環境がメンタルに影響しないわけがないシンデレラ

高橋

第1話

 昔々あるところに、シンデレラという娘がいた。シンデレラは優しい父と母と共に暮らしていたが、ある日母が死んでしまった。父は後妻を迎え、シンデレラは継母と、継母の連れ子である二人の姉と暮らすことになった。


「何よ全身灰らだけじゃない。シンデレラ(灰かぶり)という名前がぴったりね!」


 ぼろぼろの服で、必死に掃除をする彼女へ、継母と姉たちが馬鹿にしたように言ったのが、シンデレラの名前の始まりだ。

やって来た継母と姉二人は、シンデレラに対してひどい扱いを始めたのだった――



 シンデレラは絶望した。あとからやって来た三人の女たちに家を乗っ取られてしまった。確かに自分の未熟さもあるだろう。彼女らにとって気に食わない部分もあったかもしれない。だけれど、一つの家族になったのだから互いがゆずりあい、違いを許し合って、本当の家族になっていけばいいじゃないか。今この時も、シンデレラは端切れをつないだ服を着て、床掃除のために冷たいぞうきんをしぼっている。

 当初、シンデレラは彼女らの態度に真っ向から言葉を述べていた。


「私ひとりで全ての家事はできません。お母さまが生きておられた時は助け合っていました。どうか分担しませんか?」


 と訴え、またある時は、


「屋根裏部屋は寒くて耐えられません。元の部屋に戻してください」


 と言ったが、余計に仕打ちがひどくなってしまった。言い方が悪かったのだろうか、余計なことを言ってしまったのだろうか、シンデレラは後悔と反省を繰り返す。理由を述べたうえでお願いをしているし、わがままな主張ではなかったはずだ。もしかしたら、お母さまのことを出したのがよくなかったのかもしれない。継母の逆鱗に触れた可能性がある。


 そこまで考えたところで、彼女は床を拭く手を止めた。雑巾を握る手にギリギリと力がこもる。やるせない。実母のことを口にして何が悪い。こっちは優しい母を亡くして悲しみから立ち直っていないんだ。向こうの過去がどうだった知らないが、新しいパートナー(父)を見つけて幸せの絶頂じゃないか。ライオンのオスは群れを奪い取った時、前のボスとの間に生まれた子ライオンを殺すという。お前らもそのたぐいか、あ? 理性を保てよ、人間だろうが、幸せな者が不幸な者をいじめてるんじゃないぞ!


「わたしが……もっと強ければ……」


 あんな性格悪に対抗できる強さがあれば、今は違っただろう。そうね、知っている、何を言おうと自分の状況は自分の責任。

 一人で黙々と労働すると、過去への後悔と現状への不満がシンデレラの頭の中を支配した。苦しく辛い。楽しいことを考えよう、前向きになろうと思っても、強引に曲げた針金から耐えられず手を離すように、気を抜けば禍々しい感情に戻っていく。


 そもそも……お父様はなにをしている? 継母たちが来てから存在がなかったことになっているぞ。木偶の坊が。

彼女は決意した。いつかこの家を絶対に出ていくと。自分の幸せは自分でつかむと。

 悲しみは願いになり、憎悪は力になるのだ。

 


 シンデレラは家の中から、継母と姉たちが出かけていくのを眺めていた。新調したドレスと纏い、これでもかと宝石を付け、分厚い化粧をして出かけていった。国の王子が舞踏会を開き、国中の娘を招待した。どうやら妃を選ぶためらしい。王子に見初められれば国一番の出世であるから、ちょうど年頃だった姉たちの気合は相当だ。もちろんシンデレラは連れて行ってもらえなかった。「土間と玄関とトイレの掃除と庭木の枝切と干し肉の仕込みがあるから留守番」と当たり前のように言われた。

 想定内であった。むしろこちらこそ彼女たちと舞踏会に行くなんて願い下げである。人をいじめることしか芸のない彼女たちは、せいぜい男に媚びるしか幸せになれないのだろうけど、こっちは王子なんかに頼らずとも自らの力で幸せをつかんでみせる!


 窓に添えられたシンデレラの手は、いつの間にか強く握られている。踵を返して玄関に向かった。命令された全ての家事をこなし、そのうえで自立のために行動する。幸い、過酷な家事は料理、裁縫とシンデレラの技術を向上させた。無駄に広い庭に行くと、高枝切りばさみをつかみ取って目の前の木によじ登る。


 枝を切る。

 もう一本切る。

 また一本切る。

 さらに斬る。

 もひとつおまけに斬る。

 まだまだまだ斬る。

 斬る斬る斬る斬る斬る斬る。


「刃の残像がすごいわ、シンデレラ」


 地面から声がした。


「やだ……どちらさま?」


 シンデレラは恥ずかしそうに木の下を見下ろした。黒い服を着た、ふくよかで優しそうな女がいる。女の周りはなぜかキラキラと輝いている。まるで魔法のようだ。

 女は言った。


「ひとりで留守番をしているのね。かわいそうなシンデレラや、舞踏会に行きたくないかい?」

「私も行くことが出来るの?」


 シンデレラは目を輝かせながら木を降りた。が、汚れた自分の服を見て我に返る。姉たちの着飾った姿を思い出して頭をふった。

 舞踏会に行ってなんだっていうのか。だいたい、王子だか何だか知らないけど、いっぱい女を集めて選ぶっていうシステムとか最低。このおばさまもなに? 私のこと「かわいそうなシンデレラ」っていったよね。私はかわいそうとかじゃないし。今はあえて継母たちの言うことを聞いてるだけだし、いつかぎゃふんと言わせる予定だし。


「どうしたの? 泣いているのシンデレラ」


 白目が赤くなったシンデレラに、女は声をかけた。


「なんでもありませんわ。行きたいけど、お掃除や繕い物など、しなければいけないことがいっぱいあるんです……」


 女の様子を見るために、可も不可もない返事をした。


「でも、今夜の舞踏会で王子様に見初められれば、今やってる家事全部しなくてよくなるわよ」


 確かに!


 今日イチ納得できた。王子と婚約が決まった女にだれが家事をさせるだろうか。継母と姉二人が何と言おうと王子様の妻、つまり妃。何を言っても許される存在、それが妃。しいたげられた今までから一瞬で解放される立場が妃。簡単に一発逆転ドヤ顔ホームラン、妃。


「で、でもぉ、舞踏会はもう始まってるわ……ぼろぼろの服しか持ってないしぃ……」

「心配無用よ。なにかまあるい物を持ってきてちょうだい」


 シンデレラは急いで台所からカボチャを持ってきた。


「そ~おれ」


 女が取り出したステッキをひとふりすると、カボチャは輝きだし、みるみる間に美しい馬車に変身した。また、家の壁をはっていたネズミにステッキをふると、立派な白馬に変身した。


「最後にそ~おれ」


 ステッキはシンデレラに向いた。彼女のみずぼらしい服は華やかなドレスに変わった。

 最後に女はガラスの靴を差し出した。シンデレラの小さな足にぴったり合いそうな、とても美しい

 靴だった。


「さあ、これで舞踏会にいってらっしゃい。ただし、深夜0時に魔法がとけてしまうから、それまでに絶対帰ってくるんですよ」


 私は姉たちと同じ行動とかしたくないし、舞踏会に行くことが正解とは限らないと思う。でもここまでされて行きませんって言うこともできないし、この人も優しそうだからとりあえず行ってみようと思う。


「ありがとうございます。いってきます」


 シンデレラはにこりと微笑み、ガラスの靴をはいた。




 優しい父と母には、かわいいかわいいと言われて育った。人には好みがあるため、万人に愛されることはないと知っているが、ある種の人間には評価される可能性も想定している。まあ舞踏会には私より美しい女性が勢ぞろいしているだろうから、私は隅で雰囲気を見させてもらえたら十分。そもそも王子様に見初められるとかじゃなくて、こういう機会は二度とないと思ったから行くのであって、王子様目的ではない。おばさまが優しかったし。あの流れで行きませんとか言えるわけなかったし。


 これが、お城に着くまでに馬車の中でシンデレラがつぶやいていたことである。

 城につくと、シンデレラはダッシュで広間へ向かった。大きくて豪華絢爛な扉を、二人の従者が両脇から開く。中からまばゆい輝きがこぼれた。シンデレラは足をすくめてしまった。広間には美しく着飾った女性たちであふれていたのだ。

 中央にいる男性が王子に違いない。シンデレラはゆっくりと広間に入り、ひとまず安心できそうな壁際を探した。

 その時である。


「そこのあなた」


 シンデレラは足を止めた。思わず声へ振り返った先に、王子がいた。

「なんと美しい……私と踊ってくださいませんか」


 ――まさかのが来た――


 生涯一の衝撃をシンデレラは忘れない。頭の片隅に抱いていた、王子様に声をかけられて一発逆転――何度も打ち消した想像がよみがえる。脳内で激しい思考が秒速で行きかう。どうするべきか。


「……よろこんで」


 シンデレラは王子の手を取った。導かれる広間の中央、人々が壁際によけていく。集まる視線には羨望が含まれている。シンデレラは頭の中で震えながら言い聞かせた。


 きっと王子さまは全員と順番に踊っているのだろう。すぐ選手交代だろう。期待しては駄目だ、私のような境遇の女に都合のいい展開は生涯無い。確かに両親には可愛いと言われたけど、言うてもそこまでうぬぼれてないし、冷静な判断は出来る方だ。違う、分かってる、違う。大丈夫、今後努力と根性でのし上がる予定です。でも素敵な思い出ありがとうございます。

 絶対期待しない。期待が間違っていた後、待っている日常は悲しすぎる。てゆうか継母と姉にバレたらお仕置きがやばい……そっちの方を考えたほうがいい! 殺意さえ持たれかねない。夜逃げするしかないかもしれない――


 考えに考えるシンデレラは王子の方をろくに見ていない。王子は彼女に振り向いてほしいかのように、他の女性は見向きもせずにシンデレラを離さない。

 時間はあっという間に過ぎた。気が付くとお城の時計が深夜0時になろうとしていた。シンデレラは魔法使いの言葉を思い出した。


「私、行かなければ」

「えっ」


 え、ではない。貧困を知らない王子には理解できないだろうが、0時過ぎると魔法がとけてぼろぼろの姿に戻ってしまうのだ。そんな姿を見ては王子も幻滅するだろう。

 シンデレラは王子から逃げるように走り出した。


「待って! 名前だけでも!」


 王子の切ない声を振り切るシンデレラ。私は灰かぶりという名前です、なんて一番言えるわけないじゃないっ!


 階段を駆け下りる時、片方のガラスの靴が脱げてしまった。拾う暇はなかった。

 追いかけて腕をつかんでほしいとか、それで魔法が溶けてぼろぼろの姿がバレても「そんな君でもいい」と言って抱きしめてほしいとか、余計なことが頭をよぎっては打ち消して走った。結局王子は追いかけてこなかった。国一のおぼっちゃまに、女性を追いかけるという概念は無いのだとシンデレラは思った。




 普段の姿とあまりに違ったため、継母と姉たちにシンデレラはバレていなかった。待っていたのは放置された家事と、彼女たちの鬼の形相だった。

 人生とはそんなものである。一生の記念で行った舞踏会だ。家事をさぼって怒られることもわかって行った。ほんのちょっとの期待も叶わないなんて、いつも経験している。


 けれども、舞踏会をきっかけに決めたことがある。近いうちに家を出て、自分の力で生きていくことだ。きらびやかな世界は夢の夢でも、ここより良い世界に行くことは出来る。住み込みで働ける場所を探して家を出よう。もちろん、全ての行動は秘密で。

 お継母さま、お姉さま、さようなら。あとは自分たちでやってくださいね。お父さま、最後までどこにいるかわからなかったね、でも優しい時を覚えてるよ、ありがとう。


 何か外が騒がしいことに、シンデレラは気が付いた。土間で食事の支度をしているときだった。姉たちが血相を変えて出迎えに行っている。いつもはシンデレラ出て頂戴と言うのに、何事だろうか。

 シンデレラがこっそり家の入口をのぞくと、仰々しい男たちが何人もいた。


「このガラスの靴の持ち主を探している。持ち主の娘であればぴたりと入るはずだ」

「舞踏会にいた姫を王子様が探しているのは本当だったんだわ!」


 姉たちは歓喜の声で叫んだ。しいたげられて働かされているシンデレラは、世の中の噂も知らなかった。


「うちの娘のものです! 間違いありません!」


 継母は言った。


「では靴を履いてみせよ」


「ほらお前たち、ちゃんと履いてみせるのよ」

「はいお母さま!」


 長女が足を入れようとした。しかし長女の足は大きくて、ガラスの靴に入らなかった。


「ど、どうやら次女の靴だったようです。ちゃんと履いてみせるのよ」

「はいお母さま!」


 次女が足を入れようとした。しかし次女の足も大きくて、ガラスの靴に入らなかった。


「二人の娘は違うようだな」

「お待ちください! 入るはずなのです。ほら頑張って!」

「痛い、痛いっ」

「それよりもう一人の娘に試させろ」


 男の言葉に継母はびくりと動きを止めた。


「な、なぜそれを……」

「そこにいるではないか。連れて来るがよい」


 男の視線の先を追い、全員が振り返った。彼らの様子をのぞいていたシンデレラは、肩をすくめた。

 継母がぎこちなく笑顔を作る。


「確かに三番目の娘がおりますが、あの子は自ら灰をかぶるのが大好きな、汚らしい娘でして……」


 しゃべり続ける彼女の横を、シンデレラは通り過ぎる。男たちは何人もいて、家の外の遠くを見ると、白馬に乗った王子がいる。彼女は一礼し、輝くガラスの靴に足を入れた。

 シンデレラの小さな足は、国中のどの娘も入れることのできなかったガラスの靴に、ぴったりと収まった。周囲は言葉も出ないほど驚いた。さらにシンデレラが服のポケットからもう片方のガラスの靴を取り出すと、場は停止したかのように静まった。


「見つけた」


 王子が白馬から降りて彼女のもとにやってくる。端切れをつないだ汚い服をまといながらも、ガラスの靴を履いたシンデレラ。彼女は固く口をとざしたまま王子を見ていた。王子はやってくるなり跪いた。


「私の妃になってください」


 王子の瞳はあの夜と同じだった。

 姉たちが嘘をついて悪あがいている時、シンデレラは王子が自分を探していることを知った。全ては思いもよらぬほど、恐ろしいほどにきらびやかな結末を用意していたということを知った。


 どうせ自分には、乙女のような幸せはやってこないと言い聞かせていたシンデレラ。

 幸せは自分の力でつかみ取るから、家を出て働こうと決意していたシンデレラ。

 いいの、大丈夫、だって過酷な労働をしてきた私ならどこでもやっていけるし、苦労したあとつかみ取る勝利は何よりも気持ちいいはずだし。



 だけど、王子の妃になれるならそれにこしたことはないです。



「はい」



 シンデレラは微笑んでおじぎをした。





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