4.平成の不動産王


 バブルが終わり、時代は平成不況真っ只中。


 世の中全体が先行きの見えないどんよりとした空気に満たされていた時代に、一色勘九朗は歌舞伎町に姿を表した。

 伯父は当時二十歳の若造だ。田舎を出て着の身着のまま、身一つでアジア最大級とも呼ばれる歓楽街へと足を踏み入れた伯父には、行く宛などなかった。


 若気の至り、無鉄砲、大胆不敵――いろんな言い方は出来るだろうけれど、のちの彼に言わせれば、ただの馬鹿である。分別のないガキが、都会に出れば成功できると思いこんでいたのだと、後に伯父は語ってくれた。


 何のスキルも持たない若造が都会で生き抜く方法といえば、手段はそう多くない。暴力に訴えるか、ギャンブルに手を出すかだ。

 幸いにも伯父はガタイもよく、麻雀の腕にも覚えがあった。まだバブル期の幻想にすがりつく博奕狂いどもをカモにしながら、伯父は歌舞伎町の待ちでしのいでいった。


 しかし、そんな生活が長く続くはずもない。

 博奕も暴力も、振るえば振るうほど反動は大きく、行き着く先はどん詰まりである。


『てめぇか。うちの系列店で暴れてるってガキは』


 七星ななほし研吾けんご

 平成の不動産王と呼ばれていた男が、伯父の前に現れた。



 ※ ※ ※



「七星研吾っつー男は、まあアレだ。フィクサーみてぇなもんだな」


 トン三局。

 親は英知くん。


 打牌を進めながら、トラおじちゃんは思い出話に花を咲かせた。


「地上に七星しちせい、っつってな。とにかく七星は、歌舞伎町の顔役として有名だった。なにせ奴は、歌舞伎町の不動産を根こそぎ押さえていやがったからな。その大半は博奕で奪っていったものだが、過程なんかよりも、不動産王っつー結果が何よりもやべぇ」


 言いながら――トラおじちゃんの右手が不自然な動きを見せた。


 私は反射的に手を伸ばそうとしたけれども、わずかに間に合わずに、彼の手は手牌の右端に戻った。くそ、今のはすり替えたのか、それともブラフか読めない。すり替えたと見せかけて、私がチョンボを指摘したら、実はすり替えていなかったというパターンもある。その場合、アヤをつけたとして私の方が責められかねない。


 私とトラおじちゃんの間で静かな攻防が繰り広げられる中、彼はそんな水面下の争いをおくびにも出さずに思い出話を続ける。


「歌舞伎町の土地を押さえてるっつーのが何を意味するかわかるか? オカマの兄ちゃん」

「へ? 不動産を、ですか?」


 急に質問を投げられた英知くんは、戸惑いながらも打牌とともに答える。


「えっと、家賃収入で資産がとんでもない、とか……?」

「あはは、違うぜ、女装の兄ちゃん」


 英知くんの答えに、鯨波が「ポン」と発声しながら口を挟んできた。


「不動産を、それも土地を押さえてるってことはだ。歌舞伎町で新規になにかの商売をするとなったら、まず七星の許可が必要だってことだ。なにせ、テナントそのものを押さえてるんだからな。これが普通の商売だったら問題ないだろうが、ここは歓楽街だぜ。それはヤクザモンと同じで、実質的に、街を支配していたと言っても過言じゃねぇわけだ」

「姉ちゃんの言うとおりだ。要するに、七星は歌舞伎町の裏の顔だったわけだ」


 鯨波のポンによって私の番が飛ばされ、再度トラおじちゃんのツモ番が来る。彼の太い指が山に伸びるが、今度は不自然な動きはない――いや、右手を手牌に戻す直前に、山の上を不自然に撫でていった。あの一瞬で、ツモ牌と山の牌をすり替えたか。音も立たず、並んだ牌もずらさずにすり替えるなんて、相変わらずの超絶技能だ。イカサマをしていると分かっている私でもしっかりと視認出来ないのだから、何も知らない相手なら疑いもしないだろう。


 手出しで五筒ウーピンを捨てながら、トラおじちゃんは話を続ける。


「歌舞伎町の雀荘なんてもんは、全部に七星の息がかかってるようなもんだった。そんな所で、勘ちゃんは身の程をわきまえもせずに暴れまわってたわけだ。案の定、大親分の目に止まって、直々にぶっ叩かれた。それが、七星と勘ちゃんの最初の勝負だな」


 七星について、私は直接会ったことがないのであくまで伝聞だけれども、それこそヤクザと正面切って敵対するくらいには、剛毅な人物だったと聞く。


 不動産王であると同時に凄腕の博奕打ちで、昭和の時代を腕一本でのし上がっていった豪傑という話だ。どこの組にも与さず、ただ一人で裏社会を渡り歩いた男。そもそもが、彼の資産の大半はバブル期に博奕で奪い取ったものだというのだから、スケールが違う。


 そんな七星研吾に伯父は喧嘩を売り、そして――惨敗した。


「ロン。倍満だ。甘いな、みーちゃん」

「…………」


 気を抜いていたら、トラおじちゃんに対して振り込んでしまっていた。

 清一色チンイツ一盃口イーペーコーで倍満。

 まだ六巡目でそんなきれいな手を作ってくるのだから、絶対になにかしている。くそう、容赦なしかこのオヤジ。


 点棒を渡して、すぐに次の局に移る。

 東四局。親は私だ。ここで連チャンしないとさすがにきついけれど、配牌は散々だった。


「話を戻すか。七星と勘ちゃんの最初の勝負だが、まあありゃひどかった。ぶっちゃけ、手も足も出なかったって言っていい」

「へぇ、おっさん、見てきたみたいに詳しいじゃん」

「見てたからな。アン時のオレっちは、七星の雀荘で働いてたんだ。――お、悪いね。ツモだ」


 トラおじちゃんはあっさりと和了あがる。タンヤオのみ、千点。

 私の親を安手で流して、満足そうに「がはは」と笑う。


「赤子の手をひねるって言やぁいいかね。勘ちゃんが何をしようとしても、七星はあっさりとそれを踏み潰した。挙げ句に、勘ちゃんが追い詰められてイカサマをしたのを見抜いて、逆に利用したくらいだ。ま、当時駆け出しだった勘ちゃんにゃ荷が重かったんだろうさ。そりゃもう大負けして、最終的には億の借金を背負わされた」

「億って、そんなのどうしたんですか……?」


 横で聞いていた英知くんが、ドン引きしながらちらりとカウンターに居る伯父の方に目を向ける。伯父はと言うと、素知らぬ顔で新聞を読んでいる。自分の黒歴史を嬉々として語られている中で知らないふりをするのは、さぞ大変だろう。心中察するに余りある。


 さて、今でこそ雀荘でふんぞり返っている伯父だが、若かりし頃は返せるあてもない大量の借金を背負わされて、もはや死ぬしか無いくらいまで追い詰められたわけだ。しかしその時に、七星が借金の清算代わりに伯父を拾ったのだという。


「当時、七星は金持ち連中を相手に、高レートのギャンブルを斡旋していてな。中でも麻雀はウケが良かった。そこに、代打ちとして勘ちゃんを送り込んだわけだ。勝てば借金は返せるし、負けてもずっと飼い殺しできるって寸法だ」


 そう表現すると、まるで奴隷のようでろくな待遇じゃないように聞こえるけれども、伯父から聞く限りだと、それなりに目を掛けてもらっていたのだそうだ。


 金も後ろ盾もない若造が、都会でなんとか生活の基盤を作れたのは、七星に世話をしてもらったからだと伯父はよく言っていた。


 だが――若い頃の伯父は、その境遇を手放しで喜んでいたわけではなかった。


「血気盛んな若いやつが、爺に片足突っ込んだヤツに顎で使われていい気分がするわけがねぇわな。加えて、最初は倒そうとしていた相手なんだ。いつかリベンジを、ってのが、勘ちゃんの原動力だったわけだが、それをヤクザが目をつけた」


 中でも歌舞伎町をシマにしていた仙道会系ヤクザにとって、七星の存在はあらゆるシノギの邪魔となった。

 みかじめを取ろうにも反撃を喰らい、闇カジノを開いても七星の高レートな賭場に客を奪われる。何よりやっかいだったのは、七星が半グレとのつながりを持っていたため、暴力の面でも対抗できる力を持っていたことだ。


 そんな所に、七星を敵視する伯父の存在が明るみに出た。


「三年くらい経った頃かね。仙道会のヤクザが、勘ちゃんを引き抜いて七星を裏切らせたんだ。それをきっかけに、七星と勘ちゃんは表立って反目することになった」


 不動産周りの賭け麻雀だったという話だ。表向きは競合他社との親睦会という名目だったが、裏では仙道会系のヤクザがバックについていて、七星の土地を根こそぎ奪おうとしていた。

 コンビ打ちの総得点で上位が総取りというギャンブル。そこに、七星側からは伯父ともうひとりが参加していたのだが、その勝負において、伯父は相方を裏切った。


「ふぅん」


 と、そこまで聞いた鯨波は、唐突にニッチなことを言い出した。


「まるで『リスキーエッジ』の吉岡と青柳みたいな話だな」


 なまじ理解できてしまうもんだから、私は反射的に別の例を出してしまう。


「『凍牌』のケイと高津の関係も似てますよね」

「お、話がわかるじゃねぇか、一色ちゃん。なら、『ライオン』の堂嶋と本物の対決もそれっぽくないか? 無鉄砲に挑戦して返り討ちに合った辺りなんかよ」

「それなら、『根こそぎフランケン』で竹井に反目する田村も似てるように思いますね。飼い殺しにされるのをいやがって一矢報いたわけですし」

「一色ちゃん詳しいね。めっちゃ話せるじゃん」

「初手で『リスキーエッジ』を出して来るあなたには敵いませんよ」


 互いに通じ合った笑みで見つめ合う。ちなみにこの間、英知くんは完全に蚊帳の外で疑問符をいくつも浮かべていた。気にしないでいいよ、英知くん。ただのオタクの会話だから。


 勝手に通じ合っている私達に対して、トラおじちゃんは横から口を挟む。


「オレっち達の間じゃ、出目徳と坊や哲って認識だったんだがなぁ。ま、勘ちゃんの向こう見ずっぷりはドサ健って感じだったがよ、がはは。おっと、それロンだ」


 言いながら、トラおじちゃんは私の捨て牌をロンしてきやがった。満貫八千点。

 そんな風にオタクの会話を一通りした後で、鯨波が話を戻す。


「一色勘九朗が七星研吾を裏切ったのは分かったよ。けど、飼い殺しされんのに嫌気が差したっつーんなら、ヤクザ側についたんじゃ、結果は変わんねーんじゃないの?」


 まあ、当然の疑問である。

 待遇の良し悪し以前に、人に顎で使われるという結果が変わらないのなら裏切りメリットはそれほど無い。よほど七星のことを嫌っていたのか、はたまたヤクザ側の待遇が良かったのか。


 答えとしては、どちらでもない。


「確かに勘ちゃんは、七星を裏切ったよ。ただ同時に、ヤクザの言いなりにもならなかった。あいつはよ、その勝負に参加したのさ!」


 一人大勝して、七星も仙道会も敵に回したその一戦。

 それは、後に語られる一色勘九朗の伝説の最初の一ページだったと言っていいだろう。


 ちなみにその後、伯父は勝ち金に手を付ける余裕も無く、全力で逃げ出したという。当然といえば当然の話で、歌舞伎町の裏を牛耳る二つの組織の顔に、正面から泥を塗ったのだ。結果的にどちらの組織も損はしていないのだが、裏社会において重要なメンツを汚されたという事実は、明確な敵対関係の表明でもあった。


「は、はは! 歌舞伎町の裏の顔に喧嘩を売ったっつー話は聞いてたが、そこまでぶっ飛んだやつだったんだな、一色勘九朗って男は。でっけぇなぁ、あまりにもデケェ。スケールが大きいのは大好きだぜ、あたしはよ。尊敬しちまうぜ」


 鯨波、大喜びである。


 興奮したように話す鯨波に対して、カウンターにいる伯父は視線を新聞に落としたままだった。良かったね、伯父さん。若い女の人が尊敬してくれるってよ。なお、当の本人にとってはマジの黒歴史なので、耳が痛い以外の何物でも無いだろうけど。


 実際、そこから数年間、伯父は歌舞伎町の裏社会から姿を消すことになった。なにせ、仙道会系のヤクザから本気で命を狙われていたからだ。ヤクザはメンツが大事。ましてや、七星に敵対する手助けをしてやったら、後ろ足で泥を引っ掛けられたようなものである。その絵図を描いた組の幹部はケジメで指を落としたらしいし、草の根を分けて探し出そうと躍起になっていたので、気を抜いていたら伯父は今頃この世には居なかっただろう。


「ふ、話の途中で悪いが、ツモだ。これでみーちゃんがトビで終了だな」


 話している間に、半荘ハンチャン一回戦目も決着がついた。


 結果として、トラおじちゃんの一人勝ちだった。私はと言うと、完全に一人負け状態である。くそ、このおじちゃん、私が敵対したと分かった瞬間、見事に狙い撃ちに来やがった。この低レートで本気だすなんて、なんて大人げない人だ!


 ただ、こちらもトラおじちゃんの手の内はだいたい読めてきた。

 彼のすり替えは、主に三種類。


 一つ目は、余剰牌を隠し持っていて、用途に応じてそれを使うやり方だ。リーチ後に一発でツモったり、嶺上開花リンシャンカイホウを成功した時はそれだろう。最も古典的で、最も効果的なすり替え。隠し持てるのは数個だろうけど、それでもこれは実際にやられると中々防ぎづらい。


 次に二つ目が、山を前に出すふりをして手牌を山にくっつけ、同じ数の牌を山から抜いてくる方法。かの有名なぶっこ抜きである。トラおじちゃんのあだ名の由来である『ギリ抜き』は、『握りこみ(ギリ)』と『ぶっこ抜く(抜き)』の二つから来ている。不要牌を交換したり、自分の当たり牌を他人に押し付けることが出来るので、急所で使われるとかなりきつい。


 最後は、ツモる時に盲牌でその牌が何かを把握した後、手に引き戻す途中で山のどこかとすり替える方法だ。これのおかげで、トラおじちゃんは毎回ツモが二回あるのと同じ状態になっている。そりゃあ手が進むのが早いはずだ。じっくりと見ていればわかりそうなものだけど、おじちゃんはこれを自然体でやるので中々現場を押さえられない。すり替える瞬間に音すら立てないのは、もはや神業の領域である。


 麻雀におけるすり替えはマジシャンの技術にも通じるものがある。タネが分からなければ何が起きているかを把握することもできず、仮にタネが分かっていても、その高すぎる技術に意識が追いつかない。私もそれなりに訓練はしたけれど、それでもトラおじちゃんのすり替え芸には遠く及ばない。


 さて、そんな相手に、どうやって戦うか――



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