第18話 マリー・アントワネット
「ユミさん、この時代って――」
「ダニエルさんに見せるのは、この位が理解して頂ける限界ではないかと思ったんです」
「なるほど、そうか」
「結翔さん、中に入りましょう」
「はい」
其処に居たのはダニエルさんだった。
「ダニエルさん」
「おう、ユート殿」
「ダニエルさん、これは――」
「機関銃ですよ!」
ダニエルさんは興奮気味に答えた。
それは日本の鉄砲鍛冶が作り、パリ万博に出品した火縄式機関銃であった。確かに従来の火縄銃やマスケットなどと比べても、何とか理解出来る範囲だろう。ダニエルさんをこの時代に連れて来たのは、正解だったかもしれない。
「布里他様?」
「はい」
「布里他様とは一体……」
火縄式機関銃は戦国時代の鉄砲鍛冶である仁吉が考案して、その弟子のまた弟子が改良を重ねているもの。このパリの万博に出品して来たのだった。
布里他様とは、その仁吉に、新しい銃の考え方を教えて下さった方だという。
「あっ、布里他って、フリーター!」
おれの事だ……
あの仁吉の弟子達がそこまで育っているのか。
おれが戦国時代を去って以来、日本の風物は変わり、先代辺りからはもう誰も髷は結っていないという。
ユミさんからのメールでは、万博にサムライが来ているとなっていた。だが実際は、銃と共にやって来た鉄砲鍛冶の職人が、フランス人のカメラマンから頼まれ、それらしい扮装をして写真に収まっていたのだと分かった。
「結翔さん、あそこを見て!」
「えっ、あっ」
「結菜さん、何処に行くの?」
結菜さんが突然ピンクのキャリーバッグを、ゴロゴロと引っ張って行ってしまう。
おれとユミさんは後を追って行くが、ダニエルさんは機関銃の前から離れなかった。結菜さんが立ち止まったブースは、ファッションの展示コーナーだった。
振り返った結菜さんが歓喜わまった感じで、
「ユミさん、このドレスを見て下さい!」
そこに展示されているドレスの数々は、この時代を象徴する格式ばった大げさなものではなかった。
後の時代に登場するアールヌーボーの曲線とも違っていた。
ユミさんの話では、サスケという日本のブランドだという。
「結翔さん、もしかしてこれはあの佐助さんの――」
結菜さんも戦国時代で女性の猿飛佐助と出会っている。その佐助はアイフォーンで現代ファッションの写真をたくさん見せられたから、その影響はとんでもないものだったのだろう。
おれもそのドレスをよく見ようとしたその時、急に周囲が騒がしくなった。
「えっ、なんなの?」
そこに多勢の人々にかしずかれ、優雅に現れた女性。華やかな色合いのドレスに身を包み、大きな羽根飾りを、これまたとんでもなく高いかつらに差している。
ユミさんがつぶやいた。
「マリー・アントワネット王妃です」
「――――!」
1700年代、おしゃれの中心はパリであった。特にマリー・アントワネットの存在は大きい。
いつの時代もファッションの真髄は差別化で、他人よりも目立とうと、限りなく工夫する。
貴婦人達の身だしなみは付けほくろから始まり、髪は粉で真っ白となっても辞めず、羽の先まで一メートルもの高さになるかつらで頭部を飾った。
殿方にモテる為の努力たるやすさまじかった。
その最たるものはコルセットに現れた。極細ウェストを表現しようと、極限まで締め付ける。さらに袖の付け根にフリルでボリュームを出すことでさらに細いウェストを強調した。ただしスカートは引きずるから、外を歩けば裾は泥だらけとなってしまう。
マリー・アントワネットは、日本のドレス展示コーナーの前まで来ると、ドレスよりもそこに立つ二人の女性に目を止めた。
「この方達はどなたなの?」
言葉は分からないが、多分そう言っているだろう。その好奇心溢れる視線が、ユミさんと結菜さんの服装をなぞっている。
だが周囲のスタッフも皆二人を知らず戸惑った。日本から来た者のようだが、何しろ今この万博には、世界中から様々な言葉を話す者達が集まって来ているのだ。
その時、
「結菜さん、何処に行くの!」
結菜さんがいきなり、とことことドレスに向かって歩き出した。
そこに展示されているドレスを手にとると、
「王妃様、これ、いかがですか?」
いきなり王妃に直接話し掛けたから、周囲は騒然となった。だが、一人王妃だけは笑みを浮かべた。
「これって、試着出来るんでしょ」
結菜さんがスタッフに聞いている。
王妃が近づいて来ると、
「王妃様、着てみましょう」
二十歳の王妃はつられて、結菜さんと一緒に試着コーナーに入ってしまうではないか。もちろんお付きの方々も慌てて後に続いた。とんでもない事になってしまった。
始めは王妃のドレスを脱がす事に、難色を示していたお付きの方々も、
「早くしなさい!」
王妃のきつい言葉を受けて、遂に諦めたようだ。
日頃から宮廷内の古いしきたりにうんざりしていた王妃は、思わぬ展開に興奮してきたのか。
同じ年頃の女性と、こんな所で着替えをしている。言葉があまり通じなくとも、笑い合う王妃と結菜さんは、一気に意気投合してしまったのだ。
ただ、着替えを終えた王妃を結菜さんが誘って外に出ようとして、お付きの方と騒動になった。
「いけません!」
これは下着ではないか、よく言っても部屋着だと言う。
「そんな事ありません。これは外に出られる服ですよ」
日本で外国の方に観光ガイドをしている結菜さんは、フランス語も少しは出来る。結菜さんはそう言い切って、構わず王妃の手を握った。庶民が王家の者の肌に直接触れる。これは場合によれば不敬罪に当たる行為だ。そしてついに、結菜さんに手を引かれた王妃がコーナーの外、観衆の面前に出てしまった。
後々シュミーズ ・ドレス と呼ばれるドレスのお披露目だった。
もちろん観衆は息を飲んだ。王妃マリー・アントワネットが自ら、下着姿を公衆の前に晒したのだ。もちろんこれはこの日のトップニュースとなった。
一番興奮していたのは当の王妃本人だ。
まるで鎧かぶとのようにガチガチに形づくられたドレスを、宮廷の外で脱いだ瞬間、王妃の中で何かが弾け飛んだ。
マリー・アントワネットが新人類に変わった瞬間だった。
だが、その後シュミーズ ・ドレスを 選んだ者は、王妃だけではなかった。
ファッションリーダーの王妃が愛用して、外国からの使節や賓客の前にも堂々とそのドレスで登場すると、他の多くの貴婦人達が次々と真似をし出したのだった。
ユミさんと結菜さんは、マリー・アントワネットから宮廷に招待された。
「結菜さん、でも、戻らなくてはなりません」
「えっ」
「研究所からの情報です」
ルーマニア軍がモルダビアとの国境付近に集結をしているという事だった。
ちなみにルーマニアは多種多様な民族によって形成された国である。住民の多くはは、紀元前からこの地方に住んでいたトラキア系のダキア人、時代が下ると古代ローマ人、7世紀から8世紀頃に侵入したスラブ人、その他にトルコ人、ゲルマン人などの混血や同化によって形成されていった。
さらにルーマニアとその北西方向に位置するポーランドとは、共に史実とは違い、早くから東欧における二大大国になりつつあった。
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