竜と少女
つきしろ
第1話
すべてこわせ。
少女の命令に黒の身体を持ち上げ、人を丸呑みできる程の顎を開く。ちらちらと見える炎は直後に噴き出され、目の前に広がる村へ放たれる。木造の家は炎の勢いに倒れ火柱となった。燃えていく炎は次々に燃え移り、やがて村があった一帯は炎に包まれる。
少女はただ酷く嬉しそうに笑う。
口に残る炎を少女に当てないよう頭を下げるとよくやったと少女は竜の頭を一度だけ強く叩いた。
噴き上がる炎は明日からの雨できっと消えてしまう。そうするとこの少女はきっとまた不機嫌になるのだろう。竜は極力地面に近づけていた頭を上げ空に向かってぐっと伸ばす。空は青い。これで明日は雨だというのだから本当に空は読めない。視線を下ろせば少女もまた空を見上げている。
空と同じ青の瞳に、海よりも深く感じる蒼の髪。共に歩くと決めた時はその美しさに惹かれたものだが今ではもう見慣れた物だ。
帰ろう。
四足を地面に付け、ゆっくりと屈む。少女が登れるよう翼も地面に付ければ少女は翼に固定された足場を登る。背中の定位置で足を固定させる音が聞こえ、できる限りゆっくりと身体を持ち上げると背中から気を使うなという声と叩かれたような音が聞こえた。ならば、と翼を思い切り動かし空に飛び出せば背中から小さな悲鳴が聞こえていい気分になる。
不機嫌な少女のためにと燃やした村の上を敢えてゆっくり飛べば少しだけ笑い声が聞こてくる。人の不幸を笑うのはどうかと思うが、竜は口に出さず少女の暮らす街の近くまで翼を動かした。街の外門より少し距離がある場所に足をおろし、少女が地面に降りたことを確認しゆっくりと立ち上がる。
「今日は一緒に来なさい、早く終わったし暇なのよ」
少女は気まぐれに竜を見上げる。
いつもなら邪魔だから野で寝ろだ、近寄ってくるなだ。好き勝手言う彼女が、一体何の風の吹き回しだ。首をかしげるも少女の強い視線は変わらない。
ただの気まぐれか。
仕方なく口で鞍を外し、地面に落とす。少女に見えぬよう一度翼をはためかせて身体を縮めた。
少女が風から目をかばっていた手をどけると竜よりは低い位置に目を向けた。
「元のままで良いのに」
「……無茶を言うな。そうなったら街には入れないだろ」
少女の前に立つのは黒い外套を身につけた赤い長髪の男。少女よりも幾分も高い位置から少女を見下ろし、ため息を吐く。
「報告に行くんだろう?」
「歩くのが面倒なのよ」
「……歩くか走るしか出来ないのにな」
しゃがみこんで地面に両膝をつけ、両腕を広げると少女は当たり前のようにその中に収まる。首元に両腕を回したことを確認して片手を少女の膝裏に寄せて持ち上げる。高くなった視点にか少女は嬉しそうに笑う。
近くに寄れば少女の深い蒼の瞳が近付き、思わず視線をそらした。空には灰色の雲がかかっている。早く宿に戻らなければ雨に濡れる。自分はともかく少女は病気になる。両手で少女を支え、足早に塀で囲われた街の中に向かう。門番は男と少女の姿を認め、朗らかに笑った。
「相変わらず親子みたいだなあ。竜はもう戻ったのか」
「気紛れな奴でな。送ったらさっさと帰るんだよ」
「ははは、まあでもあの竜が居るおかげでこの辺りは平和なんだよな」
その気紛れがずっと続いてくれることを俺たちは願うよ。
門番の言葉に適当な返事を返し、少女の持つ通門証を見せて男は門をくぐった。
「気紛れなのは違いないわ」
少女の言葉には返事を返さず、向かうのは幼い少女には似合わない男たちの笑い声と怒号の響く場所。酒場に間違えられても不思議ではない場所だが施設の都合上この場所で酒は出ない。少女を床へおろし空いたカウンター席に座る。手の空いた体格のいい中年男性が向かいに座り、男は笑みを向けた。
男の元の姿を知っている相手にとって胡散臭いとしか思えない笑みだった。
「報告に来たのか、ご苦労なこって」
「お褒めいただき光栄だよ。報酬は確認できてからだから明日以降だろ、先に報告書を書かせてくれ」
無言で差し出された紙に先程焼き払った村の詳細を記載する。異形に襲われ無人となった村の解体。人手がいないからと方法を問わず建物の破壊が依頼だった。上空を通り過ぎる際に既に建物が倒壊していた。自分の見た景色を隠さず記載した一枚の紙を受け取り、中男の男はカウンターの下から小さな布袋を取り出した。
ジャリ、と金属が擦れる音を立てて置かれたそれに男は首を傾げる。確認は良いのか。男の問いに布袋を取り出した中年の男は小さく首を振った。
「報酬もその場で渡せと上からのお達しだよ」
「へえ、じゃあここから月分の部屋代引いてくれるか。うちのお嬢様がもう体力の限界みたい――でっ」
カウンターの下、短い足からの攻撃は的確に男の太ももに当たり思わず男は声を出した。中年の男は不機嫌そうに、だが、何も言わず差し出した袋から何枚かの金貨と銀貨を抜いた。
抜き出されたのが何枚かを目視で確認し報告書も問題ないという言葉を聞き再度少女を抱え直した。
子供連れの姿を見て何人かがコソコソと話していたが二人はそれも気に留めず、施設の二階に借り受けている部屋へ入った。最低限の道具と机と椅子と寝床。稼ぎからしたらもう少しいい部屋も取れるだろうに。男は寝床に少女を下ろす。
「でも、本当に気紛れよね」
「何だ急に。明日も動くつもりなら寝ろ」
「嫌よ。だいたいまだお風呂も入ってないもの」
「じゃあ入れ。俺は部屋の何処かで寝てるからな」
「また勝手に出ていったら怒るわよ」
「二度はやらない」
部屋の一角で壁を背に座り込んだ男を見て、少女は部屋に備え付けられた風呂場へと向かった。
湯の出る音を聞きながら男は改めて部屋を見渡した。共に行く前は違う場所にいた、らしい。共に行く前のことはお互いに語らない。必要がないからだ。
不意に聞こえた声に、男は静かに扉の外へ出た。しっかりと鍵がかかっていることを確認し建物の外へ出る。少女の部屋の窓に近い場所に一人の女性が立っていた。やたら肌を露出する服を着ているが、大人の女性だ。長い黒髪は夜風に揺れる。華やかではあるが派手ではないシンプルなドレスは胸元が大きく開き足も付け根近い位置までスリットが入っている。男は鼻腔に溜まるような甘い匂いに思わず表情を歪めた。女性は表情を変えた理由をなんと思ったのか艶やかに笑っていた顔を変えて少し真剣な表情になる。
「貴方様に願いが在り参りました」
聞きたくも無い。男は女性の姿を認めるやいなや背を向ける。だが、女性は男の片手を取る。身体に押し付けるように強く腕を取られ、彼は強く振り払った。短い悲鳴とともに女性は倒れ、背後に控えていた男たちが駆け寄り甲高い音共に剣を抜く。
「触れるな、気持ち悪い」
いくつもの刃先を向けられながらも男は冷ややかに視線を向けるのみ。
興味の無さが言葉に現れ、倒れたままの姿勢で女性は息をのんだ。今まで幾度も彼と共にある少女の目を盗むように邂逅を重ねてきたがこんな低い声を初めて聞いた。今までの邂逅では冗談っぽく笑いながら相手をしてくれていたはずだが。
女性は男を見上げ、夜の暗い視界の中で男はどこか別の方向を見上げていた。
視線を追えば僅かな明かり。少女が暮らしているであろう冒険者宿舎の一室。
タイミングが悪かっただろうか。女性は立ち上がり、服についた塵を払う。
男は塵を払う女性を見ながら小さくため息を吐く。あの少女ならきっとコケた程度で付いた泥など払うこともしないだろう。だから毎回自分が少女の身体を気にしてやらなければいけない。どうしようもなく面倒。
だが、いちいち塵を払うような女性よりは良い。改めて女性に目を向けてようやく女性の背後で刃を構える鎧姿の男たちが視界に入る。
剣を下げなさい。女性の言葉に剣を向けていた男たちが渋々剣を下げる。鞘へしまうことはせず女性の前で冷ややかに立ち続ける男を見据える。女性は背筋を伸ばし、男の前に立ちはだかる。
強い女性であることに違いはないだろうが、どうにも受け付けない。
「一つだけ、お聞かせ願えませんか。なぜ、貴方様のような竜族があんな少女に与するのですか」
「……話好きだな。そんな心配せずとも彼女に牙を向けない限り、俺も本気で敵対はしない」
今度こそ、護衛に背を向け男は施設の中へと戻っていった。
表の騒ぎに気付いたのか依頼の報告時に男を担当した中年の男が入口近くに立っていた。腰元にある剣を見て思わず男が足を止める。
「皇女殿下がいらっしゃっていたのか」
剣こそ持つものの、この人は少女に剣を向けることはない。剣を腰に携えた姿に暇なものだ、と声をかけて階段を一歩登った。
「なあ知ってるか? 一月くらい前に俺たちの敬愛する騎士団長様が行方不明になったんだ。青い瞳に青の髪のとても強い女性だった」
知っている。男の記憶の中で誰よりも強い、女性だ。
「へえ、それは残念。そんなに強いなら会ってみたかったな」
振り返らず階段を上がりきった。
少女の部屋の前に着いてから、背後を振り返った。
――青い瞳に青の髪のとても強い女性。
知った人間だ。今はもう居ない。本当に強いひとだった。
少女の部屋の扉を開けると柔らかな何かが飛んできて顔に当たる。枕だった。枕が落ち、見えた視界では着替えた少女が寝床に座っていた。
「なにが二度はやらない、よ」
「すぐ戻ったろ」
「断りなく居なくなったのは間違いない」
「それはそうだな。細かい行動までは契りに無かった」
「屁理屈」
「理屈に違いないな」
再度飛んできたものを思わず手で掴む。少女が使う短い剣だ。鞘は付いたままだが、余程怒っているのか。得物まで投げるとは思わなかった。
「寝るわ」
「寝てればよかったのに」
枕を手で払って渡してやると少女は枕を両手で抱え、じっと男を見上げる。『こう』なってから少女の行動が意味することを察するのには随分難しくなった。だが、普段野宿させている自分を呼びつけ、じっと見ているときは大抵一人で寝るのが不満なときだ。
寝床の端で身体を横にすると嬉々として背中を向けて寝床に入ってくる少女。元々一人が入る予定の部屋に当然二人分の場所と枕はない。そして少女は枕を当然一人で使っている。
二日、三日程度であれば寝なくても済む。
男は窓の外へ意識を向けていた。
「放っておけば良いのよ」
背中を男に付けながら、少女は冷たく笑った。
「監視したってどうしようもないし、何かする度胸もないんだから」
「……そうでないやつも居るだろうよ」
「どうだかね。少なくとも私の部下には居なかったわ」
しばらく口を開かずにいれば少女は目を閉じ、規則的な呼吸をし始めた。こうなれば少女は朝まで目覚めない。
外にいる誰かを散らしてきても良いが。
男は少女の青い髪を見て、目を閉じた。夢を見たことはないが、今日は夢を見てみたいとも思う。
青い髪、蒼い瞳の女性と本気で闘ったあの時を、もう一度。
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