第2話 青傘の女(上)
「あの・・・それで、除霊とかお祓いとかして貰えるんでしょうか?」
事務所に戻って元の椅子に座って三十分、私はずっと何やら呟きながら髪を触る男を見続けている。
何を言っても返事は無く、仕方がないので床に散乱している湯呑みの破片でも片付ける事にした。
私が出て行ってから一体何があったというのか・・・
私を追いかける時、慌てて飲んでいた湯呑みを落として――って、んな訳ないかこの人間は。
破片を拾っているとある事に気が付いた。
零れている飲み物の量がやけに少ない事――
では無い。それは服にひっかけたからというのは見るに明らかである。
それは――
この湯呑み、見た目と違って超安物じゃないか!!
そして、この匂い――
「コーヒーなんかい!!!!」
静かな部屋に響いた声はエコーがかかったように反響した。
しまった、恥ずかしい。
顔中が熱された鉄板の如く熱を放つ。
その時だった、男は突然席から腰を上げたのは。
私は何か言われるのだと心構えをしたが、男は何も言わずに私の隣を通り過ぎ、外へ出て行ってしまった。
え――?
状況を掴む事ができず、男が出て行った戸を見つめて放心状態の私は、再び戸が開いた勢いで肩が竦む。
「何をしているんだ、早く案内しろ」
そう言って出て行こうとするので、私は男を呼び止めた。
「待って、外へ行くんならそんな格好じゃ駄目よ」
首に巻いていたスカーフを解いて折り直すと、男の腰に通して縛る。
運良く無地の布だったので、即席にしては上手く着物の裾に付いたシミを隠せたと、我ながら満足していると、男は丸い眼鏡をかけ直して一言『介添え人のようだな』とだけ言った。
あぁそうですか、そうですよ!
どうせお礼の一つも聞けない事は想定しておりましたとも!
こうなったら、意地でもこの男について行ってこの問題を解決させてやる!!
私は男の後を追いかけて、軋む戸を勢いよく閉めた。
※ ※ ※
最初に案内したのはあの雨の夜、初めて青傘の女を見た場所。
そこはバス停どころか店も何も無い、車が一台通るのがやっとの道の脇で、丁度緩やかな坂の途中である。
私はいつもこの坂を登って自宅へ帰るのだが、あの日から気味が悪くなり通る事をやめてしまった。
今日はまだ日が高いとはいえ、やはりあの日ぶりと思うと足が震える。
「えっと・・・この辺りに立ってたんです。こう・・・何か生気が感じられない感じで、笑っているような――もしかしたら呪っていたのかも!!昔この道でひき逃げされた女性の魂が」
「少し黙れ、聞いた事だけ答えればいい」
そういう男は坂の下に立って眺めるばかりで何を調べるでもない。
これなら来た意味がないじゃないか。
何だか自分だけやる気を出すのが馬鹿馬鹿しくなり私も男の方へ坂を下ると、男は細く古びた街頭の周りを眺めていた。
「この街灯は着いていたか?」
そういえばどうだっただろう・・・
そんな事気にもした事がないし、聞かれるまで存在も知らなかった。
「どうだろう・・・でも青傘の女が暗く見えたし、着いてなかったんじゃないかな?」
「・・・あぁ、だがあくまで可能性の話だ。決め付けるのは危険だ」
確かにそうだ。
私の記憶はあやふやな所が多いのかもしれない・・・もしかしたら全部気の所為――
「次だ」
次に来たのは二度目に青傘の女を見た場所。
先程の場所とはそう遠く離れていない路地で、普段は通らないのだが、買い物をして帰りが遅くなり、見たいテレビの放送時間が迫っていた為近道の此方を通ろうとしたんだ。
「そんなに長い道ではないけど、狭い道に人が立っていたから不思議に思って見ると青い傘をさしていて、怖くなって通らずに普段の道を走って帰ったの」
「次」
「ちょっと!!」
男は大して調べもせずさっさと歩いていってしまった。
最後に来たのは最後に青傘の女を見た場所。
それは私が一人で住んでいるアパートの外の階段。
久しぶりに会う友達との飲み会に出かけようと、身支度をして外へ出るとあの女性が階段の下に立っていた。
「私、怖くてそれから夜には一歩も外に出られなくなったの・・・って聞いてるの!?」
男は私の話を全く聞かずに階段をさっさと上がっていくと、上から声だけを飛ばして『人を家の前まで連れて来て茶も出さないのか?』と。
図々しいにも程があるんじゃないか!?
私は今にも噴火寸前の煮えたぎる怒りを、押し殺し押し殺し階段を踏みしめると、部屋のドアに鍵をさして回した。
「随分と、散らけた部屋だな」
二十代、一人暮らしの女性の部屋に踏み入っての感想はそうじゃないだろう!!!!
「ごめんなさいね。お陰様で最近、除霊やお祓いに忙しかったもので!」
霊媒師、除霊師、占い師、神主、僧侶、調べる限りの有名な門を叩き、言われるがままにしていた結果、一人暮らしのワンルームはあっという間に足の踏み場も無い状態へと変貌してしまっていた。
「待ってて、今お茶を入れるから」
そう言って足で動かして仕舞わないようにそっと部屋の中へ入って行くと、後ろから騒音が聞こえてくる。
慌てて戻ると、ズケズケと土足で上がり込み、和服の長い裾や袖でこれでもかと魔除の品々を蹴散らす悪魔の男が一人。
「止まれぇーーい!!アンタ、何してくれてんの!?ここはJAPANよ!OK?それに、これ全部魔除なの!場所や向きが決まってんの!めちゃくちゃ高いんだからね!本当馬鹿じゃないの!?それでも心霊探偵なの!?やっぱりアンタ偽物なんじゃな」
「これが――。うむ、おかしいなこの前これと同じ品を百円均一の店にて見た。それに――やはり、この部屋は普通の部屋のようだ。心霊に関して言えばではあるがな」
な!?百円!?普通!?
何なのよ、そんなの見るだけで分かる訳ないでしょーが!!
「ねぇ、私にはもうアンタしか頼る所が無いのよ・・・本当にあの霊を除霊してくれるのよね?」
「除霊やら祓うやら・・・お前達は何様のつもりなんだ?これだから人間は嫌いだ」
また、騙されたのか私は・・・
視界が潤み、目から涙が溢れて止まらない。
もう駄目なんだ。
そう思うと膝が崩れた。
この歳になって人前でこんなに声を張り上げて泣く事になるだなんて――
ふと、頭の上に柔らかな重みを感じ触ってみると、タオル地のハンカチがかけられていた。
「な、・・・全く、仕方ないな。もう十分だろ、いつまで立たせておく気だ。早く座らせろ」
私は男を奥に通すと、ハンカチで顔を拭いてやかんをに火をかける。
なんだ、案外優しいところもあるんじゃない。
こんな可愛らしいハンカチを持ち歩いてるなんて意外よね。ギャップ萌え的な?
あれ?・・・これよく見たら私のじゃない?
でもこれ部屋の中に干してあった筈だけど・・・
「ピィーー!!」
おっと、危ない。
火を止めて急須にお湯を移すと、お茶菓子と共にお茶を出した。
「どうぞ、大した物はありませんが」
事務所で久しぶりに見た湯呑みが懐かしくなり、引っ張り出してしまった。
はぁ、やっぱりお茶は湯呑みよねぇ。
気持ちがまったりして落ち着くわぁ、やっぱ洋かぶれても日本人なのねぇ。
「なんだ?!コーヒーじゃないじゃないか!茶なら茶と最初に言え!驚くだろ!?」
「それはこっちのセリフじゃーー!!
自分は客に茶も出さなかったくせに、出して貰えただけでも有難いと思えーー!!」
い、言ってしまった。
でも仕方ないよね、本当の事だし・・・
私は悪くないわよ、悪くないわ・・・悪くない筈なのに・・・。
何でそんなにしょんぼりしてるのよ!!
ほら、さっき迄みたいに毒舌ツンツン大王しなさいよ!言い返しなさいよ!
「そうか、言われないと分からなくてな・・・すまなかった」
そんなにしおらしく言われると、私が悪いみたいじゃないの・・・。
何だか初めて目が合った気がするわ。
「いいえ、ごめんなさい。私が悪いのよ。最近ストレスが溜まってたから――聞いて貰えただけでも良かったわ、ありがとう探偵さん。これ飲んだら帰って頂戴、仕事はこれでお終いでいいから」
近くで見ると案外若い人だったのね。
私とそんなに歳変わらないかも・・・
良く考えたらこの歳で自分の会社持ってるなんて凄いんじゃないの!?
それに比べて私は――
「俺を見くびるな、貰った対価に見合う仕事はさせて貰う。それに・・・
対価って、今までの所とは比べ物にならないくらい安かったのだけれど・・・
この会社大丈夫なのかしら・・・
「そう、あまり期待しないでおくわね・・・」
暫く休憩すると、男はそのまま事務所に戻ると言うので、玄関まで見送る事にした。
「そうだ、最後に聞きたいのだが。
傘の女性はいつもどっちを向いて立っていただろうか?」
「えっと・・・、言われて見るといつも私の方を見てた気がするわ・・・!ちょっと!帰り際にやめてよ、怖くなるじゃない!!」
背筋に寒気を感じ身震いする私を後目に、男はいつもの調子で『そうか』とだけ言って帰って行った。
部屋に一人残された私は、倒れた置物を起こして回る。
不気味な容姿の、猫だか犬だか分からない顔ほどある置物。
それが妙に目に付いて、思わず抱き上げていた。
『うむ、おかしいなこの前これと同じ品を百円均一の店にて見た』
「・・・お前、百均だったの?」
裏返すとお尻の下にmade in Chinaと刻印されている。
それを見て私は吹き出した。
転げ回って腹の底から笑って、こんなのいつぶりだろう。
天井からぶら下がる無数の飾りが赤子の玩具のようで懐かしい。
きっと気の所為だ。
明日から仕事にも行こう――
そうだ、次の休みに久々に実家へ帰ってみるのも悪くないかも。
大サイズのゴミ袋を引っ張り出して手当り次第詰めるとなんと三袋も一杯になってしまった。
暫くはリサイクルショップ通いか・・・
壺もあるしなぁ・・・
物を片付けると部屋が広くなり、心も少し晴れやかに感じる。
ついでに髪でも切ってみようかな?
「そうだ、湯呑み洗わないと」
狭い流し台に突っ込んで洗っていると、ふとあの嫌味な男を思い出す。
本当散らけるだけ散らけて行ったな、あの男は!
絶対彼女いない!!
あんなでちゃんと生活出来ているんだろうか?
「あ!!スカーフ返してもらってないじゃん!!」
元彼に貰ったやつなのに・・・
もういい!!
これからはバリバリ働いてキャリアウーマンになってやるーー!!
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