母さんが見送りに出ている。
あれ……?
見慣れない人だ。
結い上げた金髪に、水色の瞳。
「お邪魔しました」
彼女は言った。
僅かな訛りが甘い余韻を残す。
それは僕にとって懐かしい響きだった。
パリで過ごした日々が、脳裏をよぎる。
僕は軽く頭を下げて、彼女を見送った。
「あら、慎ちゃんお帰りなさい」
母さんは、ようやく僕に気付いたようだ。
「あの人は?」
「ああ……
「そうなんだ。でも、なんで?」
新しい生徒さんだろうか?
「それがね……白咲さんのお嬢さんの。日菜の同級生ね。フランちゃんって言うのだけど、日菜を目の敵にしていて……」
「いじめ!?」
日菜がいじめられている?
そういえば、ここのところ日菜は元気がなかった。
穏やかではいられない。
「そう。……そう言えばそうなんだけど、皆がわかっていて、先生も同級生も止めさせようとしてくれていて……それでも止められないの」
「なんだよ? その確信的ないじめ!」
そのフランという女の子は、さっきのフランス人のお母さんと日本人のお父さんの間に生まれた、いわゆるハーフというやつらしい。
「みんなの見ている前で、日菜の机に落書きをしたり、美術で使う教材を渡さなかったり、給食当番をしたときは、日菜のお皿にシチューを入れなかったの……」
日菜の学校では、中等部までは給食だ。
確信的!
いや。
むしろ【革新的】だ。
……って、言うより、なんだ? その捨て身ないじめ方。
いっそ、清々しい。
いじめってのは、もっとこう、陰湿で陰に回って、相手にも先生にもわからないように……。
いや、だめだよ。いじめは。現に日菜が気に病んでいる。
「それでね。お母さまがお詫びに見えたの。原因がわからないから、どう対処したらいいかわからないのよ」
「新学期そうそうなの? 入学したばかりだよ」
「それがね……」
母さんが困ったように言う。
「小学校からだったの。日菜が編入して、すぐだわ。でもね。クラス替えがあって、いじめはなくなったの。まぁ、すれ違う時に、しかめっ面をされたりしていたけどね。それが、中学に入って同じクラスになってしまったの」
中学生になって、いじめがバージョンアップしたか?
いや、レベル的には変わってないぞ。
まぁ、ついこの前まで小学生だったけど。
“坂下”に“白咲”。席も近いわけだ。
「困ったわねぇ」
長期に渡る執拗ないじめ。
日菜が何をしたというんだろうか?
母さんが、溜息をつきながら考え込んでいた。
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