黄昏のワンダー・ライフ ~魔法の世界に転移して尚、村で平和に暮らせず旅に出る~

もくはずし

序章 これは『転移者』ツヅク・ハヤトの物語

第0話

  「お前だけでも逃げなさい」


 遠くからバチバチバチと何かが弾けて迫りくる音と父さんの言葉が元の世界の最後の記憶だ。

 父さんの作った扉をくぐり抜けた後、こちらの世界で気絶している間にそんなことすら曖昧で朧げな記憶になってしまった。


 9歳の僕はあまり体も強いほうではなく、心も弱かった。科学者の息子であるにも関わらず勉強も不十分で、九九の掛け算すら周りの子供がスラスラ言える時期に、4の段で躓いている始末だった。

 頭も悪いほうだったが、そもそも怠け者でロクに勉強なんてしたことがなかったのだ。弱虫で怠け者、というのは昔に限った話ではないのだけれども。そのせいか、当時の記憶はよく覚えていない。


 確か僕が住んでいたのは日本という国の東京という地だ。

 母親は僕が5歳の頃に家を出ていったという。詳しい事情は分からなかったが、その日以来、いつも僕が起きている間には絶対に家にいることがなかった父さんの帰りが早くなり、無邪気にも喜んでいた覚えがある。とはいっても家にいる間も父はずっとディスプレイと睨めっこしていた。


 事が起こったのは手袋越しにも指先の感覚が消えるような、とんでもなく寒い冬の日だった。

 今思えばそれは表面上の出来事であり、本当はもっと前から問題は起こっていたのかもしれない。でなければ父さんは僕を逃がす為の発明なんてできなかったはずだ。

 その日もいつも通りの日常。いつも通りの通学路だった。普段と同じように学校に行き、授業中先生からの指名が来ないよう俯いてやり過ごした。いつもと違うところと言えば、友達の家に遊びに行かずに、父さんの言いつけ通りまっすぐ帰ったことくらいだろうか。

 

 「おまえ、ハヤトの癖に俺たちについて来ないなんて生意気だぞ!」


 放課後、名前は憶えていないが、ガキ大将的な子にそんな言葉を投げかけられた。  

 普段であれば唯々諾々と踵を返して彼らについていくのだが、朝に父さんから放たれた「今日は、学校が終わったら、すぐに、帰ってこい」というゆっくりと力強い言葉に従った。そうせざるを得ない迫力があった。

 逃げるように家に向かって走っていくと、ビルとビルの間で空に向かって走る光の柱のようなものが突然現れた。次の瞬間、ドドドド! という地響きと共に凄まじい風が吹きすさび、思いっきり電柱に頭をぶつけた。

 これは只事ではない、と子供ながらに(今も子供ではあるのだけれど)思った僕は痛みで朦朧とする頭を抱えて急ぎ足で家に帰ると、部屋の中に聳え立つ大きな扉の傍で父さんが待っていたのだ。


 「これはお前のために作った。『ピート』という異世界に飛べるらしい道具だ。一度きりしか使用できないから、ここから先は1人で生きていくんだぞ。ここではない、どこか平和な世界に通じていることを願っているよ」


 様々な疑問が頭の中を渦巻いていたが、有無を言わせない語気に圧されて言葉にできなかった。そこには扉のみが立っており、その裏側は通常通りの部屋の空間がつながっているだけに思えた。

 父さんがドアを開けるとその予想に反して、向こう側は真っ暗な空間が広がっていた。


 「ここに入るの?」


 そんなわけないよね? と続けて言いたかったが、外から響く轟音にかき消される。先程とは比べ物にならないくらい大きな音で、どんな音であるか判別することを脳が拒絶した。固まっている僕の背中を押した。暗黒の空間に投げ出される。


 「お前だけでも逃げなさい」

 

 バチバチバチ! と白い稲妻を発しながら焼けるように無くなっていく、元居た世界。最後に一瞬、父さんの顔が真っ赤な閃光に攫われたように見えた。

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