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第28話

「あっ、そういえば今日からだっけ……」


 いつもの様に第一部室棟へと向かっていた美名美みなみだが、周りが足場で囲まれている様子を見て、この日から屋根の修繕と電気設備の更新工事が始まる事を思い出した。


 流石に今日も凄く寒いし、由実ゆみ先輩もお家に帰ってるかな?


 渡り廊下の周りにはまだ大分積雪が残っていて、どんよりとした空から雪がちらついていた。


 それでも何となく、入り口近くにある掲示板に近づいた美名美は、


「ん?」


 黒板の表面に真新しい張り紙がされている事を発見した。


 何だろう、と思って確認してみると、そこには、ビニールハウスニ居リマス、という由実の若干殴り書き気味の直筆のコピー用紙が貼られていた。


 あれのこと、かな?


 美名美は建物の角から顔を出して、男子寮が上に建っている擁壁の麓にある、やや小ぶりのビニールハウスを見る。


 ハウス自体は透明だが、ずり落ちた雪が壁になっていて中を覗うことが出来ない。


 渡り廊下に戻って、反対側の出入口に迂回した美名美は、ハウスの中で明らかに由実らしきシルエットのジャージを着た人物が動いている様子を確認した。


「あっ、いた」

「やあやあ美名美くん。ようこそ我が部の温室へ」


 荷物を寮の部屋に置き、体育用の外履きを取ってきた美名美がハウスの引き戸を開けると、由実が鍬で黒っぽい色をした土を面積の半分ほど耕しているところだった。


 ハウスの手前には肥料などの袋がいくつか積まれていて、奥には謎の塩ビパイプで組んだテントと、その脇にポットに入れて平たいカゴに並べられた苗が並んでいた。


「ここってウチの部の持ち物だったんですね」

「いいや。元はちゃんと園芸部のものだったのだが、数年前に廃部になってしまってな。取り壊すのもなんだから、と藤宮ふじみや教諭の提案で使わせて貰っているのだ」

「なるほど。……なのに何で耕すところからなんです?」

「どうも末期には露地ではなくプランターを使っていたらしく、単なる黒土の地面と化していてだね」

「なるほど」

「当初はミミズもいない様な状況でな。そこでかれこれ半年色々手を入れ、今では十分な量が生息しているぞ」


 見るかね? と由実にウキウキで訊かれた美名美だったが、いいです、と即座に言ってその申し出を断った。


「おっと、済まない。美名美くんは割と苦手だったね」

「いえ、すいません……」

「君が謝る事は無いぞ。嫌いなものを単に嫌いと言える方が人は健全なのだよ」


 よいしょ、と由実はいつもの調子で話しながら土を耕す作業を進めていく。


 肥料袋の横に古くさいビールケースに板を渡したベンチがあり、手持ち無沙汰な美名美はそこに座ってそんな由実を観察する。


「ぼやっと見ているのも暇だろう。そこのプランターを見たまえ」


 肥料袋が積まれている方とは逆の位置にあるプランターに、根元が丸く赤っぽくなっている、ゆるめの三角形の葉っぱが植わっていた。


「あ。ええっと、確か二十日大根ですよね」

「ご名答。英語ではラディッシュとも言うな。そこに軍手があるから、暇つぶしにでも収穫してはどうかな?」


 無理強いはしないが、と言いつつ鍬を振り下ろした由実へ、


「どうせなら由実先輩と一緒にやりたいので大丈夫です」


 美名美はやる気は十分といった様子で遠慮した。


「――そうかね。ならばそうしよう」


 一緒に、と言われて、内心に衝撃が奔った由実は、非常に嬉しそうな様子で美名美へ笑いかけた。


「ところで、あそこのテントってな――」


 少しその表情にドキッとした美名美は、その感覚を不思議に思いながら、奥に鎮座している簾で上と側が覆われたテントを指さした瞬間、


「おおっ、気になるかい!?」


 待ってましたとばかりに中からぬうっとみやびの長身が飛び出してきた。


「あっ、野性のハカセ殿が飛び出してきたな」

「ボクはポケモンか何かかな?」

「分類はマッドサイエンティストポケモンだろうな」

「長いってその分類名ー」

「……」

「美名美嬢も無言でやせい戦の音楽流さないでおくれー」


 由実の発言に反応した美名美がすかさず携帯からゲームの戦闘曲を流し、その鮮やかな流れに雅は苦笑いを浮かべた。


「で、何をやってるんです?」

「ふふん。まあ見て貰えれば分かるよ」


 雅はニコニコで手招きしてそう言い、出入口の垂れ幕を持ち上げて中を見せる。


椎茸しいたけですか」

「その通りさ」


 やや薄暗いテントの中には、ひと抱えほどの大きさに切った丸太がいくつかあり、そこから椎茸の子実体がいくつか生えていた。


「普通の椎茸育ててどうするんですか? こう、巨大化させるとかしてるものかと」

「……美名美嬢、ボクは遺伝子工学に関しては専門外だよ?」

「そうなんですか」

「ハカセ殿はビオランテを生みかねないからな。心配するのも道理というものだ」

「まずG細胞が無いから無理だよセンセイ氏ー」


 やや古い怪獣映画の話をし始めた由実と雅の2人に、美名美は置いてけぼりを喰らっていた。


「まあその辺は良いとして、本題はここからさ」


 雅は話を切り上げると、テントの横に置かれた腰高サイズ程度のプラ製物置から、かんぴょうを剥く機械の刃部分をL字に曲げた金属板に変えたものが出てきた。


 原木を固定する下の部分はその外側に傾斜が付いていて、周りのカゴに転げ落ちる仕組みになっている。


「これは自動椎茸収穫機さ。この自家栽培キットで育てたそれを回収する手間が省けるよ」

「自動で時期が来たらやってくれるんですね」

「いや、それは目視さ」

「じゃあ別に手でもげばいいじゃないですか? 大した手間じゃないですし」

「う、うーん……」

「第一、使い道の幅が微妙過ぎません?」

「左様。黒ニンニクメーカーとハナ差ぐらいしかないな」

「そうだね……」


 容赦ない美名美とその指摘加減にニヤニヤしている由実にそう言われ、割と自信作だったせいで雅はちょっとがっかりしていた。


「まあ、気を落とすなハカセ殿。このようなどうしようもないものの山から、歴史に残る大発明が誕生する事もあるのだ」

「だね。とりあえずプログラミングもう少し学んでみるよ」


 由実が一応しっかりフォローを入れると、あんまり気にしていない様子の雅は、ポジティブな事を言いつつ収穫機に原木をセットした。

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