第5話 質疑応答
いろいろと考えた結果、僕は手芸部に入ることにした。
……いろいろと考えた結果。
入部を決めた理由の一つが、中崎さんが言っていた“規則が緩い”ということが
本当らしいということ。
それともう一つは……。
「ねぇ。坂下君。手芸部で手芸をしないというのは考え物よね?」
神宮司部長が、こちらをじっと見ている。
「えっ? 中崎さんが自由にしていいって言いましたよ。それに、手芸と無関係なことをしているわけではありませんよね?」
部室には、僕と神宮司部長と中崎さんだけだった。
中崎さんはせっせと端切れを縫い合わせている。
中崎さんの得意技はパッチワークだ。
あ……れ?
三人だけ?
中崎さんの言っていた、“手仕事をすると気が紛れる”とかいう真面目な生徒って、もしかして中崎さんのこと?
そんな気がしてきた。
「まぁ。そうだけどね。やはり気分がいいことではないわ」
神宮司部長が、アーモンドのような切れ長の目を細めながら言う。
目をすっと細めた姿が様になるのはこの人ぐらいかもしれない。
そんなことを考えた。
「だからってねぇ」
肩にかかった黒髪を、手で後ろに払いながら、
「人が編み針と糸を持っているのに、なぜ貴方はタブレットを抱えているの?」
神宮司部長の得意技は、僕と同じクロッシェレースだ。
今はスカーフを編んでいる。
複雑なモチーフを組み合わせたもので、編み目もきれいだ。部長の腕前がうかがえる。
彼女が、針と糸を手にレース編みをする姿は様になっている。
「ドイリーの図面を描いているんですよ」
「……入部してからずっとよね?」
「はい。今、ちょうど旬なんです」
「旬? 図面を描くだけ? 貴方自身は、なぜ編まないの?」
「割に合いませんから」
「?」
神宮司部長には納得がいかないようだ。
「自分で編むと時間がかかりますからね。それでいて儲けがない」
僕は淡々と言う。
この先ずっとこうやっていくつもりなのだ。最初が肝心だ。
「儲け? 確かにそうね。ネットで見るとレースの手芸品は、あまり値段が高くないわ。……というか、あなたは売るために図案を描いているの? ここは部活よ!」
「中崎さんが好きにしていいって言いましたよ? 自分で一枚編んだ場合、一枚分の利益にしかなりませんが、図案ならばコピーした枚数分が利益になります」
話を続けながらも、僕は作業の手を休めない。
諦めた部長は話題を変えてきた。
「さっき、“旬” って言ったわね。何が旬なの」
「バザーです。幼稚園や小学校のバザーです。この時期、手作りのコースターやドイリーを出品するお母さんたちが多いんですよ」
「人とは一味違うものを出品したいというわけね。本には載っていないものが欲しい……そういうことね」
さすが部長。勘がいい。中崎さんが言っていた通りだ。
「でも、他の人と
「ええ。そこは気を付けています。同じ幼稚園に子どもを通わせている人たちの間では、同じものを売りません」
「でも、それだとたくさんデザインを考えなくちゃいけないわよね。効率がよくないわ」
「はい。ですので、時期をずらします。季節や年ですね。それから一つのデザインを元にバリエーションを作ります。あと、幼稚園の距離が離れていれば、同時期でも同じものを売りますよ。事前に買い手の了承を取ってからですけど」
「売ったものが、無断で複製される心配はないの?」
「それですけどね。お金を出してまで人と違うデザインが欲しい人は、同じものを他の人が出品することは望まないですよね? 今のところ顧客は顔見知りだけなので、“複製するときは一声かけてください” と言っておけば、大体問題は起こりません」
「顔見知り?」
「ええ。母がレース編み教室をやっていて、そこの生徒さんなんです」
「お母さまがレース編み教室を?」
僕は、自分がパリで生まれたこと、母がそこでレース編みを習っていたことを話した。
「そうだったのね」
神宮司部長が納得したように頷く。
あ……れ?
僕は何故こんなに話しているんだろう?
と……いうより、何故この人は、こんなにあれこれ聞いてくるんだろう?
身辺調査みたいだ。それとも尋問か。
このまま質問攻めを受けていると、言わなくてもいいことを話してしまいそうだ。
今度は僕から質問してみることにした。
「部長はなぜ、勧誘会のときに……僕に入部を勧めたんですか?」
新入生を勧誘すること自体は問題ではない。
気になるのは、いきなり腕を掴まれたことだ。
この人が、何故あんなに熱くなっていたのか?
その熱さの理由知りたいんだけど、まぁ、この質問でほぼ近い回答が得られるだろう。
「テーブルクロスの価値がわかったからですか?」
僕は回答しやすいように誘導をする。
これならば、イエスかノーで答えるだけでいい。
面倒な人との話は早く終わらせるに限る。
神宮司部長は、唇の端を少し上げて笑った。
「誘導が上手いわ。……というよりは、本音を上手く隠したわね」
見破られたか……なんか面倒くさいことになりそうだ。
「そうね……貴方に興味がわいたの。貴方はテーブルの上の手芸品ではなくて、テーブルクロスに目を付けた。
「?」
俯瞰? 意識?
な……なんの話をしているんだ?
言っていることがさっぱりわからない。
それに、それ、手芸と関係なくない?
僕が質問をする側に回ったはずなのに、いつの間にか逆質問を受けている。
蛇に睨まれた蛙になった気分だ。
再び僕は諦めるしかなかった。
神宮司部長が尋問を再開する。
部長は取調官兼、検察官兼、裁判長だ。この裁判には判事も弁護人もいない。
あ……かろうじて傍聴人がいた。中崎さんだ。でも、彼女は自分の手仕事に集中していて、こちらに注意を払う気配は皆無だ。
この法廷は被告にとってあまりにも不利だ。公平さというものが微塵もない。
この国の司法はどうなってしまったんだ?
「あなたのお母さまは手芸教室をなさっているそうだけど、お父様は何をなさっているの?」
これ……全く部活と関係ないよね?
でも、話を逸らすと余計面倒なことになりそうだ。
僕は観念して、情状酌量を乞うことにした。
「会社を経営しています」
「じゃあ、あなたは将来お父様の跡を継ぐの?」
「いいえ。会社はもともと母方の伯父のものなんです。その伯父が急逝して、父が継承しました。僕が十一歳の時です。会社はその息子、僕の従弟が継ぎます。……多分」
「そうだったのね。残念ね」
「いいえ。気楽でいいですよ」
これは本音。
でも……。
尋問は続く。
そろそろカツ丼が出てくるんじゃないか?
「じゃあ、将来あなたはどこかの会社に勤めるわけ?」
「まぁ、父を見ていて思うのですが、激務だし、役員に母方の親戚が何人もいるんで気を使うことも多いみたいで」
僕は、夜遅くまで帰らぬ父さんのことを考えた。
「でも……なんていうか、楽しそうなんですよ。気苦労も多いはずなのに、すごく楽しそうで、充実しているのかな……で、僕も将来自分で何かやってみたいなって思っているんです。就職するんじゃなくて、自分でなにかできればって思ったりして……」
被告人陳述はここまでだ。
評議室(部長の脳内)で審議が行われているのだろう。
どんな判決が下されるやら。
温情判決は期待しない方がいいだろう。
部長がじっと僕を見ている。
また、なんかおかしなことを考えてるんじゃないか?
―― あ……れ?
彼女の少し薄い唇が優しいカーブを描く。唇は珊瑚色で、僅かに艶めいている。
アーモンドのような切れ長の目が優しく弓型になり、頬がほんのり上気する。
初めての笑顔。すれ違った心と言葉が、噛み合う瞬間。
―― どきん ――
心臓の音が聞こえてきそうだ。
「さぁ。おしゃべりはここまでにしましょう。いろいろ教えてくれてありがとう」
編み針を手にすると、神宮司部長は自分の世界へ埋没し、二人の間に沈黙が訪れる。
―― カンカン
閉廷を告げる木槌の音が聞こえる。
判決は下されたのだ。
有罪か、無罪か?
僕は、笑顔の意味を考えあぐねた。
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