6.アイドルフェスと握手会


 多くの人が忘れているかもしれないので改めて自己紹介をすると、私はアイドルなんていう浮ついた仕事をやっていたりする。


 芸歴五年。

 まともに売れ始めたのは三年前にライアーコインを結成してからで、ブレイクしたのは二年前。深夜ドラマの主題歌CDがヒットチャートに載って一躍有名になった。


 おかげで最近は、テレビ仕事が増えてきて嬉しい限りだ。これが一過性のものにならないよう兜の緒を締めなければいけない。つまり、決して不祥事などを起こしてはいけないのだ。闇カジノ通いなんてバレた暁には、一発で私のアイドル人生は終わりを告げるだろうし、ついでにユニットメンバーも道連れになってしまうので、絶対に隠さなければならない。


 そんなわけで。

 ギャンブル好きな私がやっている一番のギャンブルが、闇カジノに通うことそのものであるという笑い話にもならない戯言は置いておいて――私の本業はあくまでアイドル業であって、何度も言うようにカジノ遊びはただの趣味でありライフワークである。


 お仕事はきちんとやりますよ。


 本日はフェス。

 毎年二月に行われる冬のアイドルフェスで、参加グループは約五十組というお祭りだ。


 アイドル戦国時代なんて言葉ももはや死語になりつつあるけれども、こうしてフェスがあればポンポンとたけのこのように生えてくるのがアイドルという生き物である。すくすく伸びる将来性のある子たちばかりです。なお、伸びすぎると固くなるため賞味期限は短いのです。まあ、私達にとっては今が旬なので、先のことなんて心配するくらいなら今を全力でやりなさいという話なわけだけれども。


 ライアーコインが単独ステージで頂いた時間は四十分。

 トークを挟めつつ三曲を披露して、大盛況の内に終わらせることが出来た。


「ぜぇ、ぜぇ。あー、しんど」


 曲が終わって舞台裏にはけたところで、センターの夏恋ちゃんは息を切らしながら豪快にパイプ椅子へと倒れ込んだ。そのすぐ隣で、メンバーの手毬ちゃんが小さく息を整えながら楚々と腰を下ろす。


 そんな二人を前に、私はスタッフさんから渡された飲み物を口に含んだ。


「二人ともお疲れ様。ハードだったけど、なんとか乗り越えられたね」


 ユニットのリーダーとして、年下二人にねぎらいの言葉をかける。


 今回は屋外でなおかつステージが複数あるフェスなので、目立つために派手目の振り付けをしたのでハードだったのは確かだ。練習もそれなりに積んだけれど、本番の熱気によって自然と気分は高ぶるし、想像以上に消耗するのは仕方ない。


 そんな私の素直な言葉に、息を切らした夏恋ちゃんは、アイドルがしてはいけないようなげんなりとした顔をした。。


「みゃー姉、なんでそんな元気なの……」

「何言ってんの、疲れたに決まってるでしょ」

「その、割に、息が切れて、ないじゃない……」


 ぐったりと背もたれに体を預ける夏恋ちゃん。そのまま溶けて椅子と一体化しそうだった。どうでもいいけれど、仮にもアイドルならもう少し周囲の目を気にして欲しい。舞台裏とはいえ、他のアイドルさんたちも見ていることだし……。


 私が困った顔をしていると、隣でおしとやかに座っている手毬ちゃんがしみじみと言った。


「でも……ミヤ姉さん、ほんとにすごい。私なんて、足ガクガクなのに」


 見上げてくる瞳がキラキラとしている。う、眩しい。これが尊敬の眼差しというものなのか……。いや、私だってそれなりに疲れているし本当は座りたいんだけど、後輩二人と周囲の目を気にして、頑張って立っているだけなんだよね……。


 私は気恥ずかしくなって、頬をかきながら話題をそらす。


「振り付けの差もあるでしょ。夏恋ちゃんの場合、飛び跳ねる動きがある分、体力使うだろうし。サビのジャンプが決まった瞬間、観客の歓声すごかったでしょ。さすがセンター。夏恋ちゃんかっこいい、ひゅーひゅー!」

「……その後ステップ間違えて、ダンスのテンポずれたけどね」


 あ、分かってたか。

 致命的なミスというわけではなかったけれど、私が空いたスペースにフォローに入ったので事なきを得た。ライブ中のアドリブは無いわけじゃないから、勢いでごまかしたつもりだったけど、やはりミスをした本人が一番気にしているようだった。


 夏恋ちゃんはだらしない格好をしながら悔しそうに言う。


「パフォーマンスが百点だったのはてーちゃんの方でしょ。練習の時からずっとぶれないし。私はテンション上がるとどうしても動きが大味になるけど、手毬は本番でも安定してるから、背中を預けるのが安心するもの」

「そ、そうかな……。夏恋ちゃんのフォローが出来なかったのが心残りだけど、そう言ってもらえると嬉しい」


 急に褒められて手毬ちゃんはポッと頬を赤くする。長身女子が褒められて恥ずかしがっている。すごく可愛い。額縁に入れて飾りたくなる。


「まあでも、確かに手毬ちゃんのダンスは安定しているよね」


 私も追随してしみじみと言う。


 ダンスの練習では、自分の動きを客観的に見るためにビデオで撮って見返すことが多いけれど、三人の中で一番動きに無駄がないのは手毬ちゃんだった。

 もちろん完全に一致するということは無いけれど、ダンスでは無駄のない動きというのが一番見栄えが良くて、同時に一番難しい。それを手毬ちゃんは、練習でも本番でもしっかり見せてくれる。

 その分、不測の事態ではアドリブが効かないのが玉に瑕だけど――逆に言えば、一度ペースが崩れても、手毬ちゃんの動きに合わせれば修正が効くので、すごく助かっている。


「手毬ちゃんは、あんまり緊張しないよね」

「そんなこと無い、よ。お客さんに見られると、ドキドキするし……でも、身体を動かすと自然と踊れるから、変なことは考えないようにしてるけど」

「自然と動けるくらい練習やり込んでるってことだもんね。手毬ちゃん、私達の中で一番うまいのに、人一倍練習しているから偉いよ」

「あ、ありがと……うぅ」


 火照った頬を覚ますように手毬ちゃんは両手で顔を覆う。こうしてみると、案外あがり症なのかもしれない。それでもステージに立てば変わるのだからすごいものだ。


 この仕事をしていると嫌でも思い知るが、状況によってパフォーマンスが変わらないというのは、人前に立つ上でこれ以上無い才能だ。手毬ちゃんは物静かで自己主張の薄い子だけれど、そういう所は私達の中で一番アイドルの才能があるといえるかもしれない。


「安定したパフォーマンス、か」


 そこまで考えて、不意に意識がプライベートの方へ向く。


 常に同じパフォーマンスを見せるディーラー。

 全く同じ結果を出すという、到底ありえないことをやってのける神業。


 あのディーラーが出力する結果は機械的だが、その繊細な技術はあまりにも人間的だ。この世界ではあらゆるものに物理法則が働いている以上、仮に機械を使って同じことをやろうとしても、必ず誤差が生まれてしまう。

 温度、湿度、摩擦、空気抵抗、経年劣化の摩耗――もともとルーレットは繊細な器具であり、少しの影響で結果が偏ることがある。


 もし、あのディーラーのやっていることが本当に実力によるものだとすれば、彼女はその誤差すらも計算づくで、繊細に微調整しながら狙った結果を叩き出していることになる。


 それはまるで、無機質さと情熱を併せ持ったような奇妙な感覚だった。


「言ってしまえば、どう動けば人が感動するかを考えながら踊ってるみたいなもんよね」

「ミヤ姉さん、なにか言った?」

「ん、ごめん。独り言」


 いけない。つい言葉が漏れていたようだ。

 今は仕事中なんだから、集中しないと。


「ほら、二人とも。もうすぐバラエティステージに行くんだから、そろそろ回復しなさい」


 この後の予定は、バラエティステージで他のアイドルグループと一緒にゲームをして、その後は握手会に参加して終了だ。もうひと踏ん張り、しっかりお仕事をこなしましょう。


 人に見られる仕事。

 自分を客観視する仕事。


 アイドルというのは突き詰めていけば、自己をとことんまで客体化する仕事だ。偶像としての自分をいかに表現するか。それは、自己中心的では決してなし得ない。天然で受け入れられる魅力を持ったアイドルも確かに存在するが、そんなものは突然変異のようなもので、大抵はどんなに我が強いアイドルでも、他者の目を意識して人前に立っている。


 ファンの反応を見ながら、自分という偶像をどう見せるかを調整する。

 それを計算づくで、なんて言えばかっこいいけれども、生身の人間が相手である以上、それはあくまで感覚的なものだ。


 けど、その感覚は馬鹿にできない。


 私はギャンブルを嗜んでいるが故に、数字の持つ絶対性を嫌というほど理解しているが、だからこそ逆に、人間の感覚的な部分こそが結果を分けると思っている。

 この世に誤差が存在する以上、100%という数字は存在し得ない。絶対が無いのならば、物事の成否を大きく分けるのは、機械的な計算ではなく人間的な感性だ。


 情熱だとか、感受性だとか、思いの強さだとか――そういう感情的な部分が、絶対の無いこの世界で、良くも悪くも絶対を作り出してしまう。


 つまり、偶像として自分を見せるためには、人間的な感性を研ぎ澄ます必要があるという話なのだけれども――逆に言えば、感情的であろうとすればするほど非人間的な存在に近づいていくなんていう、たちの悪い冗談も言えてしまうのだけれども。


「今邑さんは、どっちなんだろうな」


 100%という事象が存在しないこの世界で、絶対を体現する人物。


 誤差すらも上塗りして機械的な結果を出力する彼女は、果たしてそれを本当に計算づくでやっているのだろうか。それとも、まさか感覚的に出来てしまうのだろうか。どちらにせよ、彼女のディーリングはもはや人間味のない神業であることは確かだ。


 あれから一ヶ月。

 今邑というディーラーは未だに見つけることが出来ていない。


 新人アイドルが雨後の筍のようにポンポン生えてくるように、闇カジノだって知らぬ内に営業しているものだけど、凄腕のディーラーが現れたという話は聞こえてこないのだった。頼みの綱の櫻庭さんからも連絡がないし、これはしばらく見つけられないだろう。


 別にあのディーラーにことさら執着しているわけではないので、もう忘れてしまっても良いのだけれど――


(あの神業を二度と見れないのは、ちょっと残念だな)


 なんてことを考えながら、私は握手会をこなしていく。


 にこやかに笑いながら、「応援ありがとうございます」と手を握って目を見つめる。動作に感情を乗せる。特別性を演出する。一色雅ではなく『一ノ瀬みやび』としての偶像を形作る。ファンが見たいと思うアイドルとしての姿を表に見せる。


 計算して。

 感覚的に。


 どこまでが理屈でどこまでが感覚なのかなんて、厳密に分けることなんてできるわけがない。あえて言うならば、その曖昧さこそが人間らしい活動だ。六年かけて作り上げた『一ノ瀬みやび』という偶像は、今やもうひとりの私と言えるくらいに実像を結んでいる。


 内心でどう考えていようと、仕事モードになった私は完璧に一ノ瀬みやびを演じてみせる。


「――――」


 はず、だった。


 次に私の前にやってきたファンを見た瞬間、私は思わず固まってしまった。


 握手会に並ぶ列からやってきたのは女の子だった。

 年の頃は私と同じくらい、二十代半ばの可愛らしい女性。オーバーサイズのチュニックに、フレアスカートというダボダボコーデ。頭にはキャスケットをかぶり、目元にはカジュアルな赤フレームの眼鏡。肩にはアイドルグッズとして販売されているトートバックを下げている。


 彼女は満面に笑みを浮かべながら、勢い込んで私の手を両手で握ってきた。


「みやびちゃんだ! うわぁ、本物だ! あ、あのあの、ずっと会いたかったです! みやびちゃんのことはライアーコインの前から知ってて、ずっとずっと応援してて、見てるだけで勇気がもらえてて、実は感謝の印にファンレターも送ったことがあるくらい大好きで……って、そんなのどうでもいいですよね。ごめんなさい! 、テンション上がっちゃって――」

「いまむら、さん……」


 言った。

 確かに今、『今邑』って、自分のことを言った。


 そうでなくても、ひと目見た時から分かった。童顔にお下げの可愛らしいディーラー。別に変装をしているわけではないから、私はすぐに気づいた。


 しかし、今邑さんの方は私に気づいていないようだった。無理もない。私はカジノに行くときは化粧とファッションをガラリと変えて変装しているから、アイドル姿の私を知っている人ほど気づきづらいのだろう。


 突然の再会に呆然とする私に対して、今邑さんは動揺してオロオロとし始める。


「え、えとえと、ごめんなさい。今邑、嬉しすぎてはしゃいじゃって……もしかして、みやびちゃんに迷惑かけちゃったみたいですか?」

「そう、じゃ、なくて」

「へ?」


 ああ、駄目だ。


 今の私は一ノ瀬みやびであって、ギャンブル好きの一色雅ではない。今やるべきことは握手会でファンを喜ばせることで、趣味を優先させることではない。分かっている、分かっているのだ。けれども、この一ヶ月、ずっと心の片隅に住み着いていた好奇心が、アイドルという仮面の隙間からするりと抜け出て、手を伸ばそうとしていた。


 結果、私は思わず聞いてしまっていた。


「――ヒットチャレンジルーレットは、今はどこでやってるの?」


 瞬間、表情が凍ったのが分かった。


 両手で握られていた手は離され、今邑さんは一歩後ずさりする。その顔に浮かんでいるのは困惑。どうしてそれを知っているのかと、怯えながら見つめてくる。私が誰かを必死で思い出そうとしているようだが、思い当たるフシがないのか次第に泣きそうな表情に変わっていく。


 このままではまずいと口を開きかけた所で、スタッフの誘導が入った。


「時間です。列を進めてください」


 握手会で一人のファンがアイドルと話せる時間は、せいぜいが一言二言だ。あまりにしつこいと会場スタッフから注意が入る。ドルオタなら慣れたもので、今邑さんは弾かれるようにさっと身を翻そうとした。


 せっかく会えたのに、このままではまた彼女の行方がわからなくなる。


「待って」


 その焦りから、私は思わず彼女の袖を掴んでいた。


「みやびちゃん!? なんで――」

「上野の――」


 アイドルとしての理性は吹き飛んだ。自我という衝動が背中を押す。


 私は身を乗り出しながら今邑さんに顔を近づけると、彼女にだけ聞こえるくらいの声で、一息に言い切った。


「カフェ『アンバー』で、金曜の午後一時」


 最後に――せめてものプライドから、ヒビの入ったアイドルとして仮面をつけ直して言った。


「――今日は来てくれてありがとう。待ってるね」



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