第2話

 部室から見下ろしていた、体育館の裏にあるやや小さな裏庭の隅にやってくると、由実ゆみはひと抱え以上もあるツールボックスから、軽量で薄型かつ折りたたみ式のき火台を取り出した。

 その展開した金属板上に薪を2本乗せると、自動販売機の横にある、ノズル付きの水道ホースを引っ張ってきた。


 次にボックスから新聞紙と松ぼっくりを取り出すと、前者をライターで着火して火口にし、後者を着火剤代わりにして薪に火を付ける。


 リュックの中は、簡易式のキャンプチェアが2つ入っていて、たき火の横の風上になる方向へ放射状に並べた。


「火起こしからじゃ無いんですか?」

「うむ。そのような遠回りをする意味は、精々自己満足でしかないのだ美名美くん。若い時間と言うものはネズミの命のように短いのさ。

 文明の利器を使えば、僅かな時間で済む着火程度の行動に、それは費やして良いものではないのだよ」

「な、なるほど」


 由実が長々としゃべっている間に、パチパチと薪がはぜる音がし始めた。


野外活動キヤンプ部の連中はそれもだが、炎の神秘性というものも解せぬようで、実に無粋で頭が痛い限りだ。

 その上、炎の神秘性を説いた私を、どこかおかしい者だ。火は火でしかない、などと連中は抜かす。

 私はともかく、かのアポロン神の贈り物であるとされる、炎をないがしろにした様な発言を受け、1年生であった私は、歓迎会の後に即座に退部届を出したものだ」


 まあ、そんな事はどうでもよろしい、と由実はスッパリ話を切り、一番上のトレーにあった鉄串に、逆サイドのトレーでフリーザーパックに入られていたマシュマロを刺した。


「すいません、自分で焼いても?」

「うむ。この程度離されよ。でないと燃えてしまうでな」

「どうも」


 キャンプコンロを使い、遠火で2人分同時にあぶろうとしていた由実から、マシュマロを受け取った美名美みなみは、彼女にレクチャーされて絶妙な距離感で炙る。


気にならない人々マジヨリティという物差しを勝手に当てて、それで測れぬからと勝手につまはじきにして、そのものを袋だたきし、それが正しい行為だと言い張る者に、期待するだけ無駄なのだ。

 火起こしという手段を目的化し、無駄に木をこすり合わせる事を、体験だのなんだのとのたまい、日が暮れるまではしゃぐ連中の様に」


 火からマシュマロを外して焼け具合を確認した由実は、上手い具合に焼けたそれに息を吹きかけて冷ます。


「猫舌とは実に厄介なものだ。食事時間がいたずらに延びてしまう」


 はふはふと食べる美名美を横目にそうぼやく由実は、憮然ぶぜんとした様子でさらに息を吹きかけ続ける。


「しかし、美名美くんも物好きな様だ。偏屈老人の様なこの私の話を、怒らず呆れず最後まで聴くとは」


 やっと口先で触って平気な程、冷めたマシュマロを食べながら、聴き入っていた美名美へ由実は、珍獣でも見るかの様に眉を上げる。


「まあ、励まそうとして貰っていますし、長くてもしっかり聴くのが筋かと」

「ほうほう。正直でよろしい。そして私の意図を察するとは、気に入ったぞ美名美くん」


 由実はご機嫌な様子で鼻を鳴らし、火ばさみで薪の位置を調整した。


「では、もう私に用は無かろう。また必要なときは、我が同好会の戸を叩くと良い。私はそこにいるだろう」


 ではな、と言った由実はそれ以降、特に何も喋らなくなった。


 ラダーような形状の五徳網をフレームに渡し、ボックスの中に入っていた煤だらけのコッヘルを取りだし、由実はその辺の手洗い水道から水をんでその上に置いた。


「……。あれ、なんで私が帰る流れになってるんですか?」

「おや? 違うのかね」


 コッヘルの底に上手いこと火が当たるように薪を追加しつつ、厚手の布を身体に巻き付け、動きそうにもない美名美を見て由実はキョトンとする。


「ようこそ、って言われたので、体験入部みたいなものかと」

「なるほど。そう解釈したかね。いやあ、奇特な娘さんだ」

「……1年先輩なだけですよね?」

「はっは。言うじゃ無いか。ますます気に入った」


 特別にスモアをご馳走ちそうしようじゃないか、と言って、マシュマロの横に入っていた、棒状にチョコビスケットが入っているアルミ袋を取りだした。


 ウェットティッシュで手を拭いてから、焼いていたマシュマロを裏返しにしたビスケットで挟み、3つほど紙皿に並べてフタを閉めたボックスの上に置いた。


「で、どうだね。伝統もなく栄光にもほど遠い我がたき火同好会で、金と引き換えにいずれ失われる暇を費やす気はあるかね」


 追加でもういくつかマシュマロを焼きながら、由実は目線を美名美へやって訊く。


「まあ、じっくり考えたまえ。怠惰を止めるつもりも、迎合するつもりも毛頭ありはしない。それが耐えられないと言うならば止めておくといい。

 個々の弱さ故に、群れること事でしか生きられない者は、私の様な存在とは関わるべきでは無いからね」

「距離感が大事、ってことですね。マシュマロと火みたいに」

「まさしくそれだよ美名美くん」


 心底楽しそうにそう言って、追加で3つスモアを作った後、革のミトンをはめた由実は、コッヘルを火から外したところで、


「ぬう。コーヒーの粉は無いのだったな……」


 それを思い出して憮然とした顔になり、スッと焚き火台横のアルミの作業台に置いた。


白湯さゆにします?」

「うむ」


 仕方なく、ただのお湯を紙コップ2つに注いだ。



                    *



「では改めて。この栄光無きたき火同好会にようこそ美名美くん」

「はい。で、何を作っているんです?」

「ホットゴリラだ」

「ホットゴリラ」

「まあ、要するにホットチョコレートなのだが」

「なるほど」


 翌日、顧問の女性教諭・藤宮へ正式に入部届を出した美名美が、部室へ挨拶しにやってくると、由実が窓を全開にしてキャンプコンロで牛乳を温めていた。


 そこから少し離れたところに、ゴリラ型チョコレートが入ったカップが2つ置かれていた。


「部屋、綺麗きれいになってますね?」

「得意な者に頼ったのでな」

「あとこのカウチは?」

「私物だ。好きに使ってくれたまえ」


 昨日までのゴチャゴチャ具合が嘘のように、作り付けの棚へ完璧に整理されていて、部屋の真ん中に、茶色い新品のカウチソファーがデカデカと鎮座していた。


「もしかして、先輩のお家ってお金持ちなんですか?」

「ん。どうだろうか。経済的な意味ではそこに分類されるのだろう。しまらない事だが。もっとも、あるものはしっかり使わせて貰うがね?」

「まあ、天下の回り物って言いますしね」

しかり」


 温度計で測って程よい温度になったところで、由実は火を止めて小鍋から半分ずつ、由実のベッコベコアルミカップと、美名美用の新品のそれに注いだ。


 だが、


「……なかなかこう、風刺的な前衛アートの趣を感じざるを得ないというか」

「ちょっとドキッとしますね」

「うむ。人間の良心が試されようとしているのやもしれん」


 でろーん、と茶色をしみ出させていく様子を見つつ、2人は何となく溶け行くゴリラに合掌した。


 ゴリラの形が完全になくなったところで、由実は2つ分をスプーンで混ぜて完全に溶かしきった。


「……。しかし、ホットチョコレートとは、なかなか奥深い意味があるとは思わんかね美名美くん」

「というと? ――冷ましましょうか」

「うむ。――まかせた」


 口を付けると思い切り熱かったため、無駄話をして冷まそうとすると、それを察した美名美が手を差し出して訊き、受け取ってその辺にあったうちわで扇ぐ。


「食物全般にそうなのだが、この2つもそもそも人間のためのものでは無い。カカオも砂糖も牛乳も、次の世代に命を繋ぐためのものなのだ。よってそれらの風味は命の味と呼べるだろう。

 特にホットチョコレートはそのシンプルさ故に、命の味をよりはっきり感じられるものなのだよ」

「猫舌だと、そういう事をより感じられると」

「ふはは。然り然り。美名美くんはすっかり私を理解している様だ。

 もっとも、優秀な助手を得たところで、"灰色の小さな脳細胞"を持ち合せてはいない上に、安楽椅子に座そうが、時に信条の怠惰を放ろうが、生憎あいにく、何も解決出来ないのだがね」


 どこまでも愉快そうに揺らした肩をすくめた由実は、彼女の代名詞であるニヒルな笑みを浮かべた。

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