第5話「水の衣①」

 にゃあ。

 毎週行われる猫の集会。今日集まったのは10匹ほどだ。

 その中で、ひときわ目を引く一匹の猫。特段大きいわけでもなく、小さいわけでもなく。ただ、ある種のオーラを放つ三毛柄のその猫は、金色の眼を細めてあくびをしながら、ほかの猫の報告を聞いていた。


「何だい、噂話って」


 今日3番目に報告をしていたサバトラの話を突然遮って口をはさんだその金眼は、2本の尻尾をゆっくりとくゆらせながら、今、猫の間で広まっているという話について問い質した。


「龍宮閣に何か見知らぬ者が住み着いたって話でさ」


 サバトラは、先の説明を繰り返す。

 住み着いたのが猫ではないのは間違いなくて、人の姿をしていたという猫もいれば、細長かったという猫もいるし、空を飛んでいたなんて話をする猫もいた。

 その本当の姿が何かはわからない。ただ、何者かがいるのは間違いないという。


「あんたはそれを見たってのかい」

「見てないですよ。あっしはギンに聞いたんでさ」


 金眼に問われたサバトラは、とある飼い猫の名前を出す。


「ギンは家猫だろ。外には出てないんじゃなかったかい」


 金眼から言われて、サバトラはそれはそうですねと首をひねる。


「きっとギンも誰かから聞いたんでさ」


 金眼は、そりゃあ大した話だねと言うと、昼寝を再開した。



第5話 水の衣



 便利屋の事務所である旧寿原邸で、俺はスハラと小樽市の地図を前に頭を抱えていた。

悩みの原因は、一つの依頼。

 先日の事件のあと、犯人が判明したにせよ、まちの中にはまだ不穏な雰囲気が漂い、それを心配する声も多くあることから見回りを続けてほしいという依頼が、まちの世話焼き係である安西さんからあったことだ。

 だけど、小樽というまちは結構広い。

 この近辺を見回るだけなら俺とスハラで十分だろうけど、もっと広い範囲でとなると難しいだろう。

 幸い、散歩大好きのスイとテン、その保護者としてミズハが協力してくれることになったから、少しは楽になる。だけど、少ない人数で見回るのは、やはり結構大変だろう。


「いや、悩んでもしょうがない。私たちのやれる範囲でやっていこう」 


 スハラに言われて、俺も少し肩が軽くなる気がした。

 人手が必要だったら手伝うよと言ってくれたオルガとサワもいる。今はまだ2人の手は借りていないけど、その時がきたら声をかけよう。

 悩んで閉じこもっていても、何も進まない。やれることを順にやっていけばいいんだ。

 スハラは、俺が前を向いたことを感じ取ったらしく、早速見回りのスケジュール表を作ると、ミズハに届けにいった。


 2日後。

 ミズハとスイ・テンの見回り組は、小樽公園でソフトクリーム休憩をとっていた。

 昔は遊園地や動物園があって親子連れでにぎわったこの公園は、それらがなくなった今でも、憩いの場として、人々を迎え入れてくれる。

 今日の見回り、別名散歩を始めて1時間は経過していた。まちに特段の異変はなく、空は気持ちよく晴れていて、風が心地いい。

 特にテンは、もともとの目的を理解しているのかいないのか、目の前のソフトクリームのことで頭がいっぱいのようで、目をキラキラさせながら食べていた。

 ミズハも、その様子をほほえましく思って眺める。これがただの散歩ならどんなにいいことか。

 ミズハは、最後の一口を食べ終わると、すでに食べ終えて満足そうな2匹に声をかけた。


「次はどこへ行く?」

「上まであがろう!」


 かつてほどではないにせよ、あちこちから聞こえてくる遊びに来た子供たちの声をすり抜けて、ミズハとスイ・テンは見晴台へと向かっていく。


「スイ、競争しよう!」


 途中で駆け出したテンを追って、スイも走り出す。

 ミズハは、気を付けてねとだけ言って、うしろをゆっくりとついていった。

 到着した見晴台は、ミズハたちのほかには誰もいなくて、カモメの声が響き渡る。

 海のほうへ目を向けると、公園から一直線上に水天宮が見える。


「本当、いい天気ね」

「そうだね。気持ちいいよね」


 思わず言葉にしてしまったミズハに、スイが応える。テンは、少し離れたところで何かを追いかけているようだ。


「ミズハは、まちの異変を何か感じてるの?」

「う~ん…今はよくわからないわ」


 ミズハはそう言ってスイの少しだけ心配そうな顔を覗き込む。


「わからないけど、たとえそれが悪意からくるものでも、そこまで本当に悪いっていうものじゃないと思うの」

「我は難しいことはよくわかんないけど、みんなが笑っていられたらいいなって思う」


 ソフトクリームもおいしかったよねと、スイは顔をあげて、ミズハを見つめた。


「ミズハ!大変だよ!」


 突然、ほのぼのとした雰囲気を破って戻って来たテンが、何事かが起きたことを訴える。


「変なのになった!逃げなきゃ!」


 テンは、焦りから説明にならない説明を繰り返す。


「慌てないで、テン。どうしたの?」


 ミズハに促されて、テンはやっとの思いで後方を指す。

 その手の先、少し離れたところには何やら不気味に蠢く一つの影が見えた。


「何かしら」


 ゆっくりとしたスピードで近づいてくるその影は、どうやらミズハたちに向かって来るように見える。

 ミズハは、その塊がはっきり見える位置に来た時、身体中に鳥肌が立つ感覚に襲われた。

 人の形をしたそれは、泥のようなものでできていて、表面はどろどろしているように見える。

 そして、眼は空ろで、ぽっかりと暗く穴が開いているようだった。


「何あれ、こわい」


 いつの間にかミズハの影に隠れていたスイが、震えた声で言う。テンは、その隣で音がしそうなくらい震えていた。

 ミズハは冷静に、周りを見回して何もないことを確認し、さらにはゆっくりと迫ってくる泥人形との距離を考えると、走って逃げればあれに追いつかれることはなさそうだなと思う。

 しかし、震えている2匹は走れるだろうか。


 ミズハが、2匹に声をかけようとしたそのとき、泥人形の後方で悲鳴に似た叫び声が上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る