第23話

「ところでセンセイ」

「ん?」

「白菜って黒い点があるじゃないか」

「ほほう。そこが気になるか」

「うん。なんか理由って知ってるかい?」

「よしきた」


 話題が変わると、由実ゆみはウキウキした様子でそう言い、ぬるい温度をキープするマグからほうじ茶を一啜すすりする。


「この点はだね、『ゴマ症』と呼ばれるもので、よくカビやら虫やらと勘違いされがちだがポリフェノールの一種であり、品質にはなんら問題がないのだ。

 何が原因で起こるかというと、葉の細胞にかかるストレスだそうだ。その原因は、肥料のやり過ぎによって起きる栄養の過多による細胞の過膨張、収穫時期が早すぎるかあるいはその逆、激しい雨にさらされた等だ。

 ちなみに肥料過多である場合、細胞内外にまった窒素の濃度を下げようと水を吸いすぎているのだよ」

「つまり基本的には栄養状態が良ければ良いほど数が増えるわけだ」

「その通り。数が多ければ多いほど味が良いと言っても過言ではない。

 まあ、実際には巻きが良いとか、外側の葉がきしているとか、葉の色の濃さといった物で判別するのが良いのだが。

 人間も同じで、ほんの一面だけを見て善ししを判別すると、その本質を見誤ってしまう、という事なのだろうな」


 我々人間という生き物はかくも愚かで嫌になるね、と由実は渋い顔をしてぬるい出汁を啜った。


「話は変わるが、白菜は元々中国原産の野菜でな、英語では『チャイニーズ・キャベツ』と呼ばれている。我が国で栽培されるようになるのは、日清・日露戦争で出兵した兵士が種を持ち帰ってからだな」

「江戸時代ぐらいからあると思ってたけど違うんだね」

「まあ無理も無い。白菜は現代人にとってはなじみ深すぎるのだからな」


 そこまで話した所でみやびが米をおかわりしに向かい、美名美達の分を残すように忠告を入れた。


「ねえセンセイ。ボクが自分で白菜の水炊き作ってもそんなに美味しくないんだけど、何が原因とか分かるかい?」


 席に戻ってきた雅は、小皿の汁をご飯に投入しつつ不思議そうに訊ねる。


「出汁は取ってるかね?」

「粒の出汁の素は分量通り使ってるけど」

「ふむ。ならば白菜の保存法だな。はっきり言えばすぐに使えばいいのだがね」

「一球くるから食べきれなくてさー」

「まあそんな事だろうとは思っていたよ。困ったら私の所に遠慮無く持ってきたまえ」

「助かる」


 汁をかけた米の上に具を乗せた物を、雅はするすると少しかき込んで咀嚼そしゃくする。


「それで保存法についてだが、白菜は収穫後でも内側の葉へ栄養分を送る性質があるから、まず芯部分から使い始めるといい。

 そして残った部分をキッチンペーパーに包んで野菜室に立てておくのが良いのだが、ハカセの冷蔵庫は2ドアだね?」

「うん。それに立てておくだけのスペースもないんだよね」

「大方、媚薬の原料でも詰め込んであるのだろうな」

「ご名答」

「やっぱりな。そんなハカセには、ざく切りにしてサッと茹でて密閉容器に詰めておく事をオススメしよう。ただし水分は絞っておくように。

 白菜はアレでいてビタミン・ミネラルが豊富でな。不健康なハカセにはピッタリだ」

「不健康は心外だなあ。ちゃんと完全栄養食を3食食べてるよ」

「貴殿は研究以外は本当にどうでも良いのだな……」


 自信満々に宣言する雅に、なんとも言いがたい、といった引きつった顔を由実はした。


「そういうことじゃないんだろう? センセイが食べさせてくれるなら止められるんだけど」

「赤ん坊か貴殿は。私はハカセのお母さんではないぞ」

「じゃあ今からなっておくれよー」

「馬鹿なことを言うな」

「いたいいたい」


 由実は割と真剣な目で言ってきた雅の足を踏んづけて、彼女の申し出をきっぱり拒否した。


ひどいなあ」

「それは貴殿の生活能力だ」

「トータルだとセンセイも大差ないじゃないかー」

「……。反論のしようがないな……」


 すかさず言い返そうとした由実だったが、全く自分否定する根拠が無く黙ってしまった。


 その無音の時間は、扉が控えめにノックされた事で破られた。


「入りたまえ」

「し、失礼します。……ええっと」


 引き戸を開いた女子生徒は、迷った様子で口ごもりながら由実と雅を交互に見た。


「張り紙見て来たんですけど、総合科学研の方は……」

「ああ、ボクだよ。どうしたんだい?」

「なんかその、部室の前の廊下がビチョビチョになってるんですよね」

「あっ」

「案の定爆発したか」

「いやいや、破裂音聴いてないじゃないかセンセイも」


 水漏れしちゃったかなあ、と雅は独りごち、茶碗に残った米をかき込んでから、手伝いを申し出る女子生徒に自分が片づけるから、と断って、気持ちだけ、とお礼を言った。


「やれやれ。極寒の地へ出張りますか……」

「ドンマイだな」


 雅は白衣を一旦脱いで入り口の横にあるポールハンガーから、自分の茶色い厚手のロングコートを長袖のセーラー服の上から着て白衣をその上に着た。


「はは……。――ところでセンセイ」

「なんだね」

「見とがめる人は誰も見てないんだし、少しぐらいになっても良いんじゃ無いかな?」


 同情する由実に苦笑いを浮かべた雅は、その笑みを少し悪い方に寄せて言いつつ、水漏れの片付けへと向かって行った。


「だから閉めていけと毎回言っているだろう!」

「あっ、ごめん。閉めておいてくれー」


 雅が開けっぱなしのまま行ってしまい、由実はすっくと立ち上がって出入口まで来ると、やや声を張って自分の部室へと小走りで向かう彼女を叱った。


「全く……」


 猫背気味で長身の幼なじみの背中を呆れた様子で見送り、ピシャッと閉めた由実はすぐに元の場所に戻って美名美達を見下ろした。


 彼女達は無駄にデカい1段目を作ってしまい、それに合わせた頭を乗せるのに苦労していた。


「……少しぐらいヤンチャに、か……」


 雅に言われたことをぼそりと繰り返した由実は、


『そんな女の子らしいことをしなくていい。あなたがやりたいことをやりなさい』

『わたしお花の輪っかつくりたい』

『それは古い価値観のせいでそう思わされてるだけなのッ! やめなさいッ! だッ! めッ!』

『ご、ごめんなさい……』


 ――こんな歪んだ考えを気にする必要は無い、か。


 頭の中に幼い頃に受けた母親からの叱責しつせきが響いたが、それを彼女は首を振って振り払った。


 そうだな。なんのために口八丁手八丁を労してまで家を出たのだという事も無い。


 由実は土鍋にフタをしてから、薪ストーブの空気調整レバーを絞った。


 よし。そろそろいいか。


 空気が無くなって火が消えた事を確認すると、由実はカーディガンの上からダウンベストとモスグリーンのモッズコートを着てマフラーを巻き、3人のいる方へと向かった。


――――――――――

参考文献


JAグループ『野菜の力をもっと知る とれたて大百科 ハクサイ』(https://life.ja-group.jp/food/shun/detail?id=10)

ウェザーニュース『食べても大丈夫 白菜の黒い点の正体は』(https://weathernews.jp/s/topics/202001/210135/)

JA全農長野『よくある質問 野菜について 白菜に黒い斑点のようなものがたまにありますが、何ですか?』(https://www.nn.zennoh.or.jp/faq/2017/01/post-32.php)

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