伝統無き我らのたき火同好会

赤魂緋鯉

1

第1話

「たき火、同好会?」


 暗く沈んだ表情の少女・大田美名美おおたみなみは、部室棟の隅にある引き戸につるされた、ベニヤにマジックで殴り書きされている看板を読み上げた。

 

 つい先程、映像研究部の退部届を出してきた彼女は、なんとなく興味を引かれて、その戸を叩くと、うむ。入るが良い、というやけに古くさい言い回しで返事が返ってきた。


「お、お邪魔します」

「やあやあ、お客人。伝統と栄光無き我がたき火同好会にようこそ」


 倉庫をほぼそのまま転用した、床に物が散らかりまくっている、狭苦しい室内の奥で窓際に教室の椅子と机が置かれていて、そう高らかに言った少女は、泰然とした様子でそこにいた。


「……?」


 モサモサショートな黒髪の彼女から発せられた、聞き慣れない語り口に、美名美はポカーンとする。


「まあ入ってきたまえよ。私は来る物は一切拒まない主義でね。それに廊下は寒かろう。遠慮は要らないさ」


 もっとも、去る者も追わない主義だがね? とニヒルに笑って、やたらベコベコになったアルミカップのコーヒーをすする。


「主とあるなら、客人にコーヒーの一杯でもてなすべきだろうが、生憎あいにく切らしてしまっていてね」


 おずおずと入ってきた美名美に、カップの横に置いてあった、空っぽの瓶を見せながら、恥ずかしい限りだ、とそこまで恥じてなさそうに言う。


「では、席を用意しよう。どうやらお客人は入部希望、という訳ではなさそうだ。なにか悩み事でも?」

「……なんで分かるんですか?」

「いやあ、褒められた事ではないが、私は人間を盗み見るのが得意なものでね。まあ、大なり小なり皆やっていることだ。石を投げられる者はいまいよ」


 少女は適当に物が突っ込んである、入り口から見て右の棚を探り、折りたたみパイプ椅子を引き出しつつそう答えた。


「おっと。名乗るのが遅れてすまない。私は坂之上さかのうえ由実ゆみ。ご覧の通りしがない2年の女子高校生だ」


 由実と名乗った少女の挨拶に、ご丁寧にどうも、と言ってから美名美も名乗った。


「ふむ、よろしく。では1年の美名美くん。申し訳ないが白湯さゆでいいかね?」

「あっ、はい……」


 足元に転がるまきの束を蹴ってどかし、美名美の席スペースを対面の位置に確保して、ファンヒーターの向きを変えた由実は、そこに座るように促した。


 美名美が座ると、自席の背後に置かれた冷蔵庫の、さらに上にある電子レンジの上に置かれた電気ケトルをとった。


 電子レンジ脇にある箱から、紙コップを取りだして、それにそこそこ冷めた白湯を注いだ。


 抹茶を立てた椀かの様に、スッ、と白いそれを美名美の目の前に置いた由実は、


「まあ話して見なさい。吐き出す事を忘れては、いずれ腑の中を埋め尽くしてしまうのだから。

 しかしながら、聞くのみで共感すらしない、という可能性もなきにしもあらず、だがね? 私はどうも、その辺りのシステムを積んでいないらしい」


 席に戻った由実は不敵な笑みを浮かべつつ、腕組みをしながら背もたれに半身を預け、スカートの下にジャージを穿いた脚を組んだ。


「む。ファンヒーターの音だけ、というのも味気ないね?」


 由実はポケットの中から携帯電話を取りだして、サントラのSPACEスペース COWBOYカウボーイなジャズを流し始めた。


 窓際に置いてあるワイヤレススピーカーから聞こえる、小気味良いバスドラムと陽気な金管楽器は、機体の性能によって、その低音域の表現力を十全に発揮する。


「手短に話すとですね――」


 美名美は前所属先の映像研究部にて、女子を中心とした部内を2分する対立に、中立の立場で意見してしまい、どっちにもいい顔をする、とネチネチした嫌がらせを受けた。


 社交性は高いと言われるものの、彼女には良くも悪くも八方美人のきらいがあり、また、メンタル面では優しさ故にかなりナイーブで、耐えきれなくなったため、つい先程顧問の美術教員に退部届を提出していた。


「ふむ」

「それで、こうならないために、どうすれば良かったのかなあ、と……」


 全ての話を聞き終えた由実が、手元を見下ろしている美名美の問いを受け、


「それで良かったのではないかね? 美名美くんはその部の連中に必要では無かった。そして、君にも連中はそうで無かった。だから君は離れた。

 ――現状、何か差し迫った問題を君は感じているのかね?」

「えぇ……」


 自分の役目は終わった、とばかりに、精悍せいかんな表情の少年の様な少女が、大型二輪車と共に描かれた表紙の、机に置かれていた文庫本を手にとって読み出した。


 由実のあまりの割り切り方に美名美は絶句し、エンディングテーマのアレンジバージョンと、頁をほぼ定期的にめくる音だけが部室に聞こえた後、


「そんなもの、何ですかね……」


 よくよく考えてみると、本当になにも無いばかりか、逆にスッキリしている事を感じる自分の感情を不思議に思いながらそうぽつりと言った。


「まあ、そのまま善き心に従って和をもたせようとしても、あくまで私の経験上であるが、そう上手くは行かぬだろうよ。

 所詮しよせん、"想いは正しく伝わらない"のだ。君が傷つくだけで終わるかもしれない行動を起こす価値が、それにあるのかね?

 君が傷ついているところを見て、その背中をでた者は?」


 いたのならば、その価値があったのだろう、と言う由実の言葉に、美名美は誰もいなかった事を思い出した。


「それが答えだろう」

「はい……」

「まあ、大概の人間なんてそんなものさ。傍観者でいることが許されている以上はね」


 反応を見て訊き、その通りである事が分かった由実は、深々と嘆息を吐きながら、ニヒルにしているが実につまらなそうな様子で言う。


「さてと」


 そう言って立ち上がり、伸びをした由実は、


「着いてきたまえ。焼きマシュマロでもご馳走ちそうしよう。甘味かんみを食せば嫌なことも忘れよう」


 椅子に引っかけてあった綿のコートを着つつ言うと、大きめのリュックを担いで、先程蹴飛ばした薪の束と、冷蔵庫の脇に置いてあったツールボックスも手にした。


「おっと、そのままでは煙臭くなるね。体操服に着替えて、そこにある厚手の布を身体に巻きなさい。昼寝に使った程度だ、汚くは無いだろう」


 外で待っているよ、と言い、細く床が見える所を歩いて部屋から出て行った。


 かばんの中に入っていたジャージに着替えて美名美が廊下に出ると、


「ではこう。藤宮ふじみや教諭に許可はとっておいた」


 腕組みをして由実が待っていた。

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