師弟開始



 我が気まぐれに今世の勇者に施しをやった、その翌日。

 我は自身の城。玉座の間にて思案に耽っていた。

 内容は当然、昨日この場に訪れた勇者クロム・アスロイについて。

 玉座から真っ直ぐに伸びる赤い絨毯の終着点。この間唯一の出入り口である扉周辺に視線をやる。

 昨日ぶちまけられた勇者の血は既に消え失せ、跡すら残っていない、ただの石畳の上に絨毯が敷かれている。それでも我の目にはそこで小さき勇者が蒼白な顔で我を睨んでいた様がありありと浮かんでいる。

 たしかに彼奴あやつは未熟だった。身体も技も凡庸な人間にすら劣るほど。これまで我と対峙した勇者や冒険者と比べればぶっちぎりダントツの最弱。

 されど……心。

 彼奴の心だけは歴代の武人に決して引けを取らなかった。

 我は心得ている。

 人とは我ら魔族と比べれば悲しいほど弱く、脆く、儚き生き物だと。

 だが魔族にはない。いや、薄い他者との繋がり、〈情〉や〈心〉というものが弱気力を何倍にも引き上げる種族だということを。

 だからこそ惜しい。あれほどの心が備わているのであれば――。


「鍛えれば良い遊び相手になると思ったのだが」


 まさか我の提示した選択、そのどちらでもない答えを選ぶとはの。


「だが無謀に突攻しかけてこないだけマシであったか」


 あの時、逃げではなく反攻に出ていれば間違いなく我は、彼奴の息の根を止めていた。

 死んでしまえばそこで何もかも終わり。しかしどれだけ惨めな遁走であろうと、生きてさえいれば可能性が生まれる。

 あれほど力の差を見せつけてやったのだ。きっとあの勇者はこの悔しさを胸刻み、これから血の滲むような経験を経て、もう一度我の前に現れることだろう。

 それが数ヶ月後か1年後か。あるいはさらに先のことになるかは我とて知りえぬ。

 

「我好みの強き勇者にしてやろうと思うたが、この楽しみをまだかまだかと待ち臨む時間も悪くはないのぉ」


 そんな言葉で思考を締めくくり、手に納めていたグラスの酒を喉に流し込んだその時だった。

 ギイイイイィィィ……と音を立て扉が開かれた。

 連日の来訪者とは珍しい。

 大国の軍か、あるいは我を倒し己が名を轟かせようなどと、野心に燃える冒険者か。

 誰であろうと構わんが、今の我は興が乗っている。我を討つと豪語する者であるならば萎えさせるなよ。

 そう期待して玉座で待ち構える。

 玉座の間に入ってきた来訪者は我を見るなり叫んだ。


「魔王、今日こそお前を倒してやる!」


 女子と聴き紛う声色の高らかな宣言。その声の主を思い出すのは容易いこと。なにせ、つい先刻こ奴がこの間に訪れたのは記憶に新しい。

 しかしだからこそ。


「…………は?」


 当分は来ないと踏んでいた者故に我は唖然とした。

 童女の如き顔立ちも翡翠色の鎧が包む貧相な身体も、一切変わっておらぬその姿。


「ボクの顔を忘れたとは言わせないぞ!」

「昨日の今日でやって来た者を忘れるほど、老いぼれてはおらぬわ」


 勇者クロムが昨日と同様、我に剣先を突き付けた。

 目には前回以上の気迫が灯っている。この自身に満ちた瞳……。何か策、あるいは加護でもあるのかもしれない。

 たしか遠い昔。月の満ち欠けや大気に漂うマナの動きによって能力を向上させる戦士がいた。こ奴もその類であったか。

 

「昨日はその……ちょ、ちょっと油断したけど。もうお前は終わりだ!」

「クク……。あれほどの醜態を晒してなお吠えるか。そのような大言は我に一太刀入れてからほざけ」

「行くぞ!」


 抜刀した剣を上段に構えた勇者に合わせ、我も玉座から立ち上がる。

 威勢は十分。あとは奴の実力がどれほどのものか見てやろう。


「ハアアアア!」


 裂帛の気合の声を放ちながら勇者が間合いを詰めてくる。その動きは昨日に比べて速い。得物は変わらず剣のみ。盾による打撃も考えられるがどちらにせよ対処できるだろう。

 彼我の差が数メートルに詰まり勇者が剣を振り上げる。振り上げの角度からして袈裟斬りか。

 自身に襲いいかかる聖剣の刃をぼんやりと眺めながらこれまでの一連の動きを思い返し、我は率直な感想を心中で零した。


 ――――――――――よっわ。


「シッ」

「あがっ……!?」


 勇者が我との距離を詰めるために、欠伸が出そうなほど長い時間を要している間に魔力を溜めていた左手で宙を仰ぐ。

 魔力の開放。昨日と同じ、攻撃とも言えぬただの動作によって勇者は中空を舞い、吹き飛んだ。

 先の二の舞になっていない部分を挙げるならば、勇者に怪我らしきものが何もないことくらい。もっとも、それも我がそうなるように力を調整したからであるが。

 

「貴様。昨日と何一つ変わっておらぬではないか!」


 我の期待を返せと怒気を孕ませた声を飛ばす。 

 致命傷にはなっていないが、頭部を柱に打ち付けた勇者は頭を擦りながらブツブツと反論してくる。


「おかしいなぁ……今日はちゃんと扉の前で休憩してから入って来たのに……」

「そんなもので何か変わるとでも思っているのか戯け!」


 精々体力スタミナが残っている程度であろうに。元が貧弱な分、僅かにスタミナが回復しても何も変わるわけなかろう。

 というか、あの自信に満ちた威勢は単にスタミナが残っていたから……というわけではあるまい。


「戯れは良い。奥の手があるならば早う出せ」

「あ……当たり前だ! 今のはちょっと小手調べしただけで……。いっ、今からボクの真の実力をみみみっ、見せてやる!」


 そう言って勇者は再び不格好に剣を構える。戦いの心得のない小童でももっとマシな構えができるだろうに。いや、こ奴も十分わっぱではあるのか……。

 おそらく、否。断言してよい。こ奴は勇者ではあるが何の力も持っていないのだ。

 ならば――今の・・こ奴に期待するのはやめよう。


「な、なんで腕を下げるんだ。戦いはまだ終わってないぞ!?」


 我の戦意が失せたのを感じた……という訳ではなく、両腕から力を抜いて下ろしたのを見て、勇者は我に問いかける。

 しかし我は嗤って問いかけを一蹴した。


「ハッ、ぬかせ小童。今の貴様が何度挑もうと我が敗れることなどど、天地がひっくり返ろうとあり得ぬわ」

「そんなの……やってみなくちゃわかんないじゃないか!」


 言葉を放つと同時に勇者が床を蹴り、また我に向ってくる。その動きはやはり緩慢で、これに討たれよという方が困難であろう。

 我は今度こそ何も構えず攻撃を避け、勇者の一挙手一投足を注視する。

 まず気になったのは体重移動。よくよく見れば身体の重心が安定しておらぬ。単純に肉体の筋力が低いというのも要因だが、重厚な剣や鎧を支える事のみに重きを置いており、まるで扱えておらぬ。これでは得物を振るうどころか、主が振り回されているだけだ。

 さらに左手に構える盾の位置もおかしく、いざという時に防げるものも防げぬ。

 さらにさらに――。


「獲ったー!」


 と、74個目の欠点を分析している際中。ようやく勇者が我の眼前へと迫っていた。

 1度目と同じ上段からの袈裟斬り。されど先とは呼吸も力の緩急も体内の魔力オドの流れも何もかもバラバラな……剣技と呼ぶには烏滸がましい一刀。

 刃が肩に喰いこみ血が噴き出す。それでもなお勇者の剣は止まることを覚えず、我の身体を真っ二つにするべく聖剣を振り抜いた――。


「なんじゃこの持ち方? これでは力が入るわけないに決まっておる」


 ――――――――という光景を幻視した。


「へ?」


 勇者の口から間抜けな声が漏れる。

 それに同調するように勇者が斬った我の姿をしたモノは中空に溶けた。

 

「ふむ、下級魔族が使う幻惑魔法も見破れんとは。問題は山積みだの」

「このいつのまに……っ!? 身体が……」

「動こうとしても無駄よ」


 隣に現れた我に焦り、体勢を直そうとするも勇者は既に我の術中。身体の表面に密着するように行使した風魔法が勇者の身体を拘束する。

 この魔法の拘束は一筋縄では拘束できず、一度捕まれば屈強な戦士でも身動き1つできまい。逆に我は容易く敵の首を跳ね飛ばすことができるのだが……目的は別にある。


「握り方自体が奇天烈であったか」

 

 聖剣の柄を握る勇者の手を見ながら呟く。

 太刀筋からして奇妙だと思っていたが、この握り方ではロクに力が入らないのも道理。当然太刀筋はブレ、剣速も鈍くなる。

 おそらく我流。否、剣を握り始めてさほどときが過ぎておらぬのかもしれん。


「まったく見てられんのぉ」

「何を……さ、触るな!」

「黙るがよい。……自身でも気づかぬのか。良いか、剣というのはこのように握るのだ」


 技術も知識もない者に言葉で言ったところで分からぬ。ならばと、後ろから手を回して誘導してやる。

 剣だけでなく得物……武器というものは手だけで持つものではない。両足の間隔や体幹などを駆使し、己が身全てを使って支え振るうのだ。


「貴様は我がこれまで対峙した勇者、戦士の中でも特に非力なのだ。得物を自在に扱いたくば、もっと腰を使わぬ……か!」

「ひゃっ!?」


 剣の握り方の修正に続き足の位置や姿勢、腰とあらゆる箇所を矯正していく。時折勇者の口から「ヒョエッ」だとか「ムニュムニュ……」だとか情けない声が漏れるが、気にしない。……何故か頬を赤らめ、瞳が潤む姿には嗜虐心を煽られたが。

 しかし構えが良くなっていることに勇者自身実感し始めたようで、その顔つきも幾分か真剣なものになり始めた。

 ついには――。


「こ……こう?」

「ふむ、まぁ及第点かの」


 まだ疑心混じりではあるものの、我の顔色を窺うように改めて構え直し、我に評価を求めた。まだまだ不出来ではあるものの、先ほどよりマシになった構えを一瞥し、指摘を素直に受ける姿勢も込みの上、オマケをつけての及第点をやる。

 それと同時に我は確信した。

 やはりこ奴は面白き存在だと。

 我が指南した程度のことなど基礎中の基礎に過ぎん。多少の心得がある者、極論戦いに身を投じていく過程でこ奴自ら気付くものである。

 肝心なのは誰に教わったのか、という点。

 人間の希望である勇者が、怨敵である魔王から戦いを享受するなどという屈辱、そう簡単に許容できるものではあるまい。事実こ奴も最初こそ抵抗していた。だが、その嫌悪感は自らの構えが良くなっていく過程で薄まっていった。

 それは強さへの渇望と己が弱さを誰よりも知っているという肯定。

 くだらぬ自尊心を取り払った勇者が、魔王に鍛え上げられればどれほど強くなるであろうか……。

 

「ではその姿勢のまま我に斬りかかってみよ。自らの膂力で振り回すのでなく、武器の重さを利用するように剣を動かすのだ」

「そんなのわかってるよ!」

「わかっておったなら、あのような間抜けな剣筋にはなっておらぬ」

「んぐっ……」


 まぁ見栄を張るきらいはあるが、そこも小童と思えば愛いものだ。

 魔法を解除して拘束を外す。勇者は一度構えを崩し、手足を確認するように視線を落とした。擦り傷一つ付けておらぬが気になるのだろう。

 ようやく気が済んだ勇者が我に習った構えを丁寧にとる。構えを改善したところで、まだこ奴が雑魚であることには変わりないが、こ奴自身に手応えを実感させてやれればそれで良い。

 人間であろうと魔族であろうと自身の成長を感じれば、さらに強くなりたいという欲が生まれるものだ。

 もちろん敗けてやるつもりは元より、一撃も喰らってやるつもりすら毛頭ないがの。

 さて……。形だけでも対峙してやるために我も一足飛びに距離を取った。

 先手は譲ってやると手で示すが、勇者は直ぐには攻撃をせずにじーっと我の顔を見て、訝しむように口を開いた。


「なんで、勇者のボクに魔王のお前が戦いを教えるんだよ?」


 それはこ奴が持って然るべき疑問。

 こ奴……いや、このクロムという名の勇者とは当分長い付き合いになるであろう。ここで妙な蟠りを作るのは得策ではない。

 なにより隠す必要などなかろう。

 

「知れたこと、貴様が強くなることで我にも楽しみが1つ増えるからに決まっておろう」

 

 我を誰と心得る? 魔王であるぞ。

 全ての行動原理にあるのは自身の欲のみ。

 気まぐれに弱き勇者を手ずから鍛えようと思ったのも、退屈を紛らわすためという、純粋な我欲を満たすため以外他ならぬ。

 一切の繕いなく本心で答えてやると、勇者は豆鉄砲でも喰らったかのような顔で我と目を合わせると――。


「こ、後悔しても知らないからな!」


 そんなことを口走った。


「………クク」

「なっ……なんだよ?」

「クク……クハハハハハハハハ」


 我は笑った。先の笑いと別種の……そう、可笑しさ故の笑い。

 肩が激しく動き、息も荒々しく鼓動が早い。

 いかん。あまりに可笑しくて腹が痛くなってきた。

 剣の握り方すらロクになってなかった雑魚が大きく出たものだ。


「それは是非とも後悔させて欲しいものだのぅ」


 師を担う魔王に弟子のクロム勇者

 この奇妙な関係がどうなるかは分からぬが……。少なくともしばらくは退屈せずに済みそうだ。

 


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