第21話

「何を吹き込まれたか知らないが、真に受けないでくれたまえ」


 引き返してきた由実は、薪を1本追加してから定位置の椅子に座り、もうすっかり冷たくなっていたコーヒーを啜った。


「あ、はい。えっと、私の分のクッキーどうぞ」

「いや、十分食べた。問題ない」

「でもさっきの袋、中身3分の2ぐらい入ってましたよね?」

「う、うむ……。さすが美名美くんだ」


 すかさず美名美は、脇に置いてある椀を手に由実の元に向かい、中身が3分の1程残っているそれを慧眼けいがんに舌を巻いている彼女の前に置いた。


 厚意をふいには出来ない由実は、大人しく美名美のそれを受け入れてチマチマと食べ始める。


「時に美名美くん」

「はい」

「クッキーとビスケットの違いは何か分かるかね?」

「ええっと、柔らかいかそうじゃないか、じゃないんですよね」

「厳密に言えばそれだけではない、という意味ではその通り。薄力粉を使うものがクッキーと呼ばれているものだ。ソフトビスケットとも言うな」

「あ、じゃあくくりとしては同じもの、と」

「然り。『ビスケット類の表示に関する公正競争規約及び同施行規則』第2条の3を引用すると、

 〝「手づくり風」の外観を有し、糖分及び脂肪分の合計が重量百分比で40パーセント以上のもので、嗜好しこうに応じ、卵製品、乳製品、ナッツ、乾果、蜂蜜等により製品の特徴付けを行って風味よく焼きあげたもの〟だそうだ。

 その他、全国ビスケット公正取引協議会の承認を得た物も含まれるぞ」

「意外とざっくりなんですね」


 何も見ずにさらさらとそらんじてみせた由実に、圧倒されている美名美の感想へ、まあ世の中は案外そういうものだ、と答えて、


「ボーダーラインが広くあるべきものは、かくあるべきなのだ。グレーゾーンを認められないというのは実に苦しいものだからな……」


 極めて不愉快そうに眉をひそめ、かなり低い声でそう言った。



「――まあ、今はどうでもいい事だな。ビスケットはラテン語で2度焼いたパンを意味していてな、その言葉通り、乾かして2度焼いたパンが欧州では古くから糧食として重宝されていて、それがビスケットのルーツだと言われているぞ。

 ちなみに例によって諸説あってな。難破船の船員が苦し紛れに船内に残っていた材料をこね、たき火に乗せた剥がれた鉄板の上で焼いた物を、その船が漂着した場所であるビスケー湾にちなんでビスケット、と名付けた、というものだ」

「どっちにしても非常用だったわけですね」

「うむ。そういうことであるな」

「それをおやつで食べてる、なんて平和とかの特権みたいな感じ、ですかね」

「ふっふっふっ、美名美くんも私にだいぶ毒されてきた様だな」


 先程までとは逆に、由実は非常に機嫌良くクツクツと笑いながら、クッキーを口に放り込んでからコーヒーをすすった。


「欧州の宮廷で食されだした16世紀頃に、現在の形に近い物となったビスケットだが、ハードビスケットとクッキー以外にもあってな。

 いくつか例を挙げると、クラッカー、乾パン、パイ、プレッツェル、その他チョコレート等を塗った加工品だな。

 ちなみにクッキーも様々な種類があって、絞り出し、型抜き、といった我々にはなじみ深い物から、アイスボックス、ドロップ、ジンジャー、ラングドシャ等々、数多あまた存在するのだ」

「日本にはいつぐらいに?」

「安土桃山時代に南蛮菓子の『ビスカウト』として輸入された、という記録があるな。生産は江戸時代に長崎辺りで外国人向けにやっていたとも聞く」

「なるほど」

「興味があるなら明日でも作ってみるかね? 原材料は用意してあるのだが」

「そんなのありましたっけ?」

「冷蔵庫にいれてあるぞ。食品だからな」


 由実が指さした先である下段ドアを覗いてみると、薄力粉と卵、無塩バター、塩、砂糖が全て未開封の状態で上の方に入っていた。


「例によって最高の素材を集めておいた。レシピ通りにやればそうそう下手な仕上がりにはなるまい」


 見覚えのない薄力粉のパッケージを、物珍しそうに美名美は手に取って眺めていると、


 あれ、なんだろうこれ。


 冷蔵庫の奥にペンギン型の置物を発見した。


「由実先輩、この可愛いのなんです?」

「それは消臭剤だな。見ての通りの生物のフォルムを抽象的に模したデザインが気に入っていてね。かなりデフォルメをされているにも関わらす、ペンギンであるという説得力がしっかりと残っているとは思わないかね」

「確かに」


 それを手に取って由実に見せると、雅に貸していた雑誌を読み返していた彼女は、やたらはつらつとした声でうっとりとそう語った。


 由実先輩、ペンギン好きなんだ。


 語り口がいつもよりかなり熱を持っている様子を感じつつ、美名美はゆっくりと回してお腹が白いそれを眺める。


「っていうことは、お家にペンギングッズがたくさんあったりするんですね」

「ま、まあな」


 元あった場所にしまいながら訊いた美名美は、由実の表情が一瞬かなり苦々しい物になって、自身から顔を逸らしながら言った事に気が付かなかった。


――――――――


参考・引用文献


公正取引委員会『ビスケット類の表示に関する公正競争規約及び同施行規則』(https://www.biscuit.or.jp/summary/data/hyoji.pdf)


一般財団法人 全国ビスケット協会『ビスケットで健康家族』

「ビスケットの仲間たち」(https://www.biscuit.or.jp/variety/index.html)

「ビスケットのお話」(https://www.biscuit.or.jp/story/index.html)


グリコ栄養食品株式会社『グリコ栄養食品たべもの事典』

「クッキー」(https://www.glico.com/nutrition/tabemono/food/17/index.html)

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